歌わないことが、歌っていることになる | フォークシンガー「おだしょう」〜落ち葉拾いの小径で

フォークシンガー「おだしょう」〜落ち葉拾いの小径で

日々の暮らしのなかで、拾い集めた落ち葉に火を灯すように…歌っています。

早川義夫氏のエッセイ「たましいの場所」を読んだ。この一年間で、一番感銘を受けた本だと思う。




ある一節に、岡林信康とのやりとりがある。

早川氏は、フォークルからはっぴいえんどまでの、同窓会のようなコンサートを開こうと考えていたという。そして、岡林に手紙を書いた。

彼からの返事は、そんなコンサートには出たくないし、昔を思い出すだけでも辛く、哀しくなってくる。この気持ちは誰も分かってくれないだろうという内容だったそうだ。

早川氏は、単に昔を懐かしむのではなく「今何を歌うのか」をテーマにしたコンサートにしたかったのだというが。

岡林にしてみたら、昔の仲間が集まると否が応でも昔の話になるし、当時のいやなことがたくさん思い出されるからだろう。

そして早川氏は、こんなことを述べる。

大事なのは、過去を引っ張り出してくることではない。昔はああだった、こうだったと言うよりも、今何を考えて何をやろうとしているのか、そしてミュージシャンならば何を歌おうとしているのか。

そして、人のことよりも、人が何を歌っているのかというより、自分が今何を歌おうとしているのか。それこそがとても大切なのだと。

私は今の自分を振り返り考えた。

お前は一体何を歌いたいのか?

早川氏は、こうも言う。

歌いたいことがあるから歌う。歌いたいことがなければ歌わない。それが歌っていることになるのだと。