日本の学校教育は授業中に発表することを要求するが、教育システムの潜在的な要求は「均一化された存在になれ/個性を発揮するな」である。矛盾している。これは二重拘束的メッセージであり「どちらに応えても叱られる」ことになっている。深刻な病理が横たわっていることを示している。

やや衝動的な子どもが(否、子どもは衝動的に動く生き物である)思いついたことをその場で発言すると、それを頭ごなしに叱られる、という場面を何度か見たことがある。そして教室が沈黙する。その直後「この問題が解った人は手を挙げなさい」と命令される。解っていても手を挙げない子どもがほとんどである。教師は矛盾したメッセージを自ら発していることに驚くほど無自覚である。

 

二重拘束メッセージが目指しているところは、階層構造的により弱い立場の者の自由な発想を剥奪し、操作し、支配することにある。それが罷り通るような組織や集団はおよそ健康からは程遠い。しかし、この病的な環境は学校という極めてガラパゴス化した内閉空間では「当たり前」ということになっている。