【歴史は】硫黄島⑤【繰り返す】 | 今日の出来事や思ったこと

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オッサンがたまのお出かけや食事、言いたいことを書き残すブログ

海岸まで来たのはええけど、

目的地の摺鉢山とは違う道を歩いてきて

迷子状態となってしまった。

とりあえず、目的地は視認できるので

そちらへ向かいます。

グーグルマップは使わんのかって?

はい、圏外ですからね。


激戦地でしたからね、こういうのもあります。


観音様が英霊たちを慰霊することを願って

建てられたのでしょう。


ここにも地下陣地が、壕があり、

多くの戦死者が出たのでしょうね。


さらに進むと…ここを登ればええんやな。


77年前からずっとここにあるのか、

撃破された砲台があった。

屋根があるわけでもなく、潮風が吹く島で

よく朽ち果てずに残っているものだ…。

で、ここ、行き止まりや!

山頂までの道はここじゃない。


戻ってしばらく進むと…、

あったで、今度はホンマの登山道だと思う!


何千年、何万年、何億年…の未来には

火山活動による隆起により摺鉢山は

1000m級の山となるかもしれない。

現在の摺鉢山の高さはって?

はい、170mです!

舗装しても隆起によりひび割れること、

キリがない。


摺鉢山に日本軍の地下陣地があるのは

米軍も知っていたでしょうから

物量にモノを言わせて上陸前に何日間も

空襲や艦砲射撃を徹底的に行いました。

(画像はウィキペディアより)


そして、米軍は上陸しますが…。

「おや、サイパン島に上陸した時みたいに

海岸に上陸する時に攻撃してこない」

(画像はウィキペディアより)


日本軍は張り巡らされた地下陣地に潜んで

空襲や艦砲射撃に耐え

ある程度、接近してから攻撃しました。


この茂みのどこかに日本兵が潜んでいて

銃口をこちらに向けて狙っている…

と考えたら、攻める米軍も

生きた心地はしないと思う。

当時は空襲や艦砲射撃で

草木もほとんど無かったかもしれないが。


登山途中に見えたこの風景は


77年前は、こんなことになっていたのか…。

(画像はウィキペディアより)


そして現在は日本軍や米軍に狙われずに

摺鉢山山頂に到着できます。(左差し当然だ)

山頂は米軍にとっては今でも

誇りや名誉ある戦場…だそうな。

摺鉢山は米軍上陸から4日後には山頂に

星条旗が掲げられて陥落します。

以下の画像はピュリッツァー賞受賞の

有名な報道写真ですので誰でも一度は

どこかで見たことがあるのでは?

(画像はウィキペディアより)


写真に写った6名の兵士のうち、

半分は硫黄島で戦死されたそうです。

翌朝、夜が明けると掲げられていた星条旗は

いつの間か日章旗に変わっていた…

という話もあるので

日本兵もまだ抵抗を続けていたのでしょう。

米軍兵士の親も損害の大きさに

「アメリカの若者を送るのは、もう止めて」

と声をあげるようになり

マスコミの一部については

「毒ガスを使え!米兵が多数助かるし

日本兵もある程度救えるかも」

という主張も行われました。

結局、毒ガスは使われなかったようですが、

なんか、このマスコミの考え方、

広島や長崎の時にもあったような。

人類としては非常に残念なことですが…。

結局、毒ガスは使われなかったようですが、

火炎放射器などは使われたようです。


現在、ある地域においては

ニュースで報じられているように

一般市民を巻き込んだ戦闘が

行われております。

硫黄島の話から77年が過ぎて

人間は科学技術などは進歩させました。

現在では兵器の多くが近代化されて

発射ボタンをポチッと押せば

かなり正確に目標に命中するのでしょう。

硫黄島の時代よりずっと簡単に、

おそらくゲーム感覚で罪悪感もなく

人の命を奪える恐ろしい時代でもあります。

国や地域、目的や口実、人種は違えども

戦火を交えるという点においては、

人類は全く進歩していないような

気がしてならない。



〜続く〜