今日の出来事や思ったこと -52ページ目

今日の出来事や思ったこと

オッサンがたまのお出かけや食事、言いたいことを書き残すブログ

海岸まで来たのはええけど、

目的地の摺鉢山とは違う道を歩いてきて

迷子状態となってしまった。

とりあえず、目的地は視認できるので

そちらへ向かいます。

グーグルマップは使わんのかって?

はい、圏外ですからね。


激戦地でしたからね、こういうのもあります。


観音様が英霊たちを慰霊することを願って

建てられたのでしょう。


ここにも地下陣地が、壕があり、

多くの戦死者が出たのでしょうね。


さらに進むと…ここを登ればええんやな。


77年前からずっとここにあるのか、

撃破された砲台があった。

屋根があるわけでもなく、潮風が吹く島で

よく朽ち果てずに残っているものだ…。

で、ここ、行き止まりや!

山頂までの道はここじゃない。


戻ってしばらく進むと…、

あったで、今度はホンマの登山道だと思う!


何千年、何万年、何億年…の未来には

火山活動による隆起により摺鉢山は

1000m級の山となるかもしれない。

現在の摺鉢山の高さはって?

はい、170mです!

舗装しても隆起によりひび割れること、

キリがない。


摺鉢山に日本軍の地下陣地があるのは

米軍も知っていたでしょうから

物量にモノを言わせて上陸前に何日間も

空襲や艦砲射撃を徹底的に行いました。

(画像はウィキペディアより)


そして、米軍は上陸しますが…。

「おや、サイパン島に上陸した時みたいに

海岸に上陸する時に攻撃してこない」

(画像はウィキペディアより)


日本軍は張り巡らされた地下陣地に潜んで

空襲や艦砲射撃に耐え

ある程度、接近してから攻撃しました。


この茂みのどこかに日本兵が潜んでいて

銃口をこちらに向けて狙っている…

と考えたら、攻める米軍も

生きた心地はしないと思う。

当時は空襲や艦砲射撃で

草木もほとんど無かったかもしれないが。


登山途中に見えたこの風景は


77年前は、こんなことになっていたのか…。

(画像はウィキペディアより)


そして現在は日本軍や米軍に狙われずに

摺鉢山山頂に到着できます。(左差し当然だ)

山頂は米軍にとっては今でも

誇りや名誉ある戦場…だそうな。

摺鉢山は米軍上陸から4日後には山頂に

星条旗が掲げられて陥落します。

以下の画像はピュリッツァー賞受賞の

有名な報道写真ですので誰でも一度は

どこかで見たことがあるのでは?

(画像はウィキペディアより)


写真に写った6名の兵士のうち、

半分は硫黄島で戦死されたそうです。

翌朝、夜が明けると掲げられていた星条旗は

いつの間か日章旗に変わっていた…

という話もあるので

日本兵もまだ抵抗を続けていたのでしょう。

米軍兵士の親も損害の大きさに

「アメリカの若者を送るのは、もう止めて」

と声をあげるようになり

マスコミの一部については

「毒ガスを使え!米兵が多数助かるし

日本兵もある程度救えるかも」

という主張も行われました。

結局、毒ガスは使われなかったようですが、

なんか、このマスコミの考え方、

広島や長崎の時にもあったような。

人類としては非常に残念なことですが…。

結局、毒ガスは使われなかったようですが、

火炎放射器などは使われたようです。


現在、ある地域においては

ニュースで報じられているように

一般市民を巻き込んだ戦闘が

行われております。

硫黄島の話から77年が過ぎて

人間は科学技術などは進歩させました。

現在では兵器の多くが近代化されて

発射ボタンをポチッと押せば

かなり正確に目標に命中するのでしょう。

硫黄島の時代よりずっと簡単に、

おそらくゲーム感覚で罪悪感もなく

人の命を奪える恐ろしい時代でもあります。

国や地域、目的や口実、人種は違えども

戦火を交えるという点においては、

人類は全く進歩していないような

気がしてならない。



〜続く〜



さて、硫黄島は戦時中の激戦地ということで

各地を巡ってみるとしますかね。

まずは島の1番高い山である

摺鉢山へ向かいます。


宿舎を出た瞬間に見たこれは…

サツマイモが落ちているのか?


