最近ネガティブな記事が多めなオカハセなので今回のような記事書いても「オマエが言うか?」と思われるかもしれませんが(笑)、まあどんなクズでもどんな悪人でも偶にはまともなこと言うモノです(逆にどんな立派な人でも偶にアホなこと言いますから)。
だから別にオカハセが書いてると思わずにまず読んでみるとよきかなと思います。
そんなわけ(どんなわけ?)で、今回の記事です。
人間って、自分の経験のないことや身近な知人にその対象となる人物がいないというモノに対しては、誰でも多かれ少なかれどうしても鈍感になってしまう生き物だと思う。
例えばエレベーターの無い建物の2階に車椅子用のトイレを作ったり… おそらくちゃんと考察すれば、車椅子用のトイレが2階にあったところで【そのトイレを利用する為には、その建物のスタッフ複数人で車椅子ごと階段を運ぶ(しかも介護経験など無いスタッフならば階段途中で車椅子を転倒させてしまうかもしれない危険な補助)ということをしてやっとトイレを利用出来るのだ】ということに気がつくはずなのに。
これはおそらく、幼少期からの学校教育として「常に相手がどうして欲しいのか?どうして欲しくないのか?」「相手の立場を洞察して思いやる」というテーマで考察するような授業があるのかないのかだけで、社会が大きく変わる様な気がする。
そして多分大人も、僕を含めてみんな「相手の立場を洞察する」という講義は受けるべきなのかも知れない。
それはつまりは【健常者同士でも、今までよりもずっと相手を思いやることができる大人になるのではないか】と思う。
しかし現状では「よかれという気持ちで」【自分が経験したモノサシで】相手を諭して、結果的に「相手は自分のことを何もわかってくれなくて思い込みで諭された」と傷つくということが多々ある。心理カウンセラーですら一部そうなっている(一昔前のラジオ番組の「電話相談」みたいなのは回によってはモラハラみたいになっていた)。
人と向き合う時は、先ずは自分の苦労やそれを乗り越えたプロセスを持ち出し過ぎずに「個人個人の1人の人間として向き合うべき」だと思う。どうしても人は【相手よりも自分のほうが大変だったし苦労してる】と考えがちだが、そういう方を見るとつい「365日24時間、彼の行動を見たのか?実はあなたより何倍も波瀾万丈かもしれなかったって想像は悔しくてしたく無いのですか?」という気持ちになります。
子供の頃の教育が大事だと思う。教育が全てではないけど、洞察力のキッカケとしての力は大きいと思う。