・・・と、私は長らく感じている。

 

もともと「ウンドー」は苦手だし、正直興味もないし、

それと「ウンドーシンケー」も生まれつき悪いらしいし

(中学生のとき体育教師に「オマエウンドーシンケーワルイな」と言われたので

 きっと科学的にもそうなのだろう)、

どうにもウンドーをするために集団を成している人々が

生理的に苦手である。

すべてがそうではないだろうとアタマでは判っているが、

それらの集団の多くは有毒男性性の巣窟なのだろうなと思っている。

(その中に凸入したことはないので

 実際のところは知らないし、知りたくもない)

 

最近、私のこの感覚を一言で説明してくれる言葉が現れて

私はとても助かっている。

 

私はウンドーシンケーは良くないらしいが

身体を動かすこと自体は好きである。

なので(前述のとおり)ジムにはせっせと通って

重いものを持ち挙げたりしている。

 

ここ最近は、時間貸しタイプのジムに通っていたのだが、

自宅のすぐ近くの公共施設にあるトレーニング室が

一般にも開放されているのを知って、行ってみることにした。

 

その公共施設は、私の苦手なウンドー集団の人々が

集団で何かの練習をしたりするための施設なので、

私のような個人利用者の入る隙はないと思っていた。

しかし、ウンドー集団が占有していない時間帯なら

個人にも開放されているのを知ったのだ。

 

ジムに行くと、単品有毒男性がちらほらいる。

私には嫌な予感があって、ここのトレーニング室にも

そういう個体がいるのでは?と思っていた。

私の予感は半分的中した。

 

私がトレーニング室に入ったときには他に誰もおらず、

私一人だけだったのだが、

一時間くらい経って、無酸素運動を終わりにして

有酸素運動を始めようかな、という局面で

有毒男性が入ってきた。

 

有毒男性、ご挨拶ができない。

有毒男性、マナーを守れない。

有毒男性、無駄にデカい効果音を起こす。

 

最後の三点めは、トレーニーとしても承服しかねる行為である。

 

バーベルを高いところから床に落とす。

これは、ウェイトを扱えるだけの十分な筋力がないことを示している。

そもそも動きが美しくないので、

そういうガサツなムーヴをやってのける。

私は美しくないウンドーは大嫌いである。

 

有毒男性、デカい音を鳴らせば尊敬されると思ってる。

 

私はすっかりゲンナリして、トレーニング室を後にした。

せっかく有酸素運動ができると思ったのにな。残念である。

 

家に帰ってきてからいろいろ考えた。

ああいう有毒男性にめげずに、

そーいう環境にも順応していったほうがいいのではないか。

そのくらい図太くなったほうがいいのではないか。

 

うーん、ムリ!!(笑)

 

有毒男性性に順応するくらいなら、

ウンドーなんかやめたほうがいい。

身体を動かすのは好きだけど、

毒に触れるくらいなら、やらないほうがいい。

 

というわけで、元の時間貸しジムに戻ることにしましょう。

毒を喰らってまでウンドーする筋合いはない。

 

まあ、あんな中途半端な筋力なのに

なんかのスポーツに参加しちゃってるのを見ると、

有毒男性が挙って寄り集まって集団ウンドーとかしちゃってるのは、

やはり私にはどーでもよい代物なのだな、と再確認した。

 

その話とは全く別に、

私は自らの身体性を何かしらの方法で追究したいのである。

未だにどうやったらいいのかの方法論は不明である。

唯一思いつくのは合気道を修めることだが、

それが当たっているのかはわからない。

 

大雑把で雑な動きしかしない集団ウンドーよりも、

はるかに精緻な身体の使い方を修めたいのだ。

したがって、高いところからバーベルを床に落とすなど

論外である。

そんな「悪い例」を見るために

私はジムへ行っているわけではない。

 

黄金週間だが、私はどこにも行かない。
混雑しているのがわかっているのに、わざわざそんなところには行かない。

その代わり(?)ジムへ行く。
 

私が通っているジムは、貸し切りタイプのジムである。

その分割高だが、自分のペースを保てるし、

他の人を気にしなくて良いので、

気が散りやすい私にはピッタリのトレーニング環境を提供してくれる。

 

