今日の出来事や思ったこと -50ページ目
硫黄島ですが摺鉢山の反対側は
それほど目立つものはありません。
しかし最後まで組織的に抵抗を続けたのは
こちら側になります。
摺鉢山の付近に南観音がありましたので、
北観音だってあるんです。
石碑が多いということは
たくさんの日本軍がいて
激しく抵抗したことでしょう。
この辺りで戦死されたのでしょうか、
西竹一中佐(戦死後大佐)は
現在も遺骨は未発見のままだとか。
そもそも、どのような最期だったのかが
謎とされています。
1932年ロサンゼルスオリンピックで
競技中の西中尉(当時)とウラヌス号。
競技後のインタビューでは「We won.」、
(画像はウィキペディアより)
西大佐戦死の1週間後、
愛馬ウラヌス号は東京の陸軍獣医学校で
亡くなったそうです。
もし魂とか霊とかあるならば、
共に旅立とうと迎えに来たのかも
しれませんね。
いくら精強な将兵でも
補給が無ければ
全滅の運命にあります。
燃料、弾薬、食糧…補給は大切。
お城で言うと本丸まであと少しの所で
包囲され全滅したのでしょうか。
無念だったことでしょう。
さて、上の画像のすぐ近くにあるのが
兵団司令部壕。
栗林中将が指揮を執った場所になります。
オッサンは霊感はゼロだと思いますが、
この道を奥へ進む時は
何か空気が違う、ここだけ何か涼しい、
誰かに見られている、
そんな気がしました。
どこに地下壕の入り口があるのか…?
あった!
入り口は狭いですね。
当時の日本軍将兵は
現在の日本人よりも
小柄だったと思いますが
それでも窮屈そうです。
陸軍中将という将軍クラスでも
このような地下壕に居たのか…。
オッサンはこのくらいにしておきます。
ドラゴンクエストみたいに
洞窟探検はできませぬ。
準備もなく単独で行動すると
生還できない可能性すらありそうです。
線香もお供え物も持参していませんが、
水だけ供えて(撒いて)
全ての英霊が成仏することを願って
帰ることにいたしました。
帰る途中で何カ所か分かれ道があって
その分かれ道はきちんと舗装されています。
方向からして航空基地へ向かっているのか、
行ってみようかと思ったけれど
知らないうちに滑走路を横切ったりしたら
自衛官が複数現れて猛烈に
怒られる気がして止めときました。
車に轢かれるどころか、
離発着する飛行機を妨害したとか
飛行機に轢かれたとか…
絶対ヤダ。
さて、皆さん、
この兵団司令部壕を訪れた翌朝、
2枚下の画像の右側の
時計バンドが切れかけていたのです。
そんなに古くはないから、
まさかここで切れかけるとは…。
そして、さらにその翌朝。
左の時計のバンドが
完全に破断して分離していた。
寝る前に外した時にはヒビもなく異状なし。
オッサンが寝ている間に何があった?
もしかして、日本軍の英霊が憑いたのか?


もしかして、日本軍将兵の英霊の仕業?
それともバンドの寿命が偶然ほぼ同時に?
またはオッサンの自作自演?
今回は10回にわたる硫黄島の記事、
読んでいただきありがとうございました。
少しでも硫黄島のことを
知って、覚えていただけたら
オッサンがブログに
書いた甲斐があったというものです。
読書の皆様が行くことは困難な島ですが、
もし機会がありましたら…
今回の硫黄島の記事が役に立つかも
しれませんね。
〜終〜
前回までは宿舎から見て、
硫黄島の摺鉢山方向を移動したので
今回からは反対方向に進みます。
日本軍の地下壕なのか、
それとも米軍側の砲撃痕なのか、
又は両方なのか。
この台地そのものが日本軍の陣地だったのか。
島全体が要塞化されていたのが
素人目にも良く分かる。
離れた場所から海を見ると、
穏やかな海に見えますが…
実は波高が2m以上ありまして
遊泳するにはちょっと危険。
サーファーの方にとっては
良い波なのかもしれませんが。
それにしても良い天気でした。
本土では雪が降って寒い時期でしたが。
場所は変わっても、火山性ガスがプシュ〜。
島全体が火山の一部ですからね。
先日、ヤフーニュースに
硫黄島は1年に1mほど隆起しているという
記事があったな。
道中、「壁画」という看板を見つけた。
何があるのかと寄り道してみれば、
銃砲弾の痕跡がある岩がありまして。
ここを訪れた米軍人と思われる人と
日本人の名前の彫り込みが多数。
そしてすぐ近くにも地下壕が。
米軍側としては硫黄島占領を
輝かしい功績として誇りとしている
気持ちがよく分かる。
宿舎から壁画まで徒歩で1時間半くらい
その間にもたくさんの地下壕の、陣地の、
跡を示す石碑がありました
過酷な環境の、それぞれの地下壕の中で
帰りたくても帰れない硫黄島で
逃げたくても逃げ場のない絶海の孤島で
日本陸海軍将兵はたとえ負傷したとしても
断固として捕虜になることを拒み
自ら命を絶った将兵もおられたことでしょう
現在も硫黄島に眠っている
約10000柱の将兵の遺骨が
それぞれの故郷に帰る日が来ることを
願わずにはいられなかったなぁ…
それができるのは現在、未来を生きる人々のみ
教科書では(おそらく)習わない
大抵の人は生涯訪れることがない
小さな島の歴史の1ページを
知っていただけたら
…そう思いました。
当時の将兵も同じ月を見ていたはず。
どのような想いで見ていたのでしょうね。
〜続く〜
コンビーフと炒めると合う野菜は?