目測で摺鉢山まで7〜8キロくらいかな?


うむ、崖崩れか…


と思ったら火山の火口かい!


派手に隆起してますな。

ずっと先の将来はとても高い山となり

大きな島となるのであろうか。


切断された船の下からは温泉が湧いている。


大きな船が地上に…って、自然は凄いな。


砂漠を擬似体験できるで。

振り返れば、ワシはガニ股やな。


見上げてみると


コンクリート片や鉄骨が落ちてきそうで怖いな。


いつの時代のロープか分からないけれど、

硫黄の中に埋もれて化石となるのか。


木材もまた同じ。


硫黄の臭いがする気体がプシュ〜…

こうゆうのが至るところにあるんです。


戦時中の米軍の戦車のキャタピラ痕か?

たぶん違うと思うけど。


キャタピラの車両はともかく、

道路がこれではトラックやバスなどは大変。


ありゃ、山に来るつもりが海に来てるで!

オッサンはこの時、ガチ迷子になっていた。

スマホの電波も時々圏外になるし、

土地勘ない場所やから

正確な位置を把握しないと

下手したら帰れんし捜索隊出されるで!!


〜続く〜



さて皆さん、前回の記事では

硫黄島は交通困難地なので

直接お届け物や手紙などは

届かないと言いましたが。

こちらの映画をご存知でしょうか?


硫黄島からの手紙(2006年公開)

まさにこの映画の舞台である硫黄島が、

オッサンが行った硫黄島なのです。

戦前には住民がいましたが、

1944年に戦場となる前に疎開が実施され.

2022年現在まで硫黄島には住民としての

一般市民は存在しません。

飛行場は自衛隊の硫黄島航空基地があり

島にいるのは自衛隊とか米軍とか

基地の補修工事を行う建設関係者が

ほとんどです。

島そのものが基地みたいなものなので

一般の方々は立ち入りが許可されない…

というわけなんですね。

だから、沖縄のような南国情緒はあっても

レジャーに来ている観光客はゼロ。

オッサンは研修ということで申請して

入島許可されたということでしょうかね。

で、硫黄島からの手紙(硫黄島への手紙)は

自衛隊機によって空輸されるそうな。


では映画、硫黄島からの手紙に登場する

実在の主要人物を少し紹介します。


栗林忠道中将(渡辺謙)

硫黄島の日本軍守備隊最高指揮官。

海岸で迎撃する水際防御戦術を改め、

万歳突撃を禁止して

地下坑道を陣地として戦い時間を稼ぎ

米軍に想定外の大損害を与えた。



西竹一中佐(伊原剛志)