一昨日大胸筋と周辺のパーツを鍛錬して、

48時間が経過したので、超回復するタイミングで

今日も大胸筋周辺メニューである。

 

トレーニング歴だけは長くて、かれこれ20年以上なのに

ちっとも大胸筋は発達しない。

体質も関与しているだろうから、元々筋肉が肥大しにくいのは判っている。

それにしても、もうちょっと発育してくれても良さそうだ。

 

ぼんやり自覚してきたことは、

トレーニングだけはしていたけれど、

標的の筋肉に効いていなかったのだろう、ということだ。

大胸筋は意識しやすい筋肉のはずだが、

いざベンチプレスを始めると、途端に意識できなくなる。

大胸筋よりも三角筋を動員してしまう癖があるのはわかっているが、

それを大胸筋へシフトする方法が判らない。

 

過去にトレーナーさんについて鍛錬していたときは、

鬼トレーナーに追い込まれて、引きずられるように

maxが伸びたのだが、それを自力で維持することは

結局できなかった。

それでは意味がない。

 

そこから離れ、一度リセットされた状態から

もう一度鍛錬を始めたところだ。

トレーナーにはとにかくmax増加を目指せと言われていたので、

大胸筋にきちんと効いているかどうかよりも、

maxという数値的結果がすべてになってしまっていた。

maxが伸びる傍らで、大胸筋がちっとも意識できず、

目立って発達するでもなかった。

私はそこがたいそう不満だった。

 

平常時に大胸筋を意識して動かすことはできる程度に

意識することはできるが、

いざウェイトを持ってしまうと、途端にその意識が散ってしまう。

そこを統合するのが目下の課題。

 

方法論は単純で、

意識ができるだけ散らない範囲の負荷を掛けて、

三角筋(や大腿筋・背筋・腹筋)を動員せずに

大胸筋を動員できるよう意識することだ。

殆ど負荷にならないくらい

軽いウェイト(スミスマシンのシャフトだけ、など)を使って

大胸筋だけを使って挙上する動作をじっくり繰り返す。

 

再開してまだ一か月しか経っていないので、

まだ有効に意識できるところまで到達していないし、

もちろん筋肥大も起こっていない。

まだまだこれからだ。

 

とはいえ、大胸筋を動かすだけで

ちょっと「効いている」感覚は確実に得られるので、

今のところはそれだけでも満足している。

(こういう単細胞さも私には必要だ)

某三重県某桑名市の認定こども園で起きた

「給食完食強要事件」。

この記事を読んで思ったことがいくつか。

 

2023年5月3日(水)

「給食食べるように」約4時間指導 園児は“トイレに行けず”失禁 桑名市の認定こども園 「不適切な行為あった」と調査

保育士は自宅待機 園長は辞職の意向

 

三重県桑名市にある認定こども園で、園児に給食を4時間にわたって食べさせるなど、不適切な行為があったとして、市が調査を行っていることが分かりました。

 

桑名市によりますと、市内にある私立「長寿認定こども園」で、昨年度、給食を食べ切れなかった園児1人に対し、保育士がおよそ4時間にわたって食べるように指導を続けたということです。園児はトイレに行けず失禁してしまったということで、ことし3月、保護者から市に相談があり発覚しました。

 

桑名市が園への聞き取りなどを進めたところ、園も事実を認めたということです。

 

桑名市は現在、立ち入り調査を行い、今回の行為が起きた原因や、他に虐待が疑われる行為がなかったかなど聞き取りを進めています。

また、この保育士は現在、自宅待機をしていて、園長は辞職の意向を示しているということです。

 

桑名市は園に臨床心理士を派遣するなどして児童のケアにあたっています。

 

1. 自分もこれと全く同じことをされた

 

小学校1年生のときに、これをされたことがある。

私は当時偏食(好き嫌い)がいろいろあり、

給食は極めて嫌な時間だった。

 

