・・・と、私は長らく感じている。

 

もともと「ウンドー」は苦手だし、正直興味もないし、

それと「ウンドーシンケー」も生まれつき悪いらしいし

(中学生のとき体育教師に「オマエウンドーシンケーワルイな」と言われたので

 きっと科学的にもそうなのだろう)、

どうにもウンドーをするために集団を成している人々が

生理的に苦手である。

すべてがそうではないだろうとアタマでは判っているが、

それらの集団の多くは有毒男性性の巣窟なのだろうなと思っている。

(その中に凸入したことはないので

 実際のところは知らないし、知りたくもない)

 

最近、私のこの感覚を一言で説明してくれる言葉が現れて

私はとても助かっている。

 

私はウンドーシンケーは良くないらしいが

身体を動かすこと自体は好きである。

なので(前述のとおり)ジムにはせっせと通って

重いものを持ち挙げたりしている。

 

ここ最近は、時間貸しタイプのジムに通っていたのだが、

自宅のすぐ近くの公共施設にあるトレーニング室が

一般にも開放されているのを知って、行ってみることにした。

 

その公共施設は、私の苦手なウンドー集団の人々が

集団で何かの練習をしたりするための施設なので、

私のような個人利用者の入る隙はないと思っていた。

しかし、ウンドー集団が占有していない時間帯なら

個人にも開放されているのを知ったのだ。

 

ジムに行くと、単品有毒男性がちらほらいる。

私には嫌な予感があって、ここのトレーニング室にも

そういう個体がいるのでは?と思っていた。

私の予感は半分的中した。

 

私がトレーニング室に入ったときには他に誰もおらず、

私一人だけだったのだが、

一時間くらい経って、無酸素運動を終わりにして

有酸素運動を始めようかな、という局面で

有毒男性が入ってきた。

 

有毒男性、ご挨拶ができない。

有毒男性、マナーを守れない。

有毒男性、無駄にデカい効果音を起こす。

 

最後の三点めは、トレーニーとしても承服しかねる行為である。

 

バーベルを高いところから床に落とす。

これは、ウェイトを扱えるだけの十分な筋力がないことを示している。

そもそも動きが美しくないので、

そういうガサツなムーヴをやってのける。

私は美しくないウンドーは大嫌いである。

 

有毒男性、デカい音を鳴らせば尊敬されると思ってる。

 

私はすっかりゲンナリして、トレーニング室を後にした。

せっかく有酸素運動ができると思ったのにな。残念である。

 

家に帰ってきてからいろいろ考えた。

ああいう有毒男性にめげずに、

そーいう環境にも順応していったほうがいいのではないか。

そのくらい図太くなったほうがいいのではないか。

 

うーん、ムリ!!(笑)

 

有毒男性性に順応するくらいなら、

ウンドーなんかやめたほうがいい。

身体を動かすのは好きだけど、

毒に触れるくらいなら、やらないほうがいい。

 

というわけで、元の時間貸しジムに戻ることにしましょう。

毒を喰らってまでウンドーする筋合いはない。

 

まあ、あんな中途半端な筋力なのに

なんかのスポーツに参加しちゃってるのを見ると、

有毒男性が挙って寄り集まって集団ウンドーとかしちゃってるのは、

やはり私にはどーでもよい代物なのだな、と再確認した。

 

その話とは全く別に、

私は自らの身体性を何かしらの方法で追究したいのである。

未だにどうやったらいいのかの方法論は不明である。

唯一思いつくのは合気道を修めることだが、

それが当たっているのかはわからない。

 

大雑把で雑な動きしかしない集団ウンドーよりも、

はるかに精緻な身体の使い方を修めたいのだ。

したがって、高いところからバーベルを床に落とすなど

論外である。

そんな「悪い例」を見るために

私はジムへ行っているわけではない。