みなさま、暑中お見舞い申し上げます!
お変わりなくお過ごしでしょうか?
私は空元気ですが元気を持つように心掛けています。今日も主の憐れみと恵みによっていのちを与えられ、生かされていますことを、私たちと全宇宙の創造主でいますまことの神様に感謝します。
たくさんのフォロー、いいね!、コメント及びメッセージをありがとうございます!
標記のことについて、聖書から。
聖書に出てくる使徒パウロは、そもそもクリスチャンを迫害していた熱心なユダヤ教徒でした。そんなパウロが、復活のイエス・キリストに出会い、回心し、伝道者(使徒)となる。しかし、キリスト者となったパウロであったが、その後も彼は自分の罪の現実に苦しみ嘆いている。
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」(ローマ人への手紙第7章15節)
パウロは、自分が欲していることはしないで、欲していない悪を行っていると言い、自分が悪に支配された死のからだを持っていると嘆く。パウロは「自分は何者であるか」という自己同一性の問いに立っている。そのようなパウロは、苦しんだ末にこう言う。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ人への手紙第7章24節)
パウロは、だれがと問う。すなわち、他者へと向かう問いへとたどり着いたパウロは、絶対他者である主イエス・キリストに出会う。キリストこそが、彼が罪人(もともとは迫害者)であること、しかも赦された(ゆるされた)罪人であることを知らしめる。そして、そんな彼になすべき使命を与えてくださる。パウロは自分ではなく、キリストという他者によって自分の存在意義を知るのです。
ご覧いただき、誠にありがとうございました!
今日も日本で、世界中で小さないのちが守られますように!
一人として、一匹として苦しい思いをすることがありませんように。
『わが父の家には、住処おほし。然らずば我かねて汝らに告げしならん。われ汝等のために処を備へに往く。』(ヨハネの福音書第14章2節、文語訳新約聖書より)
日曜日にはお近くのキリスト教会へ。
あなたもイエス・キリストの十字架の救い(十字架の福音)を信じて、神様からご自分の罪を赦されて、永遠を地獄ではなく、天国て過ごす人となってください。心からおすすめ致します。
ご自分のうちに、無限の力といのちの源を持っておられ、愛と恵みと憐れみに満ち、慈愛と忍耐と寛容に豊かな御方、だか義と聖と公正とを保ち、罪を必ず処罰される御方、ご自分の民をねたむほどに熱愛される御方に世々限りなく栄光あれ!