とても重い詞だけど名曲だと思う[安藤裕子(10)] | オカハセのブログ

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前回の記事に続き、2012年発表のアルバム『勘違い』から。その中に収録されてる曲『永すぎた日向で』を今回は取り上げます。
この曲は、安藤裕子自身の「終わり」を意識して書いた曲だそうです。

子供の頃から「遺書」を書くという習慣のあった彼女は、何か自分の思いを後に残したいという気持ちがあったのかも知れない。
前回の記事で紹介した曲「お誕生日の夜に」は出産後に作った曲なのに対して、この「永すぎた日向で」は混乱期真っ只中に作った曲。

それまで一年ほどお休みをしていた安藤裕子はこの「勘違い」を発表してそのあとに、コンサートツアーを行う。
このツアー初日の「東京国際フォーラム」のステージで、パニック発作のような症状が出てしまうのだ。ステージ後半に前回の記事でも紹介した「お誕生日の夜に」を歌った辺りはとてもピースな空気でコンサートが進んでいたものの、今回紹介する「永すぎた日向で」を歌い始めてからかなり様子がおかしくなって来たそうだ。
このエピソードの続きは、いつか「飛翔」という曲の記事の時に書きます。

↓以下は数年後に彼女の口から語ったインタビュー記事から引用します。
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『自分の中で混乱している状態でツアーへ出たときに、人前が怖くなっちゃったんですよね。みんなに責められているような気持ちになって、怖くなって、歌えなくなって、過呼吸みたいになっちゃった。自分で作って散々歌ってきた曲なのに歌詞が出てこなくて。……本当に、「アッ」てなるの。』

        安藤裕子

………………………………………

因みに彼女は、今でこそギターでコードから曲を作ることがあるようですが、この頃は彼女の鼻歌を吹き込んだものがデモ音源だったという。

右腕とも言えるアレンジャーの山本隆二さんが「鼻歌でここまでの曲を作れるっていうのは凄い」と言うくらいの音感の持ち主です。

●「永すぎた日向で」
作詞:安藤裕子
作曲:安藤裕子


止まった時計の針を指でなぞり
そして昨日に向けて回す
明日が来ないようにして
このまま目を閉じ眠りたい

誰も彼も一人で生まれてきて
なのにぬくもりの中でしか息が出来ないみたい
体が冷えてゆく さよならだよ

わかる様に愛して 目の前にただ居て
僕たちはいずれ終わる時間の中
夢を見て彷徨ってた

いずれまた冷えてゆく日向の様に

答えをしめす事は怖くもあり
だけど一所に留まる事も許されやしない
誰かに強い腕で抱きしめてほしい

ちいさな私を包む様に愛して
僕たちをいずれ終わる時代が今
包む様に照らしていた

わかる様に愛して 目の前にただ居て
僕たちはいずれ終わる時代の中
夢を見て生きていた

昇りまた落ちてゆく朝日の様に
いずれただ 消えてゆく私の様に



この詞は、読めば読むほどにとても哀しくて胸が締め付けられる感じがします。
こういう詞を書く人の特徴を、心理学者が分析するとどうなるんだろうか…

………………………………

『子どもを産んだ年に震災もあったり、私の祖母が亡くなったりして、死生観が深くなりすぎて人の生き死にみたいなものが重くのしかかりすぎちゃった。』
              安藤裕子




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