平成オトコ塾
昨年末に読んで、当ブログにも少しだけ感想を書いた「平成オトコ塾」という本をパラパラと見返していたら、
「特定の人間の特定のライフスタイルを実現するために政策が介入することは正当化され得ない」
という記述がありました。
これは、「格差社会のせいで結婚できない若い人が増えている。だから格差をなくそう」
という考え方に反論する根拠の一つとして述べられたものです。
すなわち、上の考えで言う「結婚できない人」とは「結婚できない男」のことであり、
とすると、このような考え方は「男は外で金を稼ぎ、女は家庭で無償労働」という図式に基づくものであって、
結局この図式を強化することにつながるので正当化され得ない、ということです。
まあ指摘の通りなのかもしれませんが、
政策が介入するしないのはるか以前の段階として、「金を稼いでこそ男」という考えが社会全体に根強くあり、
多くの人がその考えに従った選択をしたいと思っているからこそ、
結果的に上のような政策的提言が出てくるわけなので、
その点では仕方がないのではないでしょうか。
別の言い方をするなら、
特定の価値観やライフスタイルが現に幅をきかせている中で、
「自分もその通りの生活がしたい」と思う人が多くいたとして、
それを支援するような政策は本当に許されないのだろうか、ということになるかもしれません。
付け加えるなら、
「特定の人間の特定のライフスタイルを実現するために政策が介入することは正当化され得ない」
という主張は、僕はその通りだと思いますし、多くの人も異論を唱えないと思うのですが、
気づかないうちにこれに反する政策がとられて、
しかも多くの人が賛成していたりするのではないでしょうか?
例えば「子ども手当」なんかがそうだと思います。
「異性愛者で、恋愛・セックスする相手がいて、不妊症でなく、かつ、子どもを育てたいと思っている」という、
まさに特定の人間の特定のライフスタイルを実現するための政策だと思うのですが・・・。
タバコ税増税などは、言うまでもありません。
「特定の人間の特定のライフスタイルを実現するために政策が介入することは正当化され得ない」
という記述がありました。
これは、「格差社会のせいで結婚できない若い人が増えている。だから格差をなくそう」
という考え方に反論する根拠の一つとして述べられたものです。
すなわち、上の考えで言う「結婚できない人」とは「結婚できない男」のことであり、
とすると、このような考え方は「男は外で金を稼ぎ、女は家庭で無償労働」という図式に基づくものであって、
結局この図式を強化することにつながるので正当化され得ない、ということです。
まあ指摘の通りなのかもしれませんが、
政策が介入するしないのはるか以前の段階として、「金を稼いでこそ男」という考えが社会全体に根強くあり、
多くの人がその考えに従った選択をしたいと思っているからこそ、
結果的に上のような政策的提言が出てくるわけなので、
その点では仕方がないのではないでしょうか。
別の言い方をするなら、
特定の価値観やライフスタイルが現に幅をきかせている中で、
「自分もその通りの生活がしたい」と思う人が多くいたとして、
それを支援するような政策は本当に許されないのだろうか、ということになるかもしれません。
付け加えるなら、
「特定の人間の特定のライフスタイルを実現するために政策が介入することは正当化され得ない」
という主張は、僕はその通りだと思いますし、多くの人も異論を唱えないと思うのですが、
気づかないうちにこれに反する政策がとられて、
しかも多くの人が賛成していたりするのではないでしょうか?