どうしても食べられない食材が入っていて、

私は給食の時間が終わっても、完食するまで食べ続けさせられた。

記憶は途切れ途切れだが、

午後の授業が終わって掃除が始まっても、

何故か立たされたまま、食べさせられ続けた。

今考えると掃除の埃が舞う中で食べるなど、不潔極まりなかった。

 

つまり、これは虐待なのだ。

教育的な効果など、微塵もない。

虐待ということは、大人側のガス抜き・ストレス発散でしかない。

 

その後、私の好き嫌いがなくなることもなかったし、

食べきれない給食をその後も完食するまで強要され続けたのかは

記憶がない。

何故立たされていたのかも記憶がない。

つまり、こんなことに教育的な効果などないのだ。

 

私が幼少の砌に被った心的外傷は、どうしてくれるのだろうか。

 

恐らくその当時の担任教師(中年女性だった記憶しかない)は、

もう既に定年退職し、

恩給をたんまり受給して、

のうのうと生きているのだろう。

 

この不均衡性を、どうしてくれるのだろうか。

 

2. どうして「教室」は密室であることを許容されているのか

 

この記事に対するコメントの中に、

「他の保育士は何をやっていたのか」という主旨のものが多数あった。

一般常識的にはそうなのだが、

幼稚園や学校という教育行政の中では、

未だに「教室」は「閉ざされた王国」で、

教員はその君主なのだ。

 

そういう密室内不均衡性の上で辛くも成立しているのが、

本邦の教育だ。

成り立っているとは言えないが。

 

そんなものは教育ではないので、

そんなシステムは早く解体すればよい。

園長が辞職したところで、

システムが改善されるわけがない。

 

「閉ざされた王国の君主」であることが許容されている背景には、

無能な大人の自己愛を保障するシステムが

未だに残っている実情がある。

そんな陳腐な自己愛にしがみ付いている者が

教育行政に関わり、君主になると、

こういうことはいくらでも起こり続けるだろう。

 

センセー、あんたたちはそんなに偉いんですか?

チープなナルシシズムにしがみついているのは

ちっとも偉くないですよ?

 

3. 失禁してしまうタイプの子どもだったから、暴力が罷り通った

 

もし、この子どもが嫌いな給食を見て

ギャーギャー騒いだり、

泣き叫んだり、

教室の中で暴れたりしたら、

どうだっただろうか。

 

おそらく、その子なら食べることを強要されなかっただろう。

 

当該のお子さんは、

本当はすごく嫌なのに、嫌だと言えなかった。

本当の気持ちを言えず、

暴力の言うがままになるしかない子だった。

 

暴れる子には暴力を振るわないが、

物言わぬ子には暴力を振るう。

そういうタイプの子どもだったからこそ、暴力が罷り通ったのだ。

 

このお子さんが物言わぬ(物言えぬ)子であることは、

不合理な心理的虐待を加えられ続けた結果、

失禁したことから推し量ることができる。

言葉で言えないとき、身体が代わりに反応する。

 

物言えぬ子のことばを奪うなど、

非人道的な虐待以外の何物でもない。

 

4. 臨床心理士は尻拭い専門職なのか

 

心的外傷が発生したとき、

とりあえず臨床心理士を呼んでおけば

「必要な対応をしている」体を装うことができる。

臨床心理士は、そういうときに都合よく招聘される専門職として

すっかり認知されている。

 

そこで実際にどのようなことが行われ、

子どもたちの心的外傷がどの程度緩和されたのか、

縦断的に、その子どもたちの将来に渡る精神保健が

どの程度保障され得るのか、

全く情報がない。

実績などないのではないか?と思ってしまう。

 

心的外傷後のポストベンション対応に

心理療法の専門職が喚ばれることは、理屈としては理解できる。

しかし、もはやポストベンション対応そのものが

形骸化しているのでは?というのが私の印象だ。

もちろん、実情のすべてを知っているわけではないが、

招聘した後どうなったのかの後日談が

微塵も出てこないので、ついそう思ってしまう。

 

