無事に帰国し、子供達も学校やデイケアへ復帰。しかし休校があったりしてまだ子供二人同時にいないことがないので、お一人様が待ち遠しい(笑)
それでも。
オーストラリアに帰国した私は水を得た魚のよう。
青い空
青い海
白い砂浜
たくさんの緑
とにかく広い空間
道歩いてるだけで話しかけてくる人
世間話をするレジの店員
とにかく適当な人達(笑)
地球のエネルギーを感じられてsoulが潤っていく感じがする。
体は疲れているけど、充電されていくのを感じる。
そして何より解き放たれたかのように自由な気分!
あえて海外生活10年目記念に日本人目線で滞在しちゃったから、ずっと窮屈だったんだなー。常識、柵(しがらみ)、遠慮、謙遜、競争、、、、苦手なんだよね私(笑) どどどーーーーんっと感じるよねやっぱ!
次回はツーリスト気分で滞在しよっと。
帰宅して冷蔵庫に何もないから、食材の買い出しに行こうと思ったら夕方5時で。
あ!ここ田舎だから週末4時半でスーパー閉まるんだった!と思い出した。
ちょっと遠くの、割高のスーパーに足を伸ばしつつ気づいたことがあった。
日本に比べるとオーストラリア,
特に田舎の暮らしって不便なんだよね。
電車はないし、チョイスの少ないレストランは9、10時に閉まるし、かなり割高で品揃えの悪いコンビニだって7字までやってればいい方で、とにかく売られてる物が少ない。何かが欲しいと思った時の選択肢は日本の1/10くらいじゃないかな?
日本はどこまでも便利で、痒いところに手が届くサービスもいっぱい。お金で便利が買える世に中だと思う。ぱっと見キラキラしててスマートな暮らしを送れそう。
でも便利さを求めてすぎて失ってしまったものもいっぱいある。ないならないでやっていくという感覚、どうしたら便利になるだろうと自分で考える力、本当に必要なものを見極めるということ。
そういうのは便利な社会で暮らしてると別に必要ないからね。
便利さを追求した結果、逆にいらない物で溢れて、そこに本当に必要な物が埋もれてしまうような気がする。
こんな言い方したら娘が大人になったら怒られてしまうかもしれないけど。
むしろ障害があって不便なくらいの方が、本当に必要なもの、ものの本質、ありのままの幸せに気づけたりするんじゃないかと思ってしまった。だって、上記の失ってしまったものが必要になってくるから。
ちょっとずれるけど例えば私と師匠の会話を例に出すと。私の仏語は語彙が限られているし、5歳レベルで不完全だからこそ。
会話の本質に迫って少ない言葉でありのままを伝える努力がいつも必要とされる。正しい会話ではなくても、大事な事はむしろ日本語より伝わりやすいと思ってる。
そんな感じで。
ちょっと不便なくらいの方が、実はありのままの幸せに近いんじゃないかなー?
いや、やっぱりそれは手足が動く私の都合のいい考え方?
なんて思ってしまった日本滞在だった。
私が日本にいない間にできていた断捨離という言葉、よく意味を調べてみたら正に私がいいたいことをまとめてくれたような言葉!
便利とか常識とかもったいないとかそういう感覚をいったんおいといて、身の回りのもの、人間関係、考え方全てにおいて、不要なものをなくしていったら、ありのままの幸せに気づけるんじゃないかな?
共感していただけたらぜひシェアを!ありのままの幸せを今日も大切に。
PS、ちょっとお休みしていたフードコーチング、書きたいことが多すぎてひとことで終わらないのです。。
興味ある方がいるようならフルのブログにしようかな?