とおかんや

とおかんや

和力主宰、加藤木 朗の許で学ぶ地力塾生が、十日夜に書く日記。

居間でブログを書き始めた今、稽古場からしばらくトントンという金槌を使う音がして、その後とても静かになった。気分転換に隣の様子を見に行ってみたら、お師匠さんが折れた竹割鉈を短く切って作ったナイフの、今度は鞘を自分で革細工で作っていらっしゃるのだった。

このブログには繰り返し書いている通り、なんでも自分でやってしまう人なのだ。

最近、近所の大工さんから「焚き物にして」と廃材を沢山いただき、まだまだ使えるものが多かったので、稽古場に棚を作ったり、三味線スタンド、本棚、さらに下駄箱まで作った。こういう「作り物ハイ」とでもいうべき状態のお師匠さんは、夜も寝ないで設計図に思いを巡らせ、翌日は何をどういう順番で進めようと計画しているそうだ。

今日はお休みの日なのでそれぞれ自由に過ごす。真央ちゃんはづくりが好きなのでよく自分でいろいろ作っていて、今日は鉈の鞘を作っていた。

私はというと、立体的なものを頭の中で想像するのは苦手なタイプで、正直作り物は休みの日にまでやりたいことではない。もっぱら稽古をしたり、疲れたらゴロゴロしておやつを食べている。

スマホで最近撮った写真を何気なく見返すと、須磨の海岸に立つ5本の椰子の木の下で海をバックに撮った1枚が目を引く。(和力のFacebookにもアップしたもの)

GWの最後の2日間、神戸の「うたごえ西日本郷土芸能講習会」でお師匠さんが太鼓を指導されたのだが、早く現地に着き過ぎたので3人で海を見てきたのだ。

講習会はコロナで中止が続き今回が久しぶりの開催だったそうで、受講生の皆さんはとても熱心に取り組んでいらっしゃった。限られた時間の中でお師匠さんはいつものように、撥の握り方や振りかぶり一つとっても「なぜそうしたほうが良いのか」を分かりやすい言葉で説明していく。

そうするのには必ず理由がある。聞くとすごく納得できるのだけど、教えていただいたことを体で理解できるまでにはすごく時間がかかる。私も、まだ未消化の宝物のような言葉をいくつもため込んでいる人間の一人だ。

今日はそれでも、少しだけ秩父屋台囃子の玉入れの稽古が進んだ気がする。

左右の小さくて揃ったコロコロという音を出すためにひたすら転がしを稽古していると、理由はわからないがいつも必ずだんだん胸がムカムカしてきて車酔いに似た気分になったものだが、今日は初めてそうならずに打てた。

神戸の講習会のあとの交流会で、参加者みんなで歌いたい歌を選んで一緒に合唱する時間があって、マイクを向けられたお師匠さんは「エーデルワイス」を選んだ。鶏舞や鹿踊など芸能のうた以外の歌声を初めて聞いて、なんだか少年のころのお師匠さんを想像して、胸がじ~んとした。

今夜はブログの日ですが、13日に迫ったいいだ音楽鑑賞会の準備と稽古があまりにもギリギリなので書くのを延期します。

急遽、木村さんがゲスト出演してくださることになり、あんなことやこんあこと、音舞語りもありの豪華公演になります。

昨年7月の和来座公演をさらに発展させた一部と、今回独自の二部。

どうなるのかとてもワクワクしています。(*^^)v

 

まだまだ阿智村では朝晩にぴゅーと冷たい風が吹くが、昼間はだいぶ暖かくなり、トンビが「ぴ~ひょろろろ」と鳴きながらゆったりと弧を描いて飛ぶ姿が見られる。

北風小僧の寒太郎から、春一番へとリレーのタスキが渡されたのだと思う。屋根にいつまでも積もったままで凍っていた雪が解けて「ざざざ~っ」と滑り落ちる音がし、これでようやく春が来るなあと安心した。

しかし実は先月一度、この地力塾は薪不足の危機を迎えていたのだ。

あんなに山のように作っておいた薪が、例年以上に厳しい冬の冷え込みのためスッカラカンになり、不安な気持ちを抱えながら遠慮がちに焚く日々が続いていた。

そんなまだまだ寒~い2月末のこと。愛知県東栄町を拠点に活動されている和太鼓集団「志多ら」の皆さんとお師匠さんによる初共演の舞台があった。

お師匠さんは長年志多らさんの舞台に、振り付けや踊りの指導、演目の構成という形で関わって来られているが、ご自分がゲスト出演者として舞台に立たれるのは今回が初めてだった。

もう一人のゲストでお箏奏者の杉浦充さんとともに、志多らさんが芸能と和太鼓、音楽のコラボレーションに挑戦された舞台はその名も「競奏」(きょうそう)。

私と真央ちゃんも出番をいただき、胡弓と三味線、獅子頭、鹿踊りの太鼓で出演させていただいた。

内部の事情は私の知るころではないけれども、この公演の開催に至るまでコロナやらメンバーの入れ替わりなどで志多らの皆さんも会社として、また個人としてそれぞれいろいろなご苦労があったようだ。

大事なこの公演のために、何度も東栄町と阿智を行き来してお稽古を重ねてきた。

「競奏」公演の作曲と演出を一手に引き受けられていた鬼頭さんは本当に大変だったと思うが、終始、後輩の若いメンバーにも気を配り意見をよく聞きながら仕事を進めていらっしゃった。

お師匠さんは具体的な芸能の動きの指導や、ご自分の出演する演目の振り付けのほかにも、リハーサルの時も本番の日も、常に若い人たちがのびのびと努力し、日ごろの精神的、技術的努力の成果をいちばん良い形で発揮できるようにと、気を配っているようだった。

ともすると少し緊張感が高まり過ぎるムードを和らげるため、杉浦さんとおじさんジョークを言ったりしているのを目撃した。

 本番は全員の力が発揮され、おかげさまで大好評のうちに幕を閉じた。あまりにも好評のため、本番の2日目が主演してすぐに再演がほぼ決まったほどだ。

お師匠さんの加わったコラボ演目もどれも素晴らしかったし、今までにないアレンジだった。

そんな公演が無事終わり、一息ついたころ…。

不思議なもので、薪置き場がガラーンとして本当に何もなくなり、来週の暖房とお風呂をどうしようと真剣に考え始めたギリギリのタイミングで、あちこちのお友達からお師匠さんに電話があり

「加藤木さん薪いる?」

「片付けなくちゃいけない木があるけど、もらってもらえませんか」

と、次々に薪のお世話をしてくださった。

また別の日には突然、近所の大工さんがダンプに一杯分の焚き付けをもってきてくださったりして、まさに助け船、渡りに船で、大助かりだった。

最近はいただいた木をチェーンソーで刻んだり、それを割ったり積んだりしている。

「響奏」のアンコール曲は「たすき」というタイトルだった。作業をしながら、ふとした時にその曲のメロディーが頭の中で流れている。

私たちの命のタスキもこれでつながったし、志多らさんとのご縁のタスキも大事に太くしていきたい。