今、薪のパチパチはぜる音を聞きながら久しぶりのブログを書いているのは、1月下旬の和力の関東ツアー中に体験したことを、どうしても書きたくなったからだ。

21日は午前中の幼稚園公演を終え、木村さんのお宅で奥様の手作りのお昼ごはんをいただいたのち、二か所目の現場のデイサービスに向かった。

到着すると、庭で職員の男性二人が、炭火で一生懸命に焼き芋をしていた。

「今日のおやつなんですよ~」とニコニコしている。

そこは、木村さんのお母さまが利用されている施設だった。お母さまも和力をご覧になるために、この日に合わせていらしていた。

 

大広間の、大型テレビの前のちょっとしたスペースが舞台となる。

登山囃子に始まり、お師匠さんの番楽~狐変化があると、わあっと歓声と拍手が起こる。

続いて、木村さんによる笛の紹介と演奏に、みなさんがうっとりと耳を傾けていることが、表情を拝見していて良くわかる。お母さまも、スマホをばっちり構え、でもしっかりとご自分の眼で誇らしげにご覧になっていた。

次に「今日は、私の一番好きな三味線奏者を連れてきました。」と、小野さんを紹介する木村さん。小野さんが出てきて、津軽じょんから節が始まった。

後から伺ったのだけど、年末に悲しいことがあって、小野さんはしばらく三味線を手に取れない時間があったそうだ。

そんなことは全然感じさせない、いつも通りの力強さと繊細さ、小気味よさとお洒落さ溢れる演奏だった。私は会場の壁際にしゃがんで真横から観ていた。

 

徐々に曲が佳境へと向かう。

すると、ふんわりした明るいイエローの光が生まれた。

小野さんと三味線、聴いているお客さんの双方向から黄色い光の糸のようなものが無数に出ていて、何かをやり取りするかのように揺らめいている。そんなイメージが湧いてきた。

何ともえない温かなものに、会場が包まれていった。

 

よくお師匠さんが舞台の初めに言うように、舞台は演者とお客さんが協力して作り上げていくもの。演者の技術や演出が優れているだけでは、舞台から感動は生まれず、観てくださるお客様の感性や経験が共鳴することで、初めて人の心を揺り動かす何かが生まれる。

木村さんは「あの年代の方たちは本当にいろんなものを見たり聞いたりして、いろんなことを経験されてきているからね。」とおっしゃっていた。この方たちの前で舞台に立てることが、尊いことなのだと心底感じた。

お師匠さんも「実は、自分の方がお客さんに癒され、生きる力をもらっているんだよね。」と話されていた。

 

片付けが終わる頃、職員の方が、焼き芋を持ってきてくださった。割ったおいもから湯気がふんわり立って、さっきのようなイエローの中身が美味しそうに光っていた。(残念ながら私はお腹いっぱいで食べられなかったが、絶品だったらしい)

 

ところで、和力内のLINEでたまに使用される言葉に「おじ3」というのがある。これは木村さん考案の造語で、「おじさん3人」を略したものだ。つまり和力の3人のことである。出演の打ち合わせで、「今回のだんじりはおじ3で」のように使われる。つまり私たち弟子が入らないという意味だ。

今回のツアーは、もちろんお客様のためのものではあるけれど、小野さんを少しでも励ましたいという、木村さんとお師匠さんの気持ちが込められているように感じた。その和力おじ3の、三つ並んだ背中を、ハイエースの後部座席から見ていたら、胸のあたりがまた温かくなった。

 

これは私にとって、どうしても言葉に変換しておきたい経験だった。しばらく遠ざかっていた、文章を書くことのリハビリをすると同時に、来年までに焼き芋を間食できるよう胃袋も鍛えよう。

3月2日は朝起きたとたんに鼻血が出て、全身がだるくて、真央ちゃんと何かしゃべる時も言葉がうまく出てこなかった。

「音舞語り」の小作品を自分で考えて稽古場で上演してみる、という課題がお師匠さんから出されて、3月1日がその締切日だった。前日から稽古場に舞台さながらに幕を立て、照明も2発だけだが設置して臨んだ上映&撮影会。

午前中に私の作品、午後に真央ちゃんの作品と、2つ続けてやり終えたときはまだアドレナリンが出ていて、何とか片付けまで動き続けられたが、翌日は上記の通りのグダグダ状態。