5. 保育士の待遇の悪さ・専門性の評価の低さ

 

保育士という仕事は、本来極めて高い専門性が求められる仕事だ。

しかし、待遇は非常に悪い。

対人職なのに、極めて待遇が悪い。

そうなると、試験には合格しても、

専門性が発揮できない人物が大量に流入してくることになる。

試験には、それなりの受験対策をすれば合格できるが、

肝要なのは、養成課程で哲学や倫理を習得することだ。

保育士になろうとする人たちの

こうした倫理的側面を、試験では的確に計れていない。

 

哲学や倫理観を体得しており、

それを職務遂行上でも体現できる人物を

試験で的確に選ぶ(容易には合格できない)代わりに、

待遇を大幅に改善すべきだ。

往復20kmチャリンコ漕いで桜を見に行き、

帰ってきたら疲れて昼寝。

昼下がりにむっくり起き出して

作り置きおかずつくり。

 

最近の定番は、人参ラペと大根ザーサイの和え物。

一晩寝かせて味が染みるまで待つ。

 

 

そしていつものように

鍋でごはんを炊いていたところ、

火加減を誤って鍋底が黒焦げ。
部屋中が煙で充満。

ヤバかった・・・

 

ごはんはおこげ的に美味しくいただいた。

 

明日重曹で焦げ付きを取らなきゃ・・・

北海道にも遅い春がやってきて、ようやく桜が満開。
いつも通る国道沿いに、ちょっとした桜並木があるのを発見して、

今日はチャリンコで家から桜を見に来た。

(片道9.1km)

 

八重桜はよく見かけるけど、

染井吉野は(本土ほどは)見かけないので、

北海道にはあんまり植わっていないのかなと思っていたら、

ここの桜はおそらく染井吉野・・・でもちょっと品種が違う気もする・・・

花弁の色はこんな臙脂色だったっけ?思い出せない。

 

ともあれ、久しぶりに桜が咲いているところを見られて

よかったよかった。

 

 

 

ここまで来るのに、某国道をずっと走ってくるのだが、

途中まで歩道があったり、そもそも車道も広かったりするのに、

途中から車道も狭くなるし、歩道も狭くなるし、

ついに歩道すらなくなる区間もある。

 

何故この国の道路行政は自動車中心なのか。

 

国道沿いを走るバスに乗るにも、

歩道がないところを歩かないとバス停に行けないところもある。

 

普段は自分もここを自家用車で走るのだが、

チャリンコで走ってみると、如何に乱暴な道路行政であるかがわかる。

 

弱い立場の人のことを何も考えないような国は

早晩衰退していくだろう。

もう衰退は始まっているが。

 

さて、東京在住中は家の裏手にあった植物園へ

毎年桜を見に行っていたのだが、

移住してきてからというものの、住まいが決まるまでの間は

地域の居心地がブチ悪くて、

桜を探しに行く気分にもなれなかった。

やっとそういう精神的な余裕が出てきた。

再移住してよかった。

日本の学校教育は授業中に発表することを要求するが、教育システムの潜在的な要求は「均一化された存在になれ/個性を発揮するな」である。矛盾している。これは二重拘束的メッセージであり「どちらに応えても叱られる」ことになっている。深刻な病理が横たわっていることを示している。

やや衝動的な子どもが(否、子どもは衝動的に動く生き物である)思いついたことをその場で発言すると、それを頭ごなしに叱られる、という場面を何度か見たことがある。そして教室が沈黙する。その直後「この問題が解った人は手を挙げなさい」と命令される。解っていても手を挙げない子どもがほとんどである。教師は矛盾したメッセージを自ら発していることに驚くほど無自覚である。

 

二重拘束メッセージが目指しているところは、階層構造的により弱い立場の者の自由な発想を剥奪し、操作し、支配することにある。それが罷り通るような組織や集団はおよそ健康からは程遠い。しかし、この病的な環境は学校という極めてガラパゴス化した内閉空間では「当たり前」ということになっている。

 