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ジャガイモとかキャベツが合いそうだな。
オッサンはスーパーに食材を買いに行った。
鶏肩小肉…これ何なん!?
見たことないような部位やな。
鶏肉で安いといえば、胸肉。
胸肉よりも安いか、同等の価格ではないか。
しかも切らなくて良い、丁度いいサイズ。
すぐ調理するのなら割引品でも良いと思う。
気にしないし、お得感がある。
炒めて塩コショウで味付けしていただいた。
鶏モモ肉と鶏胸肉を足して2で割ったような、
程良い柔らかさとジューシー感。
脂っこくなく、加熱でパサパサにもならず。
とても美味しゅうございました。
油を引かないで焼けるし
出てきた旨味のある脂分で野菜も炒めたし
明日の弁当はこれで決まりさ
後で調べたら、鶏肩肉は焼き鳥屋さんでは
「ふりそで」とかいうんだな。
鶏モモ、鶏胸、ササミ、レバー、手羽とか
有名なところしか考えたことなかったけど、
また見かけたら買っても良いな。
こどもの頃に何度も読んでた本は?
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子供らしく童話を読んでた。
耳鼻科とか、小児科とか、
通院したことがあるけれど
そういうところに限って
家にはないお気に入りの本ができたりして…
病院には行きたくないけど
本を読みには行きたいという。
この気持ち、分かるかなぁ?
さて、かなり久しぶりなんですが
うちのワンコたちも元気です。
今日はポコイの顔まわりだけをカットした。
激闘の結果、1時間半くらいかかったわ
やるからには半日くらいは
時間かかる覚悟でやらねばならぬ。
14歳の老犬になっても、反骨心は衰えぬ。
「おい、飼い主のオッサン!
俺様は生涯、人間には負けへんで!
嫌なもんは、何があっても絶対に嫌なんや!
俺様の顔まわりをカットするヤツは
咬む噛むエヴリバディやからな。
もう怒ったで
とりあえず、謝れ!謝罪せえ!!」
気持ちは分かるけど、伸ばすのも限界が…。
強引に抑えてでも顔まわりをカットしたのは
悪いとは思っている…すまぬ
ていうか、目や口周りカットする時は
危ないし、すぐ終わらせるから暴れるな!
…と言いたい。
ビフォー
安心と信頼の扱いやすさNo. 1のレオ。
今月で13歳になります。
今後も末長く元気でいてもらいたい。
「飼い主のオッサン、
僕はまだカットする気ないですよね!?
それよりもご飯の時間ですよ。」
茶々は左眼のマイボーム腺腫の切除をして
スッキリしましたね。
心臓とIBDの投薬は必要ですが、
まだまだ元気です。
「飼い主のオッサン、帰ってくる時には
お土産で美味しいもの忘れないでね!
さて今日は何かしら…え?手ぶら!?
はぁ…今日はもう、帰ってちょうだい。」
ビフォー
マイボーム腺腫とは
目の付近にできる良性腫瘍。
生命に危険はないけど、角膜を傷つけないか
心配なところではありました。
落ち着きの無さとイタズラっ子No. 1。
いくら叱っても言うことをきかない悪いヤツ。
でも、キツく叱ってもすぐ寄ってくる。
そういうところがかわいかったりする。
ムックも投薬は必要ですが、元気いっぱい。
「飼い主のオッサン、遊びましょ〜!
怒ってばかりより、はい笑って笑って。
今から何して遊びますか?」
ムックのライバル、ライも元気です。
唸りあったり、時には本気でケンカしたり、
身体は小さいけれども強気な子。
人間と茶々が大好き…というか、
遊び相手!?
「飼い主のオッサン、何ですか?
僕を撫でたいの?
仕方ないから、撫でるのを許可します。
ただし、ムックより長時間、丁寧にね。
アイツにだけは負けたくないですから。」
さて、オッサンは昨日(4月1日15時頃)、
3回目の新型コロナワクチン接種を
受けてきました。
1、2回目はファイザー製でしたが
3回目の今回はモデルナ製ワクチンでした。
副反応で熱が出ることが多いと聞きますが、
4月2日23時半の現在まで
体温は36度台を維持しています。
接種した付近に若干の筋肉痛はありますが、
特に意識することがない程度です。
明日はどうなるかな…?