何日も半分徹夜状態が続いていて神経も張り詰めた状態だったため、終わったときは本当に今までに味わったことのないほどの「解放された。」という感覚を全身で味わっていた。何か月も前から分かっていたことなのだから早めに着手すればよさそうなものだが、ギリギリにならないと本格的に動きだせないものだ。

さて、一つの作品を作ったという達成感はあった。後日録画を見てみた感想は、端的に言うとビックリするくらい面白くなかった。

 

今回私の考えた「音舞語り」は刀鍛冶が主人公だ。あらすじはこうである。

ものすごく腕の良い刀鍛冶の男が、人を殺傷する道具を作ることをやめて今は鍬や鋤を作る村の鍛冶屋となって、ひっそり妻と暮らしている。

妻はなぜか言葉を話すことができないが、とても気立てが良く働き者で、男を助けて働いている。二人の間には幼い子があった。

ある時都から武器商人が現われ、来るべき戦に備えようとしている殿様の要望により、伝説の刀鍛冶である男に、一振りで千人の命を絶つ刀を鍛えさせようとする。男は断るが、幼子をさらわれて止むを得ず刀を再び打つことにする。

出来上がった、この世にまたとない名刀を誉めそやす商人の言葉に、男はつい心を動かされ刀鍛冶に戻ろうとする。すると、どこからか突然女の声がし、それを止める。

季節外れの猛吹雪が吹き荒れ、権現様が現われると、男の鍛えた刀を銜え取って消えてしまう。

男はその日から刀を作る術を忘れ、妻は姿を消してしまい、男は村の鍛冶屋に戻った…。

 

テクノロジーがどんどん発展して行き、現実に身近な場所で戦争が起こっている現在、人には、自分の技術をどこまでも高めたい、それを世の中で発揮して人に評価されたいという欲があるということ。わが子を助けるために他人の子を犠牲にしても良いと思ってしまう心もきっとあるし、良いことをしているつもりでも悪いことをしていたり、その逆もある、ということを物語で表現したかった。

 

一応物語は理解できるし、踊りや語り、太鼓といろいろな要素が盛り込まれているし、流れはきちんとある。でも、なんだかちっとも感情移入できない。

録画だし稽古場でやっているということを差し引いたとしても、和力の作品のようにぐっと感動して身動きできなくなるような瞬間がない。

 

今回のお師匠さんからの宿題のルールとして

①     15分以上の作品であること

②     出演者はお師匠さん、私と真央ちゃんの3人であること

③     自分が作品中で語り、太鼓、踊り(できれば歌も)をやること

④     語りや音楽は暗記すること(これは最終的には今回免除になった)

 

ということが決められていた。

お師匠さんが「音舞語り」作品を作るときは、いろいろなやり方があるが、最近は「この踊りをこの音楽でやりたい」というような、場面がまずあってそれに合わせて物語を書く、という順の傾向があるそうだ。

私も今回は、鬼剣舞の刀を持って踊る踊りと権現舞をどうしてもやりたかったので、半ば無理やり両方の場面を作った。

作品中に必要な踊りや太鼓は、毎日少しずつお稽古をつけていただいていた。

 

いったい、何をどうしたらこの作品が良くなるのだろう。今の時点では正直に言ってまだそれがわからない。

例えば秩父屋台囃子や八丈島の太鼓囃子といったお囃子がかっこよく叩けても、鬼剣舞やさんさ踊りなどの舞踊がとても上手に踊れたとしても、それだけでは私たちの立場の人間が作る舞台の形にはならない。

太鼓や踊りの稽古は日ごろからしているけれど、それだけではなくて、ただソデから出てきて何かをし始めるまでの歩き方や目線、どのくらい何に間を取るかということ、そういった一見何気ないことの方が難しい。

そうした細かいことが洗練されていないので、観た時の印象が舞台っぽくないような気がしている。

 

唯一良かったと思っている点は、真央ちゃんに琵琶歌を、お師匠さんに商人の役をやっていただいた場面。我ながら良い演出だったと思っている。

 

最近、お師匠さんは趣味のバイクにもうすぐ乗れる季節ということで、メンテナンスやら改造やらにワクワクしている様子だ。いろいろな部品からできているバイクの、いくつかのパーツを変えたりしたいそうだ。

舞台も実に様々な要素からできている。

「稽古」という部品

「作曲」という部品

いろいろな部品が必要だ。

とにかく、文字にする、音にする、記録することが「作る」という行為の部品なのだ。

 

