「水戸」「宇都宮」へ小旅行《 自分史[60]》 | オカハセのブログ

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閉店間近の水戸市のジャズ喫茶「ダウンホーム」に行くための旅。

苫小牧港からフェリーで大洗港まで乗るのが最も安上がりな手段です。フェリーは安い交通手段ですが船内の食堂は少し高いか或いはバイキング形式。僕は船内の食堂は基本使いません。何故ならせっかく交通費安くしても食堂が高いなら寝台列車使ったほうが楽ですし、バイキング形式だった場合も船内では食べ放題するほどお腹は空きません()。なので◆安いワイン◆フランスパン◆チーズそして安いのが売ってたら◆生ハム、これらを持ち込んで昼間から海の見える窓際の席で譜面とか書きながらまったりとダラダラ食べて昼間からほろ酔いを楽しむのが安上がりだし、僕流の船旅の楽しみかたです

話が脱線しました()

水戸市に着くと早速「ダウンホーム」に顔を出しました。

マスターもママも覚えてくれていました。

マスター「実はね、ここは○○日に閉店することになったんだよ」

僕「はい、だから来たんですよ」

「えっ!またまた〜…ホント?」

「ホントですよ」

「誰かから聞いたの?」

「茨城大学のジャズ研の学生が札幌で僕が路上で吹いてるところに来て教えてくれたんですよ」

ダウンホームは閉店間近のせいか毎晩のようにジャズ研の学生がセッションに来ていました。その中でもひときわ良いサウンドを奏でる「浦野(仮名)」君というドラマーがいました。彼は当時の茨城大学ジャズ研の部長でした(彼は今は若手のプロドラマーのホープになっています)

浦野君から「長谷川さん、泊まるところは?」と聞かれたので「路上ライブでお金になればサウナ、お金にならなければ野宿だよ」と言うと「あの〜… ウチのジャズ研の部室の横に物置き場みたいのがあるからそこで寝ても大丈夫ですよ」と【部長】が言うので(笑)お言葉に甘えて利用させてもらうことにした。そして数日後、多分大学側から言われたのか「長谷川さん、この場所使うのはちょっと都合悪くなったので、もう部室で寝ても僕の権限で良いですよ」と言ってくれた。

ジャズ研の部室が入ってる棟には24時間無料で使えるシャワースペースもあるからとても助かる。

一度、サックス吹きの女の子の部員と浦野君と僕との3人で東京上野に「ライブを観に行こう」となりました。昼間はジャズ専門の洋書楽譜を大量に扱っているお店に行き、丸一日の東京の旅に出かけた。

上野のライブハウスは浦野君の当時の師匠である原大力さんのドラムがリーダーで、テナーの峰厚介さんとアルトの山田嬢さんとベース(誰かは忘れました)のコード楽器無しの4人のバンドだった。


てか、あまり詳細に自分史書いてると終わらないな()


その後「ダウンホーム」の閉店日までの間、浦野君とはセッションやライブなどを何回かした。

↑水戸市内の「千波湖」


一度、宇都宮市からピアニストの「多田(仮名)」さんという人がダウンホームに遊びに来て、彼のピアノがぼくと相性が良いと勝手に感じたので、ダウンホームが閉店して数日後に居候先のジャズ研部室(笑)を出て多田さんに連絡を入れてから栃木県に向かった。宇都宮市内の「近代人」というジャズ屋で再会して、1週間ほど多田さんの家の「はなれ」のようなところに居候しました。

その期間に宇都宮餃子祭りのステージでも演奏したり「餃子の早食い競争」にも参加した(笑)。

宇都宮は【ジャズとカクテルと餃子の街】と言われていてアルトサックスの渡辺貞夫さんの生まれた街でもあります。

ある日「近代人」で演奏してると、ここの隣町(今は確か宇都宮市と合併している)にある「石」で有名な大きな某お寺の住職が「電話番号のメモとおひねりをここに入れておくから連絡してね」と言いながらサックスケースに入れて帰って行きました。

そこには確か数万円のおひねりとメモが入っていました。ちょっとびっくり…

後でお礼の電話を入れると「明日空いてたら遊びに来なさい」というので、栃木県では有名なそのお寺にお邪魔しました。


[61]へ続く



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