創世記1章5節「夕があり、朝があった」2024年4月もありがとうございました! | ☆愛がいちばん!ネアカ椋田☆寅吉の本日完売ブログ☆(悲しんでいるようでもいつも喜んでいる人のブログ)☆

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聖書から


『神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。』(創世記1章5節)



「夕があり、朝があった」。明けない夜はない。


また、聖書はこう言っています。「彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ書10章11節)



富豪、有名人など、この世におけるどのような成功者よりも、たとえ貧しくても、だれにも知られなくてもイエス・キリストを信じる者は本当に幸福です。なぜならば、クリスチャンは、キリストの十字架の救いの御業を信じたことによって、死後、聖であられる神さまから、当然受けるべきであった罪の裁き(永遠の地獄)から救われ、キリストを信じる信仰によって、神さまから全ての罪を赦され、死後、永遠の天国へ行く者といのちを移されたからである。


イエスさまの十字架の死と三日目のよみがえり。恵みによって、信じる者にだけ与えれるイエスさまの十字架の救いと愛は、罪人の罪を完全に赦すことの出来るパーフェクトな救いと愛です。

全能の神さまのされることはいつもパーフェクトである。それゆえに、人間はそこに、自らの行いとか努力とか修行とか、何も付け加えてはならないのである。また、そうする必要もない。


人は幼児のように、疑うことのない素直で純真な心でキリストの救いを信じて、受け入れることで救われる。

救いを疑って、信じない者は救われない。


私たちは改善の見込みのない根っからの罪人ゆえに、私たち無力な罪人が、どんな努力して足掻いても修行しても実現できないことを、全能の神は御子イエス・キリストをこの世に送り、歴史にまで介入させ、救いを実現して下さったのである。


キリストの処女降誕は、およそ2024年前。真のクリスチャンはみな、死んでよみがえられたキリストの空中再臨を待ちこがれている。その時、神の全能の力によって、世界中のクリスチャンが、キリストと同じ栄光の姿に変えられ、瞬きする間もないほどの、一瞬で雲の中に引き上げられ、空中で主と出会う。英語で歴史(HISTORY)とは、HIS Story彼(イエス・キリスト)の物語なのである。



今月も、世界中で小さないのちが守られるように!


みなさま、2024年5月もよろしくお願いします!