今日も新しい1日新しいいのちをくださった父なる神様の憐れみと恵みと深い愛に感謝します。
私たちの罪のために、私たちの罪のさばきの身代わりとなって、十字架の上でいのちを捨ててくださった神の御子イエス様に感謝します。
また、死なれたのち3日目に死の力を打ち破りよみがえられたイエス・キリスト様のご栄光を心から誉め称え感謝します。
私たち人間の創造主なる神は、私たちに「あなたは大切な人、あなたはそのままで尊い」と聖書でおっしゃっておられます。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』(旧約聖書イザヤ書第43章4節)
神はイスラエルの民を救うためには、エジプト人を犠牲にし、クシュ人、セパ人をも身代わりにされるとおっしゃっているのです。神にとって悔い改めたイスラエル人は特別な愛の対象であるのです。神の前に罪を悔い改め、キリストをご自分の救い主として信じ、受け入れたクリスチャンもまた、神にとって特別な愛の対象であるのです。あなたは神によって愛されているのです。
人はその存在価値を、しばしば、その人が何かできるかできないか、または、何かの役に立つか立たないかで、決まるかのように考えられがちなのではないでしょうか。
たとえば、社会人であれば、どれだけの業績を上げるかで価値が決まり、高齢者たちは仕事を引退して、年金生活で見せるべきものは何もない。生きていてもしかたがないと思ってしまう。病気になればなおさらのこと、まるで自分がお荷物か厄介者のような気分ですっかりめいってしまったり、とかです。何もできないから、周りからもだめと思われ、自分は愛される資格も、生きる価値もないと思ってしまうわけです。こういう見方や考え方のことを「機能論的人間観」と言います。
これに対して、『あなたが存在しているそのままで、あなたは価値があるのだ。それは神によって生かされているいのちだから、あなたは神によって愛されている。世界で後にも先にもない、たった1人のかけがえのない存在だから』という見方、考え方を「存在論的人間観」と言います。実は、これが聖書の伝えるメッセージなのです。
聖書の中に、神が「あなたを選んでご自分の宝の民とされた」(旧約聖書、申命記7章6節)ということばがあります。私たちが他に比べて立派だからというのではありません。むしろ最も小さな存在であっても、神様は『宝』だと言ってくださっているのです。それは私たちを不幸にする罪から、罪からくるさばきから、永遠の地獄から救うために、御子イエス・キリスト様を十字架につけて犠牲にしてまでも、私たちを愛し、私たちを大切な存在と思ってくださっているからなのです。
眼はどのようにして見えるのか?
眼が見えるのが当たり前で、見えないことは大変なことと考えます。しかし、眼を調べてみると、眼が見えるということは、大変なことだと分かります。考えぬかれた仕組みがあって見えるのです。たとえば、角膜が透明でなければ、他がどれほど整っていても見えません。網膜は光が通るようにできた透明の膜で厚さ0、2ミリ。この中に1億2千万個の視細胞が並べられているのです。
視細胞の中は円板がいっぱいで、円板の表面に感光物質があるのです。円板の表明には、リンゴとキュウリのセットのようなものが一面についています。この物質(感光物質)はロドプシンといわれ、ビタミンAから作られるオプシンと11ーシス・レチナールから成り立っている。光が網膜に達するとその光に11ーシス・レチナールが伸びて飛び出し、そのエネルギーを電気信号に変えて脳に送り、脳が理解して「見えた」となる。
そして、色や形を見分ける錐状(すいじょう)体細胞が約2千万本、明暗を見分けるカン状体細胞が約1億本存在します。
人間がカメラを発明する、はるか前から眼はおなじような原理を用いて見えるように造られている。眼は「見る」という目的のために、実に見事に設計され、材料を選んで組み立てられている。
人間の知恵や技術では、とても造り得ないような精巧さです。このようなすごいものを誰が考え、造ることができたのでしょうか?
聖書は、知恵をもったデザイナーが眼を造ったことを示唆している。
『耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方がご覧にならないだろうか。』(旧約聖書、詩篇94篇9節)
「耳も眼も、英知の持ち主なしにできるでしょうか?」という聖書の語りかけは極めて常識的ではないでしょうか。そこにデザイナーがいなければ、形は整わないのです。
聖書は人間などの生き物が、偶然に発生した生命や細胞から進化したのでなく(偶然に生命が発生する確率は百億分の1よりもまだ小さい)、特に人間は、創造主の絶大なる知恵で造られているので尊い。
私たちは創造主のすばらしい知恵によって造られた最高の作品である。だから、いのちを大切にして生きる。人は創造主であられる神に尊く造られたことを感謝して、生きるのが本来の姿である。
『あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。』(新約聖書コリント人への手紙第一10章31節)
あなたも神(創造主)に喜ばれる人生を目指して、新しい生き方を探してみませんか。
日曜日にはお近くの教会へ行ってください。
心からおすすめいたします。
人間の欲のために絶滅してゆく自然の動物たち。
どうか日本で世界中で小さないのちが守られますように!
地震や風水害、山火事、激しい気候変動から人々や動物たちが守られますように。ひとりとして一匹として苦しい思いをすることがありませんように!
ご覧いただき、ありがとうございました。
✳️コメント5件目に私からメッセージを書き込みましたのでぜひ、ご覧ください。
この小さき者に、イエス様を信じる信仰と愛を与えて下さった父なる神様に感謝します。