ソウルメイトとの出会い《 自分史[53]》 | オカハセのブログ

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僕は、結構な傷心状態で札幌に帰って来た。

「俺は一体何のために札幌に来たんだ」

こんなはずじゃなかった。でも結局は嫁さんとの約束を破ってばかりの結婚生活だった。

離婚する前までは遅れがちな家賃を嫁さんに助けてもらっていた。しかし離婚後は払い遅れはそのまま溜まっていきかねないし、やがてそれは実際にそうなって行くのだった。


ある日アパートの共同の電話に元嫁から僕に電話がかかってきた。
電話に出ると「ピアノの窪塚(仮名。青森時代で長く続いた僕のバンドの、当時弘前大学生だったピアニスト)が今年就職した会社の転勤で札幌に住むよ!」と言う。
実は僕が大阪に行っている間に元嫁と彼は恋仲になっていたのだ。もちろんそうさせたのは僕に原因もあるから世に言ういわゆる浮気とは少し事情が違うためこのことで嫁さんを恨むことはなかった。
ただそれからはしょっ中、元嫁は札幌の窪塚のアパートに来ていて、しかも僕のアパートからそれほど遠くないためスーパーとかで時々見かけたりするので少し面倒だった…

オマケに僕は傷心状態で酒グセが悪くなっていたため、札幌のミュージシャン連中から更に孤立することになった。

職場を転々としながら、世の中はどんどん不景気になり、路上ライブの稼ぎも悪くなる。家賃は少しずつ遅れていった。


もちろんそんな日々の中でも、悪いことばかりではなかった。

僕は学生ではないけど、北大のジャズ研にいちおう席を置いていた。ある時ジャズ研の定期演奏会にエントリーさせてもらった。メンバーは、当時大学3年生だったけどズバ抜けて音とリズムとセンスがいいドラムの「須藤(仮名)」に声をかけた。そして同じく3年生の「みゆみゆ(仮名)」という女子がコントラバス。フロントには、当時ぐんぐん実力を伸ばしていた「加藤幸祐(仮名)」という北大OBのアルトサックス、そして「大野(仮名)」というやはりOBのテナーサックス、それから僕はこの時はソプラノサックス、の[スリーサックスとベースとドラム、コード楽器無し]という、華奢な女子のコントラバス弾きにはハード過ぎる編成だ(笑)。

しかもかなり速いテンポの曲…

確か、テナーの大野が最初にソロ(アドリブ)を取り、その次にアルトの加藤、そして最後にソプラノの僕というソロオーダーだった。

演奏中、案の定?心配してたことが起こった。

大野と加藤のロングソロで、疲れ切っていた「みゆみゆ」は弾けなくなってしまって、僕がソロを吹き始めてすぐにベースラインがテンポについて行けなくなった。気を利かせた加藤は、すぐにベースを一旦止めさせて(リズムに遅れながら弾いているとかえってサウンドがめちゃくちゃになってしまうから)僕とドラムのデュオにした。むしろそういうハプニングのお陰で演奏が盛り上がってしまった(笑)。ピンチはチャンス。むしろ他のメンバーが本気スウィッチを入れるから。

真面目な「みゆみゆ」は後で謝って来た。

僕は「全く問題ないよ、演奏はちゃんと形になったから。ていうか経験豊富なベース弾きはヤバイと思った時や指が攣った時、ドラムとフロントをデュオにさせるという演出をでっち上げるよ(笑)。そういうハプニングも正にジャズだから全然問題ないよ」と答えた。


この後定期演奏会の会場がそのまま打ち上げ会場になった。

食べて飲んでひとしきり酔ってきたところで、隣にまだ見たことがなかったジャズ研の学生が2人で寄ってきた。その2人は結構酔っ払って出来上がっていて、ひとりのほうが自分の股をもうひとりのモモに当てて【せつない顔で僕を見ていた】全くのモーホー的ジョークなのだが、めちゃくちゃ気持ち悪かった(爆)。その「せつない顔を僕に向けていた」ほうが(爆)、のちにプロになるがこの時はまだジャズを始めたばかりだったベース奏者「瀬尾高志」との出会いである。

当時彼は大学2年生だったと思う。



んと、、ここで終わって自分史54に続きを書こうと思ったけど、これだと読者には瀬尾高志君がモーホーかも?で終わってしまうといけないので(笑)もう少し書きます。


僕と瀬尾はお互い初対面だった。瀬尾は僕の演奏をとても気に入ってくれて、何か普通じゃない登場をしたかったらしい。血液型がB型だから(?笑)。

連絡先を交換しあってこの後頻繁に一緒に音を出すことになります。


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