「ここにはこの音しかない。」「ここではこの間だ。」ということが分かって、それを出せるようになるためには、稽古や本番を積み重ねることが必要だし、魅力ある舞台を作れるようになるにはいろいろな経験をして人間を磨いていくしかないだろう。

そうするまでは、いくら頭で考えていても、なんとなく心の片隅に思っていても「作って」いることにはならないのだ。

 

お師匠さんたち和力の皆さんが育ててこられたこの「音舞語り」という表現の形式は無限の可能性を秘めている。

私もいろんな有形無形の部品を集めて、育てて、改造していつの日か…

その日まで皆様どうぞ気長に、厳しくも温かい目で見守ってくださいませ

※今回の記事は11月30日に書きました。

以下本文

 

「大人は宿題がなくていいな」と思っていた子供時代の私は甘かった。

今月、ブログを書くようにという宿題が出された。

「何書こうかな~。」と真央ちゃんと二人して憂鬱な気分で今日の締め切り(11月30日)を迎えたのだ。とりあえず腹が減っては何もできないので晩御飯をお腹いっぱい食べ終えてパソコンに向かう。今夜のメニューは、私の日記によると一昨日の夜から数えて6回目の、真央ちゃん作「味噌なべ」だった。

美味しいからと言って繰り返し具をつぎ足し液をつぎ足しながら続けてきた鍋も、煮詰めすぎてふにゃふにゃになったネギやワカメがぷかぷかしているのを見ると、そろそろ1回具をさらって整理し、新規にやり直す時が来たかもしれないと思う。

新規と言えば、今日は前からやりたかった「新規巻きなおし」をひとつ片付けた。

お師匠さんの宮太鼓のカンの持ち手部分には、細く裂いた黒い布を包帯のようにぐるぐる巻きつけてある。これは、カンが演奏中に胴に当たって余計な音を立てないようにするためと、持った時に手が痛くなく冬でも冷たくないことなど、様々な理由から巻いているものだ。細かいことだけどやってあるかないかでは大きく違う。今回は、布が破けてきたのを全部外して、新しい布を巻きなおした。これで師走を気持ちよく迎えられる。

 「まきなおし」は本来「巻き」ではなく「蒔きなおし」と書いていたという。最近木村さんとお師匠さんからご助言いただいたのだが、私の舞台の修行の日々もそろそろいったん振り返り、やりたいことを整理し不要なものはそぎ落とし、何か専門性の種を育てることに向かうべき時期が来たようだ。

この秋はそのためには大変有難いことにたくさん舞台の仕事に参加する機会があった。

10月はこうべ輪太鼓センター「輪田鼓」の皆さんの公演にお師匠さんとゲスト出演させていただいて、そのすぐ後に年に1度の大イベント和力「二十一」公演。11月には木村さんに連れて行っていただいた埼玉のお仕事、愛知県での和力高校公演、長野に戻ってきて中野市でのDUOコンサート、羽化連として人形師の飯田美千香さんの作品に参加させていただき「おぶすなアートプロジェクト」公演への出演、そして先週末の和太鼓「志多ら」さんの「響奏」公演が続いた。

 さまざまな人の作る、それぞれに違う舞台の空間と時間を目の当たりにする中で、自分は何がしたいのかを改めて考え始めてまだ答えは出ていないけれど、ひとつ気が付いたのは、自分は胡弓を持っているときが一番緊張しないということ。もしかして一番ぴったり来るパートナーは「この人なのかな」という気がしてきた。

舞台に立つ人は本番までのわずかな時間でも曲の細かなところの確認をしたり、「あそこをやっぱりこうしてみたいんですけど、どうでしょう」とお互い相談したり、楽器や体の調子を整えながら過ごす。誰かの邪魔になりそうな段差を解消してくれる人がいたり、みんなが袖の中を有効に使えるように机を出してくれる人がいる。お師匠さんは自分の時間があるときは入念にストレッチして体の状態が本番時にもっとも良いように調整される。それぞれの立場とやるべきことが違うけど、良い舞台にしたいという共通の目的のために、出演者も照明さんも音響さんもそれぞれが最善を尽くす、開演のブザーが鳴るまでの時間が私は好きだ。私も、些細なように見えることでも時間が許すかぎりやった方が良いことはやろう。

来年はどんな舞台を作りたいか、より具体的に考えて動く年になる。実はお師匠さんからはもう一つ大規模な宿題が出ているので、来年初のブログはたぶんそのことについて書くことになるだろう。

みなさま今年もお読みいただきありがとうございました。宜しければ来年もまたよろしくお願いいたします。