例えば「子ども手当」なんかがそうだと思います。
「異性愛者で、恋愛・セックスする相手がいて、不妊症でなく、かつ、子どもを育てたいと思っている」という、
まさに特定の人間の特定のライフスタイルを実現するための政策だと思うのですが・・・。
タバコ税増税などは、言うまでもありません。
東京都交響楽団のコンサート
もう一か月近く前の話になりますが、
昨年12月18日にサントリーホールで東京都交響楽団のコンサートを聴いたときのことを書いていませんでしたので、
今更ですが覚えている範囲で感想を書いておきたいと思います。
この日のプログラムは、シューマンのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲7番でした。
指揮はジェイムズ・デプリーストさん、ヴァイオリンはイザベル・ファウストさんでした(僕は二人とも知りませんでした)。
僕はシューマンのヴァイオリン協奏曲がすごく好きで一度生で聴いてみたいと思っていたので、忙しい中行ってきました。
全体的にとても良い演奏だったと思うのですが、今ひとつ音楽に入り込めませんでした。
僕が疲れていたせいかもしれません。
P席だったのも関係あるかも・・・。
シューマンのヴァイオリン協奏曲に関しては、
もう少し、狂ったような感じというか、鬱屈したパッションのようなものを感じさせてほしいと思いました。
ソロだけでなくオーケストラも。
単に美しく弾くだけでは、少し物足りないような気がしてしまうのです。
とはいえ、やはりいい曲だと思いました。
この曲を作曲したとき、シューマンは精神を病みつつあったそうですが、曲を聴くとそれが納得できます。
狂った感じ、じりじりする感じ、というのが伝わってきます。
ところでこのヴァイオリニストはアンコールにバッハの曲を演奏してくれたのですが、
実はこちらの方が良い演奏なのではないかと思いました。
シューマンは譜面を見ながらでしたが、バッハは暗譜でしたし。
後半のブルックナーに関しては、既に記憶が曖昧になっているので、特に書けることがありません。
そういえば、僕の両隣の人は、終始寝ていました。
一般的にはそういう曲なのかもしれませんね・・・。
特にブルックナーは長いですし、シューマンも今ひとつ盛り上がりに欠けるのかも。
盛り上がってるんだけど、盛り上がりきれずくすぶっちゃってるというか。
昨年12月18日にサントリーホールで東京都交響楽団のコンサートを聴いたときのことを書いていませんでしたので、
今更ですが覚えている範囲で感想を書いておきたいと思います。
この日のプログラムは、シューマンのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲7番でした。
指揮はジェイムズ・デプリーストさん、ヴァイオリンはイザベル・ファウストさんでした(僕は二人とも知りませんでした)。
僕はシューマンのヴァイオリン協奏曲がすごく好きで一度生で聴いてみたいと思っていたので、忙しい中行ってきました。
全体的にとても良い演奏だったと思うのですが、今ひとつ音楽に入り込めませんでした。
僕が疲れていたせいかもしれません。
P席だったのも関係あるかも・・・。
シューマンのヴァイオリン協奏曲に関しては、
もう少し、狂ったような感じというか、鬱屈したパッションのようなものを感じさせてほしいと思いました。
ソロだけでなくオーケストラも。
単に美しく弾くだけでは、少し物足りないような気がしてしまうのです。
とはいえ、やはりいい曲だと思いました。
この曲を作曲したとき、シューマンは精神を病みつつあったそうですが、曲を聴くとそれが納得できます。
狂った感じ、じりじりする感じ、というのが伝わってきます。
ところでこのヴァイオリニストはアンコールにバッハの曲を演奏してくれたのですが、
実はこちらの方が良い演奏なのではないかと思いました。
シューマンは譜面を見ながらでしたが、バッハは暗譜でしたし。
後半のブルックナーに関しては、既に記憶が曖昧になっているので、特に書けることがありません。
そういえば、僕の両隣の人は、終始寝ていました。
一般的にはそういう曲なのかもしれませんね・・・。
特にブルックナーは長いですし、シューマンも今ひとつ盛り上がりに欠けるのかも。
盛り上がってるんだけど、盛り上がりきれずくすぶっちゃってるというか。
応援の言葉
先日、しばらく連絡していなかった友人に久々にメールを送りました。
でもその後、何となくすっきりしない感じが残りました。
しばらくしてから、「お互いに頑張ろう」という言葉を送ったことが原因かもしれないと思いました。