泡沫経済の残滓がまだそこかしこに散らばっていた頃、

「経営コンサルタント」を自称する人物が口を揃えるように

「経営改善のために人員削減!」と言っていた時代がありました。

 

今でもそんなことを言っている自称コンサルタントがいるようですね。

当時も「そんな短絡的なことしか言えないのに

コンサルタントを自称してしまうのか」と眉を顰めていました。

そして、劣化コピー的に同じことしか言わないので

最初から発想が枯渇している人たちなのだな、と遠くから眺めていました。

 

目先のコストを減らすことが経営改善に直結するという

なんとも短絡的な発想。

このコラムにある「修学支援制度拡大」の差別も

似た構造を持つ問題です。

 

私が現役学生だった頃にも「文系大学を出て喰えるのか」

という言説がありました。

この「教育未来創造会議」たる集団は

そんな短絡的な発想しか持てないのですね。

 

これは、日本の産業構造が

「目に見えるもの、手に取れるもの」を「ひたすら黙々と作り続ける」ことに

依存し続けてきた問題に由来しています。

モノを作り続けると、

製品が世に溢れ、早晩飽和状態に至る訳ですが、

その後どうするのか?となったときに

「また新しい製品を作ればいい」という循環思考に陥ります。

 

それは戦後の高度経済成長の夢を未だ見続けているということです。

未だに泡沫経済期が再来することを夢見ている人たちがいますが、

いつになったら白昼夢から目を醒ますのでしょうか。

 

ちなみに、私は所謂人文科学系学部の出身です。

そして、この歪んだ産業構造・経済構造のスケープゴートとなった人々が

主たるお客様になっています。

それで飯を喰うとは、なんとも人でなしな感じもします。

が、人文科学を軽視するとこういうことが起きますよね。

そして白昼夢に浸り続け、気が付いたときには修復不可能になっている。

 

前田喜平氏が指摘するとおり、

この施策はそもそも法に抵触しているので、

実現してはならない代物です。

そういう基本的な社会のルールもわかっていないのに

「教育の未来」を論じてしまう。

 

存在自体が矛盾していますが、

それにすら気付かないところは

流石、目先の利益しか見えていない集団たる所以です。

【出典】東京新聞>2022.5.15.>朝刊>P21特報面>「本音コラム」

別記事に、移住先の自治体行政が破綻していることを書きました。

これを詳細に書くとかなり長くなりますが、

この記事に概略を書き留めておこうと思います。

 

行政は、

議会で決められた条例や施策に基づいて政策を実行し、

住民に利益を均等に再分配する機能を持っているはずです。


知識として正しいでしょうか・・・??

(自信はありません)
 

これが破綻すると・・・
不均衡・不平等が生じたり、

住民には何の利益もない空事業が回り始めたり

(結果、利権がある人にだけ利益がもたらされたり)、

住民にとって暮らしづらい状況が生まれても改善されなかったり、

長期的には、自治体の財政や運営が破綻してしまったり、

いろいろな不利益が生まれます。

 

最初に移住したA町は、上に書いたことがすべて起こっています。

長期的な破滅にはまだ至っていませんが、それは時間の問題で、

いずれ破綻するのをじっと待っているような状態です。

 

つまり「今さえよければいいや」という態度です。

 

不均衡の中には、新しく来た住民がサービスに辿り着けないという

歪んだ構造も含まれています。

簡単に言えば、本当は利用できるサービスがあるのに、

それが長く住んでいる人たちの間でだけ口伝として共有されているので、

新しく来た者はそれにアクセスできない、という状態です。

公共サービスが明文化されていないってどういうこと??