熱が出たらどんな感じか書こうと
思っていましたが。
現在はまん防など全国で解除されていますが
本日も全国で5万人近くが感染しています。
暖かくなって桜も咲いて花見などの行楽で
楽しい気持ちは分かるけど…
ワクチン接種を受けようが受けまいが
感染対策は今までどおりしっかりと。
トイレへ行きたいオッサンはこの時、
無心で駆け抜けております。
だがしかし、何か見つけると、
つい立ち止まってしまい見てしまう。
仕方あるまい、もう多分、
硫黄島に一生来ることはないだろうから。
何か写り込んだな…多分、指か。
グーグル先生にお尋ねすると
再会の碑というものらしい。
昨日の敵は、今日の友。
確かに良い言葉だとは思う。
しかし、米軍機が離発着する時は
ヒャッハー!退け!日本の航空機どもよ!!
というのが現実。
ある意味、敗戦国とか戦後は
まだ終わっていないように感じます。
ロシアとウクライナ…
ソ連時代は一つの国だけど、今日は敵。
言葉のようにはいかないのが現実か…。
今日の訓練も、ご安全に!
さて、かなり宿舎に近い所まで
帰ってきましたよ。
向こうに現代の建物やトラックが見える。
硫黄島は航空基地の島ゆえに
自衛隊や米軍の人がほとんどなんですが、
工事関係者など民間企業の方も
ある程度の人数が滞在しています。
プレハブ宿舎に滞在しているんですね。
一応、民間人の方が利用する売店も
あるんです。
時間限定、商品の品揃えも限られてますが
あるんです!
その近くにはB-29爆撃機のプロペラが。
じゃあ、コイツはB-29の胴体か?…
と、思っていたら
このガラクタはB-29ちゃうで、
クラッシュした輸送機やで!
という内容の英文がテプラで貼ってあった。
日本軍の対空機関砲の残骸ですかね。
さて、ここから宿舎は目の前。
オッサンはトイレに行き用を足せました。
ええ歳して、お漏らしはしなかった!
我ながらよく耐えた、感動した!!
さて、このような硫黄島ですが…
人間は、生きるためには食事が必要です。
食事についても触れてみたいと思います。
宿舎のあるエリアの一角にあるのは
硫黄島食堂。
この硫黄島食堂は自衛隊基地のものですが、
民間人にも解放しています。
何故かというと、硫黄島唯一の食堂です!!
ここで食べないということは
売店のカップ麺やお菓子しか
食べられず栄養が偏るのは確実。
中は撮影できませんが、
自衛隊員も米軍も民間人も黙食。
感染症対策ですね。
テーブルに座るのも対角線しか椅子がない。
島ゆえに食料や水は大切ですから、
調理員の方々の残飯ゼロを目指す
強い熱意が印象的でした。
「列にあと15人並んでますから、
あと15枚だけ肉を焼きます!」
みたいな感じで、
キッチリ人数を把握してました。
この硫黄島に滞在するのには
入島許可証みたいなのがありますが、
硫黄島食堂で食事をする時は
これを持参しないといけません。
ある時、民間人のオッチャンが3人、
入島許可証を持たずに食堂に来て並んで
セルフで盛り付けをしてましたが…。
自衛隊調理員
「すみません、入島許可証を
持ってきてもらって良いですか?
まだ閉めるまで時間の余裕がありますし。」
↓
民間人のオッチャン
「あぁ、次回から持ってくるからええやろ。
もう並んでるし、盛り付けの途中やし。
ほな、いただくで〜。」
↓
自衛隊調理員
「ここは入島許可証を持参しないと
食事はできないと知っているでしょう!?
アンタええ歳して、こんなことで指導されて
恥ずかしくないんか!?
アンタを許して、皆んな同じように
許可証を持たずに来られたら迷惑なんや!
盛り付けの途中でも取りに行きなさい!」
民間人のオッチャンはしぶしぶ入島許可証を
取りに行ってましたが、食卓に付いてからも
しばらく文句を言ってたけど…黙食ですよ。
やはり厳しいね、自衛隊の規則厳守は。
さて、オッサンはおとなしく
食事をいただきます。
ガツガツ、ガッツ石松。
ごちそうさまでした!
何か、視線を感じるけど気のせいか?
決して量は多くはないが、
必要な栄養はちゃんと考えてメニューが
決められているのでしょう。
硫黄島では太めの自衛隊員は見なかったな。
ランニングしている人も多かったし、
コンビニで夜食を買い食いとかできないから
健康的な生活になっているのか。
いや、売店はあるけどね。
品揃えとか、いろいろ諸般の事情がね。
ともかく、硫黄島ではここしか
食べる所はありませんよ、という話です。
僕もご飯食べたいニャ〜!
食事の時間になると、
付近の猫ちゃんがニャ〜ニャ〜と
食堂付近に集まってくるんですよ。
〜続く〜

