泡沫経済の残滓がまだそこかしこに散らばっていた頃、

「経営コンサルタント」を自称する人物が口を揃えるように

「経営改善のために人員削減!」と言っていた時代がありました。

 

今でもそんなことを言っている自称コンサルタントがいるようですね。

当時も「そんな短絡的なことしか言えないのに

コンサルタントを自称してしまうのか」と眉を顰めていました。

そして、劣化コピー的に同じことしか言わないので

最初から発想が枯渇している人たちなのだな、と遠くから眺めていました。

 

目先のコストを減らすことが経営改善に直結するという

なんとも短絡的な発想。

このコラムにある「修学支援制度拡大」の差別も

似た構造を持つ問題です。

 

私が現役学生だった頃にも「文系大学を出て喰えるのか」

という言説がありました。

この「教育未来創造会議」たる集団は

そんな短絡的な発想しか持てないのですね。

 

これは、日本の産業構造が

「目に見えるもの、手に取れるもの」を「ひたすら黙々と作り続ける」ことに

依存し続けてきた問題に由来しています。

モノを作り続けると、

製品が世に溢れ、早晩飽和状態に至る訳ですが、

その後どうするのか?となったときに

「また新しい製品を作ればいい」という循環思考に陥ります。

 

それは戦後の高度経済成長の夢を未だ見続けているということです。

未だに泡沫経済期が再来することを夢見ている人たちがいますが、

いつになったら白昼夢から目を醒ますのでしょうか。

 

ちなみに、私は所謂人文科学系学部の出身です。

そして、この歪んだ産業構造・経済構造のスケープゴートとなった人々が

主たるお客様になっています。

それで飯を喰うとは、なんとも人でなしな感じもします。

が、人文科学を軽視するとこういうことが起きますよね。

そして白昼夢に浸り続け、気が付いたときには修復不可能になっている。

 

前田喜平氏が指摘するとおり、

この施策はそもそも法に抵触しているので、

実現してはならない代物です。

そういう基本的な社会のルールもわかっていないのに

「教育の未来」を論じてしまう。

 

存在自体が矛盾していますが、

それにすら気付かないところは

流石、目先の利益しか見えていない集団たる所以です。

【出典】東京新聞>2022.5.15.>朝刊>P21特報面>「本音コラム」