私の2013年
明日はゆっくりブログなんぞ書いてる時間はなさそうなので、今日、今年一年を振り返ろうと思う。ながーーーーーーーーーくなるだろうな。2013年、今年は私にとって生涯忘れることのない衝撃の1年で、本当にたくさんのことを考えさせられた1年だった。昨日、豆の忘年会をしたんだけど、そこで本当は自分の今年一年を漢字一文字で表すっていうのをやろうって言ってて。遅れて参加したのでとっくに終わったと思ってたら、やり忘れたっていう豆会らしいゆるさw私の今年一年は「尊」だと思う。尊い。今年は、レイラを妊娠していてつわりピークからスタートして。おせちもろくに食べられず、友達との新年会にも参加できず、ひたすら寝ていた。妊娠したこと自体、尊いことだと本当に思う。子供は授かりものだと言うけれど、本当にそうだと思う。自分の身体につわりという変化が起こること、エコーで子宮を撮影すれば、自分の子宮に新しい命が育っていくこと、本当に子供が生まれるまでのその過程は神秘だと思った。私たちは、一度、流産を経たこともあり、ヒッポも私も、私のお腹の中でのレイラの成長にそれまでの自分たちよりも感動していたと思う。出産は日本でするのかケニアでするのか。私がケニアへ行くことを決めたのはまだ妊娠が分かる前だったけれど、当然ケニアでの妊娠も想定したうえでの判断だったし決断だった。でも、身近な人ほど日本に残れと言った。家族とは何か。家族とはどうあるべきか。私たちはどんな家族でいたいのか。何度も何度も自分に問いかけた。もう二度と失いたくない大切な命のために日本に残るのか、今、世界一大切な人のそばへ行って一緒に生活するのか。私には、迷いはなかったと思う。ケニアへ行ってヒッポのそばで生活すること。それは私にとって大前提のことだったから。でも、周りの人の話を聞けば聞くほど、ヒッポさえも日本に残れと言うようになった。オーストラリアへ一人で行ったときのあの感覚が間違っていなければ、ヒッポは私にケニアに来てもらいたいはずだと思った。海外での生活は本当に孤独だと思う。ヒッポだって英語が話せると言っても、日本語と同じように英語を話すわけではない。きっと微妙なニュアンスを英語で表現したりするときは、うまく言葉にできなくて、自分の言いたいことをストレートに伝えられないことだってあるはず。でも、私が何を言っても、日本に残れと言ってきた時期もあった。最終的にはケニアへ行ったけれど、それは二人で話し合って決めたことだけど、心のどこかでは「これが本当に彼のためになってるんだろうか」と不安もあった。それくらい、ケニアにいたヒッポは気が張っていて、本音が見えないことがたくさんあった。それはたぶん、彼なりにケニアでの生活リスクを感じていて、そこで私と生まれてくるレイラの健康と安全を守ることにピリピリしていたと思う。だから、彼自身の感情なんて顧みる余裕もないようにさえ見えた。ケニアへ行ってからは、想像以上の日本とは違う生活が待っていた。ナイロビは、それでもかなり都会だし、全然日本人も生活はできる。冷蔵庫も洗濯機も家電は普通に日本と変わらないし、コーヒーメーカーやトースターだってある。インターネットだって普通にストレスないスピードで使える。ただ、そもそものライフライン自体が不安定。基本毎日のように停電はするし、3日に1回は水も止まる。これは、言葉で聞く以上にストレスのかかるもので、日本での便利な生活に慣れた私たちには電気がなくなるとやることが本当になくなってしまう。洗濯もできない、掃除機も使えない、テレビも見れない、ネットもできない。お皿を洗うか、本を読むか、昼寝か。けど、これはそのうちだんだんなれるもので、ケニアに来て4カ月して、お母さんが来たころには私も慣れていて、「あーまた止まったー」くらいに言って、できることだけやってたら、お母さんにびっくりされたけど、止まることにイライラしても使えるようになるわけじゃないしって思うしかないwとにかくケニアで暮らした半年間、たった半年間。私には忘れられない半年間で、たぶん心は日本生活の10年分くらい強くなったと思う。ここまで自分の常識や感覚が伝わらない通用しないという経験は生まれて初めてで、言葉では到底説明できない環境の中で、とにかく必死だった。本当に文字通り24時間ヒッポと一緒にいたけれど、それによって夫婦としてさすがに一緒にいすぎてキツイとか、そんな感情が生まれてこないくらい一緒にいない選択肢がなかった。テロがあって、「もう無理。帰りたい」と思った時、私は、自分が甘いだけかもしれないとも何度も考えた。仮にも自分の意志でケニアへ行くことを決めたのに、自分から帰りたいなんて、そんな意志程度で来るべき場所ではなかったんだろうかと思った。悩んだこともあった。私がケニアで知りあった日本人の人たちはいろんな人がいたけれど、あの人たちは、テロが原因で帰国した人なんてどれくらいいたんだろう?今でも変わらずにケニアにいる人もいるし、日本へ帰国した人もいるけど、それはテロが原因かは分からない。私たちは、もしかしたら本当は行くべき人間ではなかったのかもしれない。あのテロがあったとき、レイラがいたから私は1日でも早く日本へ帰らなくてはと思った。私の中では、帰りたいとかそんなんじゃなく、帰らなきゃと思った。それくらい、ケニアが危険な状況にあると思った。生まれて初めて銃撃戦の音を自分の耳で聞き、襲撃されたモールから上がる煙が家から見える。映画の中の世界にでもいるようだった。