日立市のドラマーの田島さん(仮名)と再び定期的に水戸市などでライブをする。
テナーの購入のローンの名義人になってくれたお陰でセルマーのテナーが手に入る。
しばらくケンヂには会っていなかったが、ケンヂはライブハウス「カムカム」(仮名)の地下階にある楽器練習スタジオ「カムカム」の手伝い(スタッフというほどでは無くて気まぐれに来て雑用をしてスタジオ使用無料という待遇)をしていたので、僕もケンヂと一緒に手伝いスタジオを使わせてもらっていた。
それがキッカケでケンヂのアパートにちょくちょく泊まり込みで遊びに行った。
スタジオ「カムカム」は僕はほぼ無料で使わせてもらっていた(現在僕は静岡在住で練習場所にも困っているけど、この頃はとても良い環境だった。でもよく考えてみると、今の自分は楽器を触る時間がこの頃に比べて極度に減っているから、音楽の神様はちゃんと見てるのだと思う)。
ある時期、スタジオ「カムカム」に、少し変わった感じの女性が受付スタッフになった。
名前は「あまちゃん」(仮名)と呼ばれていた。
あまちゃんは既婚者で小学生の娘がいて学校帰りに時々スタジオにも来てた。旦那は単身赴任で家にはいないらしい。
あまちゃんとはなんとなく気が合ったので、時々家に遊びに行っていた。恋愛感情は全くなかった。多分向こうも全くなかったと思う。
あまちゃんの家に行くと、いつも山盛りのグラス(隠語)とパイプをまるでお茶菓子を出すみたいに出して来た。
音楽を聴きながら色々な話をして朝方になってから家に歩いて帰った(徒歩で30分くらい)。
あまちゃんという人は【なにかを諦めて刹那的に生きている人】が持つ、なんとも言えない不思議な雰囲気を持った人だった。村上春樹の小説とかに登場しそうな【少し飛んでる感じのキャラの女性】だった(そういえば「サラ」も刹那的で少し飛んだ感じのキャラだった)。そういう女性は比較的にカラッとしてて気持ちの良い人が多く、僕にとってはそういう女性のほうが話はしやすかった。
そしてそういう気まぐれなあまちゃんはある日突然特に理由もなくカムカムのスタッフを辞めてしまった…
でも僕はあまちゃんの娘に恋もしてたし(笑)そのあとも時々家に遊びに行っていた。
その中でも最も嬉しかったのは、この頃既に僕のレベルを遥かに越えていたアルトサックスの加藤浩祐(仮名)が、新しく立ち上げるバンドに僕のテナーを迎え入れてくれた。
リズムセクション(ピアノ&ベース&ドラムス)は3人とも当時は現役の北大生だったがこの3人は今とても活躍している。
ピアノは「岩田(仮名)」(彼は現在東京でプロとして活躍)。ベースは「板垣(仮名)」。ドラムスは「目白(仮名)」。
リーダーのアルトの加藤浩祐に至っては、その後しばらくして渡米してしばらくアメリカで演奏活動をしていた。しかもその間に【2度、グラミー賞を受賞】している。
ある日、浩祐の演奏の常連の耳の肥えたお客さんから「良かったね。君は浩祐君のバンドでこれから上手くなると思うよ」と言われた。しかし僕にとっては浩祐よりもレベルが下とは認めたくない余計なプライドが邪魔をして、無愛想に頷いた。だけど今から考えるとその客は僕のことを、【何か持ってるが、荒削りで色々なスキルが雑だと思っていて、しかも自信たっぷりな僕を褒めるのはマイナスだと思って辛口だったのかも知れない】と感じてる。更に言えば【上手くなるのを待って応援をしてくれていた】とさえ今では思う。
正直なところ辛口の常連客達の前で浩祐のソロと僕のソロのクオリティを比べられて悔しい思いをした。
僕が楽器を壊したり腐って練習をサボったりしている時も、浩祐は当時会社員で時間が無いにもかかわらず、明確なビジョンを持ってコツコツと練習をしてきたので、もう差は歴然だった。天狗になっていた僕の鼻はへし折られることになった。その分このバンド「加藤浩祐五重奏団」の所属は強いモチベーションにもなった。
まだ若くて経験の少なかったベースの瀬尾高志からは「長谷川さん。加藤さんのところで正統派なハードバップとか長谷川さんにとっては方向性が違いませんか?」と助言をしてきたけど(長谷川さんはもっとコルトレーン路線一本で行くへぎだと思っていたのかもしれないし、浩祐に負けてる演奏が彼なりに悔しく思ってくれていたのかもしれない)、このバンドにいたことは今から考えても全く後悔していないし、なんならまた浩祐やピアノの岩田幹雄(仮名)らとバンドをやりたいとすら思っている。