1932年ロサンゼルス五輪

馬術大障害飛越競技で優勝、金メダル獲得。

バロン西とも呼ばれた、戦車連隊長。

愛馬はウラヌス号。



硫黄島は東京とグアムのほぼ中間点。

小笠原諸島の中で飛行場があるため

以下のような点からも米軍の攻略目標とされ

激戦地となりました。

・故障や損傷で帰還できない爆撃機の着陸地

  ・爆撃機を護衛する戦闘機の発進地

  ・飛来する日本軍攻撃機の基地占領


日本側としては硫黄島が陥落すれば

空襲は激しくなるのは確実なので

守備を固めて地下要塞化を進めます。

しかし硫黄島は火山島ゆえ

有毒ガスや高温の地熱は坑道掘削作業を行う

日本軍将兵を苦しめます。

それでも全長17kmに及ぶ地下陣地を構築し

艦砲射撃や空襲に耐え抜きました。

日本軍約2万1000人が守備する中、

上陸する米軍は約11万0000人。

当時約21平方キロメートルの硫黄島攻略を

米軍は厳しめに見積もって

5日間で攻略して15000人の死傷者発生を

予想したそうですが

それ以上に苦戦することとなりました。

1945年2月19日から3月26日までの35日間、

日本軍は約20000人が戦死して

硫黄島は陥落します。

対する米軍も約26000人が死傷して

さらに約2500人が戦闘ストレス反応となり

攻勢米軍が守勢日本軍よりも多数の死傷者を

出した数少ない例となりました。


そして現在、硫黄島戦没者のうち約半数の

約10000柱の遺骨が未送還となっており

硫黄島では遺骨収集事業が行われています。

画像は新型コロナ第3波の頃の掲示物です。



他にもアジア各地やシベリアなど、

遺骨の収集やDNA鑑定による

身元の特定などの事業は現在も続いています。

先の戦争は終わって遠い過去のように

感じるかもしれませんが…

全ての遺骨が帰還するまでは

完全に終わったとは言い切れないのかも

しれませんね…特に遺族の方々にとっては。

たった77年前のこの時期に、

ここ硫黄島は激戦地だった。



それでも遺族にとっては

激戦地で最期の地が分かっているというのは

まだマシなのかもしれない。


母親や遺児は辛かったことでしょう…。


たくさんの若者が散華されたのでしょうね…。


早く全ての戦没者の遺骨が収集されて

帰還できることを願わずにはいられない。

ウクライナにロシアが…というニュースを

最近よく報道されておりますが、

不幸な人が増えることのないよう

硫黄島に来てみて強く思った。


〜おまけ〜


気付いた?



英語のタイトルはIWO JIMA(いおうじま)と

なっていることを。

映画の公開は2006年、

日本で公式に(いおうとう)とされたのは

2007年で当たり前だと言えばそうですが。

アメリカ側にとっては多数の犠牲者を出して

陥落させたのは(いおうじま)であるから、

(いおうとう)と変わってしまうのは

戦闘に参加した将兵の名誉に関わる…

という声もあるとかないとか。

この頃になると精強とされた

日本陸軍の部隊も各地で損耗しており、

硫黄島守備隊は老兵や

戦闘経験の少ない兵士の

寄せ集めの集団だったそうですが…

それほど硫黄島の日本軍将兵は

強く抵抗したということでしょう。

もし、硫黄島の映画がアメリカで

また新しく制作されるなら…

タイトルはどうなるでしょうかね?


〜続く〜



癒されるネコ写真・動画みせて!

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


さて、この日は猫の日ということで…
(猫画像をサルベージしたので
猫の日を既に過ぎてますけどね)
硫黄島ネタを書いている途中ですが
その硫黄島にいる猫ちゃんの
画像をお楽しみ下さい。


タワシがお気に入り(?)みたいな猫ちゃん。

この赤いマットの上が定位置です。

通りすがりのオッサンに付いてきて

初対面でスリスリしてくれて

好き放題に撫でさせてくれた。

硫黄島にいる猫ちゃんって

何て友好的なんだろうと感動させてくれた。


飼い主さんがいるわけではないし

それなのに痩せてはいない…

餌を与える人がいるのかな?

個体差はあるけど人間が近づくと

警戒心を感じて身構えたり距離を取る…

それが猫だと思っていましたが

そんなことは全然ありません。


この猫には頭を撫でてみたまえ…と要求された。


睨まれているように見えるが

威嚇してくることもないし

とっても友好的。


別の日のほぼ同時刻、同じ場所。

まるで待っていてくれたかのように。


次は鼻先、脚先、腹部が白い黒猫ちゃん。


ヘソ天ですね…お腹を撫でろとでも?