なぜならおそらく彼は既に頑張っているから。
頑張っている人に対しての応援の言葉はないのかな、と思って検索してみたら、
「応援しています」というのがありました。
「頑張れ」よりはこちらの方がうれしいかもしれませんね。
もっと考えてから送れば良かったとちょっと後悔しました。
でもその後、何となくすっきりしない感じが残りました。
しばらくしてから、「お互いに頑張ろう」という言葉を送ったことが原因かもしれないと思いました。
なぜならおそらく彼は既に頑張っているから。
頑張っている人に対しての応援の言葉はないのかな、と思って検索してみたら、
「応援しています」というのがありました。
「頑張れ」よりはこちらの方がうれしいかもしれませんね。
もっと考えてから送れば良かったとちょっと後悔しました。
読書記録
澁谷知美「平成オトコ塾ー悩める男子のための全6章」という本を読みました。
以下、感想を書きます。
内容が多岐にわたっていますが、全体的に面白いし、共感できる部分が多いです。
モテるモテないは当人の努力だけでどうにかなる類のものではないと認め、
非モテが搾取され続けるような現在の恋愛至上主義社会には問題があり、
非モテでもハッピーに生きられるようにしなければならないと主張してくれます。
そして、若年者の非正規雇用問題と比較しつつ、
「自己責任っていうな!」を合い言葉に、
「思想的セーフティネット」を作ることを提案します。
ところが残念なことに、
この思想的セーフティネットが極めて貧弱なものでしかありません。
現実の女性でなくてアニメやゲームの中の「2次元異性」でもいいじゃないか、
という本田透氏の主張以外に著者が提案するものとしては、
男女の恋愛関係だけを特別と考えず、男同士の友情に癒しをもとめてもいいじゃん、
という主張だけです。
「現実の女と恋愛できないような男は負け組」という風潮の強い現在の恋愛至上主義社会の中で、
現実の女性でなく2次元異性や男同士の友情でもいいや、
と達観できるような非モテはほとんどいないでしょう。
そして、「そうは思えない、やはり現実の女の子と恋愛がしたい」
と感じてしまう人が現に苦しんでいるというのに、
著者の提案では何の解決にもなっていません。
それに著者も書いている通り、
男同士の友情だって簡単に作れるものではありません。
恋愛できない人の中には、
人とうまくコミュニケーションをとれず親しい友人もいない、作れない、
という人も多くいるはずです。
僕がそうであるように。
著者はそのような人たちに対しても、「自己責任ではない」といってくれるのでしょうか。
それともそのような人たちはさすがに自己責任であり、
親しい人間関係が作れるよう努力せよ、ということになるのでしょうか。
もう少し突っ込んだ考察が欲しいと思いました。
以下、感想を書きます。
内容が多岐にわたっていますが、全体的に面白いし、共感できる部分が多いです。
モテるモテないは当人の努力だけでどうにかなる類のものではないと認め、
非モテが搾取され続けるような現在の恋愛至上主義社会には問題があり、
非モテでもハッピーに生きられるようにしなければならないと主張してくれます。
そして、若年者の非正規雇用問題と比較しつつ、
「自己責任っていうな!」を合い言葉に、
「思想的セーフティネット」を作ることを提案します。
ところが残念なことに、
この思想的セーフティネットが極めて貧弱なものでしかありません。
現実の女性でなくてアニメやゲームの中の「2次元異性」でもいいじゃないか、
という本田透氏の主張以外に著者が提案するものとしては、
男女の恋愛関係だけを特別と考えず、男同士の友情に癒しをもとめてもいいじゃん、
という主張だけです。
「現実の女と恋愛できないような男は負け組」という風潮の強い現在の恋愛至上主義社会の中で、
現実の女性でなく2次元異性や男同士の友情でもいいや、
と達観できるような非モテはほとんどいないでしょう。
そして、「そうは思えない、やはり現実の女の子と恋愛がしたい」
と感じてしまう人が現に苦しんでいるというのに、
著者の提案では何の解決にもなっていません。
それに著者も書いている通り、
男同士の友情だって簡単に作れるものではありません。
恋愛できない人の中には、
人とうまくコミュニケーションをとれず親しい友人もいない、作れない、
という人も多くいるはずです。
僕がそうであるように。
著者はそのような人たちに対しても、「自己責任ではない」といってくれるのでしょうか。
それともそのような人たちはさすがに自己責任であり、
親しい人間関係が作れるよう努力せよ、ということになるのでしょうか。
もう少し突っ込んだ考察が欲しいと思いました。