と思いましたが、

杜撰な行政運営では割とありがちな問題のようです。

 

移住者の一定割合は、この不均衡や不平等に気付いて

移住後比較的短い期間で出ていってしまうのです。

しかし、それについて対策を講じるよりも、

議会では「移住者はすぐ出ていってしまうから受け容れなくていい!」

という発言が飛び出したりしています。

 

議員一人ひとりがどうかというよりも、

町(行政)として、人格が非常に未熟なんだなと感じました。

しかし、長らく住んでいる人々からすればそれが当たり前です。

そして、破綻していることに口をつぐむのが唯一の順応方法です。

 

私は、それがたいそうメンタルに悪いなと思いました。

「今さえ良ければいい」とアタマで考える一方で、

奥底では「このままだとヤバい」と気付いている。

気付いてはいるが、何もしない。

 

「ここに長くいるのはよくない」と思いました。

 

この町は移住者受け容れを盛んにアピールしていますが、

蓋を開けてみれば、このような状態です。

アピールしている張本人は破綻だとは思っていないので、

何の躊躇もなくアピールができてしまうのです。

 

気が付かないって、怖いですね。

 

反面教師的ですが、

行政が機能しているかチェックする目を持つことは

重要なことだと思いました。

気が付いてよかったです。

 

私自身も当初は、そんな環境に順応しようと頑張ってみましたが、

それが無駄な努力であることに気付くのには、

それほど長い時間は掛かりませんでした。

 

さてこういうことを話すと、

「田舎はそんなもんだよ」

「どこへ行ったってそんなに変わらないよ」

という決り文句が返ってきます。

そう考えることが、順応する唯一の方法なわけです。

この定型文は行政のサボタージュを正当化しています。

 

他人がどう考えるかは自由ですけれど、

そういうことを言う人とは正直仲良くなりたくないですね。

 

概略だけ書こうと思いつつ、結局長くなってしまいました。

ここに書ききれないのですが、

「法的根拠がないことを強制される」ことや、

「憲法に抵触する自治体職員の言動」もありましたので、

別の機会に書こうと思います。

これは、破綻としてはなかなか末期だと思っています。

わたくしは某都市部からの移住者です。

約一年ほど前から現住所(A町)に住んでいます。

 

移住をするときに、それまでのライフスタイルを放棄して

新しく構築し直そうと考えていました。

某専門職に就いていますが、

状況によりその専門性を放棄することも考えました。

 

都市部では「家賃を払うために必死に働く」のようになってしまっていて、

ふと「なんで働いてるんだろう?」と思うことが増えてきました。

もともと人の多いところは苦手ですし、

騒がしいところも苦手です。

それなのに都市部に住んでしまっていたのは、

仕事にありつきやすかったからです。

 

2017年に起業して、

小規模ながらもそこそこやっていけそうな見通しも持てるようになりました。

仕事は自分で作ればよいし、

コロナ禍の功罪の「功」の部分で、

ほとんどの業務がオンラインでできるように環境も整えられました。

 

「これは・・・都市部に住んでいる必要がもはやないのでは?」と考えて

半年ほどの準備期間を置いて移住を敢行しました。

 

正直に言うと、

「どこに移住するか」はあまり深く考えていませんでした。

移住者を積極的に受け入れている自治体で、

ひとまず仮住まいが決められそうなところということで、

今住んでいるA町を選びました。

 

準備をし始めて3か月経ったころ、

A町の公営住宅に空きが出て、新しい住処も決まりました。

それまで住んでいた家を引き払い、

微々たる額の貯金を携えて移住を果たしました。

 

別の機会に詳細に書きたいと考えていますが、

結論からいうと移住先選びは大失敗でした。

 

A町は一見すると積極的に移住者を受け容れていそうなのですが、

「移住してきてみたものの、すぐ再移転する人が多い」ことが

移住後に判りました。

住んでみて、どうしてそうなるのかがよくわかりました。

 

このことも別の機会に詳細に書こうと思いますが、

どうしてそうなるのか、の最大の要因は

行政が破綻していることでした。

 

A町に長らく住んでいる人たちはそれを破綻だとは思っていないので、

それを「いつものこと」として意識すらしない、のが

実情であることもわかりました。

日本人らしい順応方法です。

 

行政破綻はA町住民に数々の権利侵害を及ぼしますが、

それもコミで「そういうもんだ」と思えるようになることが

ここのコミュニティの仲間入りをする必須条件だったのでした。

 

