孤立、そして少し旅をする《 自分史[59]》 | オカハセのブログ

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叙情亭のライブをドタキャンしてから暫く経ったある日、何かのイベント場所でターニャ(仮名)に偶然会った。
ターニャ「あの時のライブは結局誰かドラム入れてやったのですか?」
僕「いやライブは結局やらなかったよ…」と、ターニャには余計な気を遣わせないためにそれ以上の説明はしなかった。
するとターニャは「でもライブ前になっても音合わせの連絡も全然ないし、正直やる気あるのかなと思ってましたけど、どうなんですか?」と少し強い口調で言われたので、責められている口調に母親とのトラウマがフラッシュバックしてしまい、お酒が入っていたせいもあって「あーそうなんだろな、俺はやる気なかったのかもな!」とヤケになって言ってしまった。
するとターニャは僕にカチンと来たのだろう「あーそうですか!そんないい加減な人とはもう話はしたくないですね!」と言って違う席にさっさと行ってしまった。
確かにライブ直前まで引きこもりでスウィッチが入って無かったしそんな自分に苛ついてもいたことは確かだった。でもライブ1週間前くらいにやっとスウィッチをなんとか入れることできて、もちろん音合わせする時間は持てそうも無いから、だけどぶっつけ本番でも良いライブにしようと思っていたさなかに、「ダブルブッキングで無理」とターニャから連絡が来て、だけど気を遣わせないためにマスターに怒られたこともターニャには言わなかった。しかしそれは僕の考え違いのようで、どうやら【ダブルブッキングを口実にして、だらしの無い僕のライブを断った】のではないのかな?と気が付いた。もちろんそうされてもしょうがないことを自分はしたのだと認めています。
微妙なすれ違いというか誤解も混ざってる出来事だった。けど概ね僕のだらし無さから来てる指摘だからそのまま悶々としていた。

それから少ししたある日、とあるジャズバーで偶然ターニャを見かけた。僕は謝罪と多少の誤解を解きたくて「ちょっと話があるんだけどいいかな?」と言うと「いや、いまはちょっと話はしたく無いんですけど!」とゾッとする冷たい視線で言われた(村上春樹の「ノルウェーの森」のシーンを思い出した…)。
その後、ついにターニャと和解することは無かった。
ターニャのドラムで自分のバンドをやるという夢は崩れてしまった。絶対いいバンドになる確信があったのだが。
話だけでも聞いて欲しかった。話を聞いた上で誤解の無い上で、それでも和解出来ないならば諦めもつくのだが…
しかし諦めざるを得なかった。
これ以上しつこくしても異性ということもあるし、ストーカーみたいになってしまう。或いはストーカーみたいに思っていたのかも知れない。どちらにせよ、向こうは和解する気はないように思えた。まあこっちがめげずに謝り続ければ和解出来たのかもしれないけど、僕は謝るたびに傷つき、ヘタレな心が折れてしまってすぐに諦めた…

ある夜ススキノの街角でサックスの路上ライブをやっていると、若いカップルが立ち止まって僕のサックスを熱心に聴いてくれました。少し話をするとこのカップルは茨城大学のジャズ研の部員だそうです。札幌に遥々カップルで旅に来てたのです。そして「もうすぐ水戸市の『ダウンホーム』という店が閉店する」と聞きました。「ダウンホーム」は放浪中に何度も立ち寄りとても世話になったジャズ喫茶です。
閉店するのならば、これはもう行くしかないなと決心して、数日路上ライブの時間を増やしてなんとか行きの交通費を確保した時点で茨城県水戸市に向かう。
このあと、水戸の他も回って1ヵ月くらい旅をすることになる。



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