人間慣れしてますね…警戒心ゼロです。


「なぁ、ちょっと散歩でも行かないか?」

オッサンと猫は意気投合してしまった。


うむ…ノーリードで寄り添って歩いてくれる。

君は硫黄島に生まれなければ

素敵な飼い主さんに恵まれたに違いない。

猫と散歩したつもりだけど、

オッサンが逆に猫に散歩させられたのかも。


でも、人間のいる区域から離れたら…

人間から離れた場所の猫ちゃんは…

これだけ離れた距離からでも

真っ直ぐ近づいてくれるんだけど


かなり痩せているのがかわいそうですね。


同じ黒猫さんでも

人間のいる区域の猫ちゃんは

肉付きが良いのが分りますよね。

こちらの猫ちゃんは兄弟なのか、

同じような猫ちゃんがすぐ近くにいました。

ツーショットは撮れませんでしたがね。


とりあえず硫黄島の猫ちゃんは

みんな人間に対して友好的なのが

印象的でしたね。

みんな、達者でな!


〜余談〜


硫黄島には黒猫はいますが

クロネコヤマトの方はいませんので

お届け物は届きません。

もちろん、飛脚もゆうパックもです。

ゆうパックが届かないということは

ハガキや手紙も同じです。

日本郵便からは交通困難地の

指定を受けておりますのでね。

まぁ、ある方法を使えばとどくのですが。

それはまたの機会に。


今回は画像多めの記事になったな。

前回までの出張、硫黄島の記事は

硫黄島からの予約投稿だったんだけど。

画像を1枚載せるのに何分もかかるという、

ギガ死していないけどギガ死の通信速度を

強制的に体験できるという

通信環境だったのです。

通話は人がいる地域では普通に使えるけど

データ通信はそんな感じでしたね。

オッサンは5G高速通信とは

まだまだ無縁ですが

普通にスマホが使えるありがたさを

身に染みて体験しました…という話です。


〜続く〜



オッサンは東京都小笠原村にある

硫黄島(いおうとう)に職場の研修に

やってきた。

なお、この島は日本国内ではあるが

日本人、日本国民の99%の人は

一生涯訪れることはないと思う。

気象条件や見た目は南国リゾートの

雰囲気のあるけれどね。

そもそも、硫黄島だけに島なんですが

港というか船が着く桟橋はありません。


は?誰も船着き場とか港を作るというか、

そういう発想をした人は居ないの?


過去には居たでしょうね。

でも、硫黄島はそれができないのです。

なぜなら、硫黄島は火山島。

港や桟橋を作ったとしても、

火山活動による隆起のために

使えなくなってしまいます。

小笠原諸島で大きな島というと

父島とか聞いたことあると思います!

火山活動による隆起のために現在では

小笠原諸島で最大の島となっていて、

今後もさらに隆起による面積拡大は

続いていくことでしょう。


じゃあ、空港があれば飛行機で行けるよね!?


はい、空港はあります。

昭和初期に硫黄島飛行場は作られましたし。

現在も飛行場はあり機能しているので

飛行機の離発着は可能ですからね。

つまりは、飛行機で行くか、

海岸に乗り揚げるような小船で行くか、

そんな島なわけです。



古い船を係留するか、沈めるかして、

桟橋にしようとした結果は

火山島ゆえの隆起により

船はバッキバキに切断されてしまい

しかも陸上に…。

結局、港を作ることはできなかったとさ。

決して猛烈な速力で乗り揚げて

こうなったわけではないんだからね!


しかも、火山島ゆえに火山活動は活発で

硫黄島だけに硫黄を含む火山性ガスが

いろんなところから吹き出しております。

お分りいただけるだろうか?

臭っびっくりマーク

腐った玉子の臭い、硫黄を含む温泉地の匂い、

これは…まさに…

硫化水素とか二酸化硫黄やないか!

濃度によっては死にいたる有害ガスでがす。

何となく硫黄島って、

南国リゾートどころか、

人を寄せ付けない島って
気がしてきませんか?


〜続く〜