Appassionato -13ページ目

魚の目

突然きたない話でアレですが、
足の裏に皮膚が異様に固くなってる部分があるのですが、
これって魚の目って言うのでしょうか?
昨晩の風呂上がりに、
爪切りを使ってプチ手術を敢行いたしました。
ところが魚の目というだけあってホントに根が深いです。
なかなかきれいにとれません。
誰かよい方法を知りませんか?

後輩

先日、後輩と飯を食いに行きました。
大学で野球をやっていた時の後輩です。
僕と違い、優秀な選手です。
ところが野球選手としては優秀なのですが、
社会人としてやって行くには???なところがありまして、
なんと会社を休職中だそうです。
社会不適合なところは僕と同じなので、
ある程度は彼の苦労とか辛さのようなものはわかるつもりですが、
彼は僕よりもはるかに繊細なところがあるので、
想像できないほど苦しんでいるのかもしれません。
彼のような人はどのように行きて行くのが良いのでしょうか?
とりあえず僕自身は、彼が働いていようといまいと、
彼の魅力はある程度わかっているつもりだし、
尊敬もしてるので、
そのようなことだけは言ってあげたのですが・・・

秋ばて

今日は12:00近くまで寝てしまいました。
いくら休日だからってまずい。
なんか、ちょっと疲れてる気がします。
秋ばてかな?
規則正しい生活を試みよう。

秋の気配

今朝はとても涼しいですね。
自転車をこいでいても全然汗をかきません。
夏があっという間に終わってしまった感じです。
D論に向けてこれからますます忙しくなるはずです。
さあ、がんばろう。

ルサンチマン思想と少子化?

前回の少子化についての記事で、
子ども手当なんて森発言と同じ考え方なのではないか、
と書きましたが、それに対して以下のような反論・再反論を考えました。

その反論とは以下のようなものです。
「子どもを産み育てることは国のために役立つことだからという理由で
子ども手当を支給して子育てを支援する訳ではない。
そうではなく、経済的な理由で子どもを産むのを断念することがないように、
あるいは子どもを産んだことで経済的・社会的に著しい不利益を被らないように、
という考えで支給するのだ。
国にとっての都合は関係なく、あくまで個人の援助が目的だ。」

しかし、これに対しては再反論可能と思います。
「ならば、同じ理由で、旨いものを食うことに対しても、ベンツを買うことに対しても、
旅行に行くことに対しても、手当が支給されるのか?」
というようなものです。
上のようなものに対しては援助は行わずに、
子育てに対してだけ援助を行うことが正当化され得るとしたら、
その理由はやはり、子どもを産むことが国のため・社会のためになるから、
というものになるでしょう。
というわけでやはり森発言と同じ考え方であることを認めなければ
子ども手当など支給できないのです。

なぜ僕がこんな曲がった(?)考えをしてしまうのか、
その根底にはやはり女の子にもてないことがあるのです。
つまり僕にとって子どもをもつことなど贅沢にほかならないのです。
こんな考え方のことをルサンチマン思想というのでしょうか?