私が某専門職であることはA町行政に事前に知れていましたので、
移転直後、私の事業が行政に組み込まれそうになりました。

破綻に気が付いたので、すんでのところで回避しました。

「やばかった」です。

 

A町内に事業を登記移転するために、

事業所として中古の家を買うところでした。

これもすんでのところで回避しました。

買っちゃってたら本当にやばかったです。

高確率で精神的な病気に罹っていただろうと思います。

 

都市部を離れた直後は、1〜2年くらいはゆっくり過ごそうと思っていました。

ですが、移住直後のすったもんだであまりゆっくりもできず、

居心地が悪いまま約一年が経ちました。

その間は、自分で経営している事業の仕事を

ちょっとずつやる程度だけ働きました。

微々たる額の貯金があったので、それを切り崩しつつ

「なかなかゆっくりできないな・・・」と感じながら

「ずっとここに住み続けるの、メンタルに悪いな・・・」とも思いました。

A町は風光明媚で、季節ごとにとても綺麗な景色が見られますが、

町民と会うことすら嫌になってしまいましたので、

景色のことも、正直どうでもよくなってしましました。

それより、周りのことを気にせずに

自分の好きなように生活ができる場所のほうが

メンタルには明らかにいいなと思うに至りました。

 

そこで、もう一度別の住処を探そうと考えました。

 

移住を検討した当初、

実は別の自治体(B市)も移住先候補に入っていました。

B市は、空き家や中古住宅の斡旋を行政主導でやっていて、

なかなか実績が上がっています。

 

移住して破綻に気付いた2か月後くらいに、

一度中古物件を内見しに行きました。

とても良い物件だったのですが、

A町行政の破綻を経験してしまっていたので、

「そこも破綻していたら嫌だな・・・」などと考えているうちに、

その物件は売れてしまいました。

 

それ以降、なかなか新しい物件も出てこなかったので

諦めかけていました。

そんな矢先、またよさげな物件が新しく出ているのを発見しました。

すぐB市行政のご担当のかたへ連絡して、

その週のうちに内覧させてもらいました。

この物件もとてもよい物件で、ちょうど予算額内でした。

オーナーさんへぜひ譲っていただきたい旨を伝えました。

 

先日オーナーさんからご連絡があり、

譲っていただけることになりました。

久しぶりに心底「嬉しい!」と思いました。

 

実は、B市には何の縁もつてもありません。

 

A町地域の周辺には、観光で遊びに来たときに

知り合いになった人たちとの繋がりがあり、

それを手がかりに移住してきたのですが、

逆にそれが枷となってしまった側面もありました。

 

そこで「縁はないがしがらみもない」地域に再移転して

もう一度生活を組み立ててみようと考えました。

 

仕事は引き続きオンラインで続けますが、

漸く事業所の登記も移転できそうで、

まだそれは完了していませんが、少しほっとしています。

事業所登記は都市部に置きっぱなしで、

事務処理だけのために飛行機に乗らなければなりませんでした。

そういう負担が減らせると思うと、安心します。

 

さて「なかなかゆっくりできないな」というわたくしの心境を知ってか知らずか、

A町近隣地域の仕事が少しずつ増えてきました。

「もうちょっと休んでからがいいんだけどな・・・」と思うのですが、

一方で「地域にはそれなりの需要がある」ということでもあります。

 

A町とB市は100km離れています。

仕事が立ち上がってきた場所からはかなり遠くなります。

今は片道1時間ですが、移転すると片道3時間になります。
それを天秤にかけても、住むならB市のほうがいいなと思います。
 

この投稿の冒頭部分にも書きましたが、

専門職を辞めようかな?と考えることもありました。

そう思うに至った背景も、いずれ別の機会に書きたいと思います。

今のところは「とりあえず細々と続けてみるかなぁ」というのが

率直な心境です。

 

こうして書き出してみると、

「どこに住むか」だけで一年以上悩んでいたことが

改めてはっきりしました。

 

住む場所が定まった後の生活が、本番です。
移転は雪が降り始める直前の10月初めにほぼ決定しました。
それに向けて、今のうちから少しずつ準備を進めましょう。