読譜力ないのが自慢なの? | オカハセのブログ

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「実は読譜力が…」の記事、そして「耳コピと暗譜について」の記事を書いた理由は【読譜力が無いと楽器が出来ない】と考える人がいて、それは勿体無い事なので書いたのです。
決して読譜力なんかどうでもいいという意味で書いたわけではありません。
譜面の弱い人の中に音や表現力が豊かなかたは確かに存在しますが、それは【自分の音をちゃんと聴いている】からであって【譜面が読めないのが直接的な理由ではない】ということです。

僕はもちろん間違った事を書いたつもりは微塵もありませんが、文字通り四角四面に解釈されると、僕の言わんとする事が全然違う話に変わる場合があると感じたので書かせて頂きます。

楽譜なんか読む気ないというのはもちろん個人の自由ですが、自慢する事ではないと思っています。
一生懸命譜面を読もうとしても、なんらかの「障害」.ゆえに読む事が出来ない人もいますので…

それを踏まえてさえいれば、読もうが読むまいが個人の自由です。良い音楽をやればいいだけの事です。
いや良い音楽にならなくてもいいと思いますが…

文章というのはなかなか言いたい事が伝わりづらいものです。
人は皆、個人個人の中に【自分の考え方という世界】を持っているため、人の言葉も【自分の世界観で解釈】して違う話に様変わりする事はよくある事です。

だからなるべく誤解をされないように補足説明や( )や【 】等で書きますが、どうしても文章が長くなります。
そうすると余計に誤解を招きやすくします。
ただ、僕は物書きのプロではないけど「書く以上」はなるべく誤解を招かないように頑張って書いています。
それでも、ひとつの文章から全員が全く同じ意味を汲み取る事は永遠にない。
人はそれぞれ経験や環境や魂が違うから…
もし同じだったら、そんな世界は気持ち悪いですよね。
某宗教団体が言っている地上天国。どんな世界なのか聞いていると「気味の悪い世界」でした(笑)。その方の説明が悪かったのかな?

話が逸れましたが、僕が今回の記事で言いたい事は。

【譜面に強いが耳コピや暗譜が苦手なタイプのかたは、譜面に弱いが耳コピや暗譜が得意なかたを尊敬する】場合が多いのに比べて【譜面に弱いが耳コピや暗譜が得意なかたが、譜面に強いが耳コピや暗譜が苦手なかたを見下す】という底レベルな空気を少し感じました。
もちろん逆の空気も経験しています。「実は読譜力が…」の中でビッグバンドの練習を見学に行って吹かされた時、リーダーが「こいつ本当はちゃんと吹けるんだぞ」と言うまでは「ナニこいつ何も吹けねーじゃん」と言う空気でしたから、だから僕にとっては見下すどころか見下された経験の方が多かったのです。

でも最近どうもその逆の見下しが感じられる。
あるいはこれは僕の思い過ごしだったらごめん臭い。

もしかすると「オカハセが譜面弱いなら読めなくていいんじゃイェーッ」とか言う人はいないよね(笑)。

僕は確かに耳には自信があります。
けど譜面が弱いのはかなりの学習上の傷です。

オカリナの世界はまだまだ発展します。今の僕のレベルでは、僕が抱いている音の世界にはまだまだです。

僕が好きなかたは【ちゃんと自分の世界観を持ってる人】。
そういうかたなら自分と考え方が例え違っても尊重します。
僕は人に対してイエスマンになれないし、僕に対してイエスマンになる人もあまり好きくないです。

自分の世界観しっかり持ってるかたなら【譜面が読めた読めない、耳コピが出来た出来ないで】相手を見下すことはくだらないと思うはず。

ご静聴ありがとうございました。




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