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☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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夏全開、毎日うだるような日々が続きますが、みなさま熱中症などにお気を付けてください。


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いつのころからか、私たちは、他人のために傷つくことを「損」と思うようになった。その結果、私たちの愛は冷えた。


みんな抱かれていた。眠っているに過ぎなかった。泣いていただけだった。これといった特技もなく力もなかった。重みのままに身を委ね、ただ抱かれていた。それでよかった。人は、そうして始まったのだから。人には再び始まる場所、傷つき疲れた人々が今一度抱かれる場所が必要だ。


人生の旅の終わり。人は同じところへ戻ってくる。抱かれる場所へ。人は、最期にだれかに抱かれて逝かなければなるまい。抱樸の館が要る。


「樸」は荒木、原木の意味。「素を見し樸を抱き」とは老子の言葉。山から切り出された原木は不恰好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨て置かれず、抱かれる時、希望の光は再び宿る。抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁(はり)となり、家具となり、人の住処(すみか)となる。杖(つえ)となり、楯(たて)となり、道具となってだれかの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人を和(なご)ませる。原木・樸はそのような可能性を秘めている。きょう、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。

しかし、樸は荒木であるがゆえに、少々持ちにくく扱いづらい。時にはささくれ立ち、棘(とげ)とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが、傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のためにだれかが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。


十字架のイエス・キリストはきょうも問うておられる。「その打ち傷によって、あなたがたはいやされたのではなかったのか」と。ならば、もはや無傷ではおられまい。抱樸を生きるしかない。


無縁化した時代に、絆(きずな)を取り戻そうと思う。しかし、その絆は、きず(傷)を常に含んでいることを忘れてはならない。私のために傷つく者が、私の絆となり、ホームとなる。抱樸とは、皆がその覚悟を少し始めることにほかならないのだ。社会で蔓延する「自己責任論」は、「助けないための理屈」にすぎない。「助けない」こと、「関わらない」ことを正当化するために、人は「自己責任」と言い切るのだ。病気にしても、失業にしても、現代社会の困窮の原因が個人にのみ起因するものでないことに皆が気付いている。にもかかわらず、私たちは自己責任論を振りかざしているのである。


愛するとは、その人のために傷つくことも含まれるのだ。聖書は、十字架のイエス・キリストを通して、私たちにそのことを示された。主イエスさまの愛は、彼と行動、生活を共にした弟子たちの裏切りによって、より鮮明となる。十字架は弟子たちのため、いや、私たちのために主が傷つかれた事実を示す。主イエスさまの傷によって私たちは癒やされた。主イエスの傷は私たちへの愛だった。全知全能の神のなにものにも変えがたい力によって私たちは癒やされた。


私たち人間は罪に対して弱い。しかし、神は私たちに期待を込めてご自身が弱き姿にとどまり、そんな私たちになお懇願してくださる。


マザー・テレサは言った。「キリストが、飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを捜し求める人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度こられたのに、私たちがキリストだと気づかなかったからなのです。」


十字架において痛めつけられ、ののしられ、自ら小さき者となられた神は、「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイの福音書第25章40節)と私たちを励ましてくださる。主イエスは、最も貧しく弱い者の姿をもって私たちの前に現れ、そして私たちになすべき使命(ミッション)を与えられる。

きょうも主イエスは、痛ましい姿をもって私たちに出会ってくださる。こんな私たちからごちそうになるために。その日、私たちは人間のあるべき姿に戻されるのだ。キリストは十字架の上の無私の姿をもって、無償の愛を示された。私は決して、そんなふうにだれかを愛することはできない。しかし、この愛せない私が、寛容で忍耐深く情け深いキリストの愛によって愛されている。罪ある人間を赦し、なおも使命へと召すキリストの愛に感謝します。



ご覧いただき、誠にありがとうございました!


今日も日本で、世界中で、小さないのちが守られますように!一人として、一匹として、苦しい思いをすることがありませんように!


万物の創造主、時間と空間に制限されず、全宇宙を御手の中に握っておられる御方に。永遠から永遠に存在され、いのちの源、永遠の光であられるまことの神様に、世々限りなく栄光あれ!