あの恐怖感は二度と味わいたくないし、異様な空気だった。でもそれってもしかしたら日本での生活で平和ボケしていたのかもしれなくて、その生活が知らず知らずのうちに自分のベースになっているから、新しい生活を受け入れるような心構えがなかったんだろうかとか、いろいろ考えた。結局、ヘタレか。とか。でも、私もヒッポもケニアでの生活は、自分たちがそれまでにしてきたオーストラリアやアメリカでの生活とは似ても似つかないものがあり、それは言葉では説明できない重くて大きなものを感じていて。生活してみて、私たちにはアフリカは合わないと思った。もちろん生活してる日本人もたくさんいるし、いいケニア人だってたくさんいる。ケニアが悪い国なんかではないと思う。でも単純に、私たち夫婦には、アフリカで生活することはできない。そういう答えだったんだと思う。そしてそれは、生活してみなければ到底分からなかったし、テロがなくて予定通り2年間の任期だったなら、2年はちゃんといたと思う。ケニアは日本よりも子育てしやすいですよと教えてくれた日本人の人もいるけれど、私には日本の方がいい。ケニア、治安悪すぎでしょ。と思っちゃう。生まれてみて、母親になってみて、初めて知った自分の子供のかわいさは想像以上で、私はそこまで強くなれなかった。これから先、ヒッポが、一人でアフリカへ単身赴任するような仕事がもしあったら、それがどんなに魅力的な仕事でも、給料が月給300万円でも、断って欲しいとお願いすると思う。私は基本、仕事に関してはヒッポがやりたいようにやってほしいと思ってる。チャンスがあるなら、ヒッポがやる価値があると思う仕事のためなら、引越しだって、多少の我慢だってしてきたと思うし、それはこれからも変わらないと思う。でも、ただ一つ。これまで私がお願いしてたたった一つのことは、単身赴任をしないことだったけど、さらにアフリカで働かないこともお願いしてる。本人も「アフリカは俺も無理w」って言ってるから良かったけど。だから、じぶんたちの間では意見が一致してるからいいのだけど、自分の意志の弱さっていうか、小ささは感じたかな。思ってたほどどこでも生活していけるタイプじゃなかったわ。でも。ヒッポは、私が来るまでの半年間が何よりも辛かったって言ってて。その辛さがどういうものかって、これ、アフリカに行ってない人にはどうにも分かり得ないと思う。私もケニアで働くチャンスがなかったら分からなかったと思う。働いても、ヒッポの立場では私以上にきついものがあったとは思うけど、あの辛さがどれだけのもので、彼がどれだけ苦しんで、耐えて、もがいて、悩んで、泣いて、強くなったのか。それを分かってあげられるのは、私だけだって、そこは自信もてる。私が、ケニア人たちとの仕事がうまくいかなくて、毎晩ギャーギャーキレまくってたとき、もう気持ちが全然リセットできなくて、家に帰ってからもヒッポと話してて。でも、ヒッポの意見はいつも妙に冷静で。私には優しすぎるようにさえ見えた。けど、ある時、いまのめーを見てると、3カ月前の自分を見てるみたい。って言われて、あぁ、この人は私みたいに、どこにぶつけたらいいか分からない、誰にも分かってもらえない、気づいてもらえない、どう伝えたら伝わるのか分からないこれを、同じように経験して、同じようにもがいて、でもそこから一歩抜け出したんだなーと思ったら、泣きそうになったw自分のことを分かってもらえたからじゃなくて、そのヒッポのきつさが想像ついて。なんか、こうして書いてると、すごい被害妄想?みたいに聞こえそうだなwと思うけど、仮にそう思われたとしても、私にはちょっと無理だったなぁ。でも。この経験があるから、今、私は日本の生活でこれまでよりも多くのタイミングで、いろんなことに感動するようになったし、ありがたさを感じたり、しあわせを感じるようになった。きっとこれから生きていく上で、私たち夫婦には大きなプラスになる尊い経験だったなと思う。あとは、もう何よりも今年の一番尊い出来事はレイラが生まれたこと。これに尽きる。ケニアだったからこそ、日本ではそこまで話さなかったであろうことまで「妊娠」ということや「出産」ということについてヒッポに詳しく話したし、出産自体が、まさに2人でひとつになって乗り越えたことだと思う。あんなふうにヒッポが出産に関わることは、日本では絶対になかったと思う。でも、それが私とヒッポに深く刻まれたと思う。すごくすごく、家族を感じられた1年だった。きつかったけど、たくさん泣いたけど、最高に幸せな1年だった。自分の考えに、判断に、たくさん不安になり、悩んだ1年だった。でもそれを素直にリアルタイムで誰かに相談できない自分がたくさんいた1年だった。友達ってあったかいって改めて思った1年だった。私は本当に周りの人たちに生かされていて、周りの力によって去年の自分が想像すらすることのできない経験をさせてもらってるって改めて思った1年だった。家族と友達にありがとうを伝えたい1年だった。来年、たくさんありがとうを伝えていけたらいいなと思う。これまでは、自分主体の人生だったけど、まずは家族が楽しく幸せでいられることが一番大切にしたいと思う。本当に尊い1年をありがとう。30歳、こんなに濃い激動の1年を過ごせるなんて想像もしなかった。ほんとにしあわせーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!2013年、最高の1年だった。今年よ、ありがとう。来年も楽しみ。