娘と

『ファインディング・ニモ』

を観た。


セリフが全て言えそうなぐらい

何度も観た大好きな映画である。


アンドリュー・スタントン監督と

対談もさせていただき

その企画立案秘話なども

聞かせていただいたこともある。


この話は

別の機会にするとして


何度繰り返し観ても

毎回面白い映画だが

これまで基本的には

毎回同じ感想だった。


しかし

娘と観ることで

その内容の価値が

また違う意味に変わった。


今後何度観ても

基本同じ感想


と思っていたのだが


環境により価値は変わる


ということを改めて

気づかされたのだ。


価値観というより

価値そのものが

変わるという方が

当てはまるので

価値という言葉を


選んでみた。


娘は

もちろんまだ

中味を完全に

把握している訳ではなく

ジッと画面を凝視し

時々リアクションをするぐらいだ。


『ファインディング・ニモ』

も何度か断片的に

娘と一緒に観たことはある。


しかし

昨日の夜は

たまたま

DVDが調度

パパのマーリンと

ニモが再会する前で

止まっていたので

そこから見始め

ラストまで

初めてちゃんと長尺で

観ることができた。


見始めてすぐ

娘が僕の足の間に

入って来て立ち

顔を寄せ合って

頬ずりするような状態で

観る形になった。


そこで

当然なのだが

改めて


「そうか。ニモは

パパと子供の話なんだよな」


と気づき


『娘と観るニモ』


という今までとは違う形の

リアル『ファインディング・ニモ』状態

という環境になったのだ。


しかも

「パパー!」

「ニモー!」

とお互いが探し合う

かなり親には

直接的にグッと来るストーリー。


擦り切れる訳もないDVDだが

擦り切れる程

何度も観た映画のはずなのに

目の前で展開する物語が

いちいち新鮮に飛び込んでくる。


思わず


「ニモ!危ない!」


と心で叫ぶ。


いやいやいや

何度も観てるではないか。


もちろん

その先どうなるか分かっている。


にも拘らず


あ、別にダジャレとかじゃないが


にも拘らず

いつもよりも増して

めちゃめちゃドキドキする。


「パパ!後ろ後ろ!」


完全に僕は

かつての

『8時だよ!全員集合』で

「志村!後ろ後ろ!」

と叫んでいた近所のバカ状態。笑


「ニモに関しては全部知っている」


とたかをくくっていた自分が

恥ずかしい。


娘と頬をくっつけて

観ていると


「え?こんなシーンだったっけ」


と思う程

新しい。


そして感動の再会。


やばい。


しかし

流石に

再会することは

わかっている。


そこは

余裕を見せて

娘に「良かったねー」的な

呟きをする。


ディズニー映画は

最後の苦難を乗り越えてからは

展開が速い。


『トイ・ストーリー』

にしても何にしても

解決したら一気に

幸せの今にスイッチングする。


無駄な感傷を引きずらない。


そこはドライである。


『ファインディング・ニモ』

もパパとニモの再会から

多少の難関はあれど

意外とあっさり

幸せの今になる。


それも

何度も観ているから

分かっていた。


が、しかし。


最後ニモが

パパに見送られ

エイの先生と学校に出掛ける時


「先生!ちょっと待って!」


と見送るパパの元に

何か忘れ物を取りに行く。


不覚にも


「あれ?何忘れたんだっけ?」


と思った瞬間!


ニモがパパに頬ずりして


「パパ大好き!」


泣いた。笑


そうだ。


「パパ大好き!」

と言うんだ。


しまった。

今回全てが新鮮だし

再会の感動で

最後のこのセリフに

今まではそこまで

重きを置いていなかった。


そうだ。


冒頭の方では


「パパなんか嫌い!」


というセリフがあるのだ。

この伏線と振り幅は

ディズニーの真骨頂ではないか。


しかも

今自分は

パパとニモと同じように

娘と頬をつけている。


こんなシチュエーションで

ニモを観る。


環境は価値を変える。


頬をつたう涙は

娘の頬につたう。


思わず娘を見る。


娘は相変わらず

政治のニュースでも観るように

睨むようにして

画面を凝視し続けている。笑


これでは

一人で感動して

アホみたいではないか。


でもいい。


「THE END」のスーパーからの

スタッフロール。


すると

娘が僕の足にへたり込み

突然眠そうになっている。


映画が終わったことは

わかるようだ。


だから僕は


「眠くなった?ベッド行く?」


と言うと

頷いて眠そうな顔で

僕に両手を差し出した。


抱っこをして寝室へ。


不覚にも

また涙。


DVDは消したはずなのに

頭の中には

ニモの感動的な

BGMが流れる。


『オーシャンズ11』

を観た後

映画館を出る時

思わずジョージ・クルーニーに

一瞬成り切っているならわかるが

まさかニモのパパに

成り切れる自分がいるとは。笑


今まで

何度となく経験して

全てをわかっていると

思ってしまっている

同じものや同じ景色や同じ時間も

娘と体験するそれは

ガラリと色彩を変えるに

違いない。


環境は人の感受性を変え

自分でも気づかなかった

新たな視点を浮き彫りにする

のかも知れない。


だとしたら

自ら時に意識的に

環境を変化させて

全てをわかっていると

思っているものの価値を変える

行動をすることが

重要な気がする。


おちまさと


関係ないが

最後の歯医者に残された

魚たちの扱いも

ディズニーは意外とドライ。笑

そこも好き。


あの魚たちの

スピンオフ作らないのかな。


しかし

娘と『母を尋ねて三千里』とか観たら

嗚咽して泣くだろうな。


さらに

娘が内容を把握するようになると

またそれは違う『ニモ』を

体験するだろう。


ある日

娘が

「どうやってこういう

ストーリーを思いついたんだろう」

と質問してきたら

スタントン監督から聞いた秘話を

話してあげよう。


そして

その秘話を聞いた後

もう一度

娘はニモを観る。


娘はそれまでとは

また違った感想を持つはず。


なぜなら


環境は価値を変えるからだ。


最近

娘とある遊びが

流行っている。


詳しくは妻のブログ で。