初詣に行くよ、ハニー。先日連日夕刻においてカーリングの試合中継コレあり。しばしご歓談の手を止めて見ておりまするに、LS北見の選手紹介デースで出てきたのが、あれ?五月ちゃんって中部電力じゃなかったっけ?あの方は良き奥様になるに違いないね、などと云いながら見ておりますと、何とあのマリリンさんが先日ご出産の上もう現役復帰を果たされたなどと申しておるで候。現役復帰はどうでも善かれど、あのマリリンさんがイヤだわオッパイ張っちゃってぇ、なんて言っていると想うと胸が熱くなるで御座るなぁ。
さて。
相変わらず極悪非道この上ない話から始まる今年おそらく最後の更新で御座る。アイヤ、更新している内に新年を迎えるかも知れないので、まぁ年末年始のご挨拶で候。その前に、もうコレは読んで頂けたかな?
Forty-Four ←←←まだ読んでいないので今年最後の号泣をするためにクリックして読む。
前回の更新の時も云いましたけれど、なんだかなんとなく今年一年、気がつくと中学生高校生の頃に戻ったような、あの頃を懐かしむわけではないけれど、つい思いを馳せてしまうようなことが色々とあったような気がします。CDの話は、前回もしましたけれど、この間もテレビでやっていたように、REBECCAが再結成したりね。ああ、でも、ベースのノリさんが音楽界を引退していたのはちょっと驚いたのね。噂では、そのノリさんを救うために、何から救うのかはわからないけど、とにかく彼のために再結成を決意した、というようなことを聞いていたんだけど。
それにしても、私もどっぷりREBECCA世代でして、二十代前半まではドラム叩いてましたよ。テレビで再結成の時のライブの音が流れていると、ついスティック振っちゃってたし、今でもちゃんと覚えているのね。あの頃いっしょにREBECCAのコピーバンドやっていた連中は、今頃何しているんだろう?facebookでもチラッと言ったけど、あの頃あんなに可憐で美しかったお嬢さん方も、今では子供達に「うるせぇ、クソババァ」とか云われているんだろうな、なんて。
それはさておき、REBECCAの再結成はまぁ、ニュースではあるし懐かしいけれども、あまり昂揚するものはなかったのね。というのも、私にとっては、REBECCAは演奏するために聴いていた音楽で、嫌いじゃなかったけれど、熱狂的に聴いていたわけではないのよ。バンド演奏ありきで、私の中にドラムとセットでREBECCAはあったのね。それはもう何度も何度も聴き込んだけれど、それはほとんどスティックを振りながらだったのね。
だから、今度の紅白でもやっぱり「フレンズ」を演奏するみたいですけど、私はあの曲はあまり好きではないのね。それよりは、「ステファニー」とかの方がずっと好きだったし、アルバムでも「TIME」が一番好き。「POISON」以降だともう演奏が小難しくなって、あんまり聴かなくなったのね。
それでも、一番REBECCAの中で好きな曲は、と問われたら迷わず「ONE MORE KISS」と応える。コレはタイムの取り方が独特で、私は早々とスティックを投げ出したのね(笑)。だから単純に、この曲は聴いてイイなぁ、と思う唯一のREBECCAの曲。PVは何かしっくりこなかったけれど、でも、日本のロックもこういう曲がヒットするようになったのか、なんて想ったよ。
思い返せば、あの頃のバンドキッズ達は、ジャパメタから入って、REBECCAみたいな新しい日本語ロックに目覚めて、そしてイカ天ブームに乗ってビジュアル系が台頭するのね。それ以降はバブルが弾けて、日本の音楽業界は曲よりもレーベルや、レコード会社が幅をきかすようになる。ちょうど武道館伝説が、東京ドームに取って代わるようになったのとシンクロしている。日本のロックは変容した残骸が今は残っているけれど、すでにかつてのロックは死んだと言い切ってもイイと想うのね。
そういう未来は置いておいて、幸か不幸か、その勃興衰退していく過程をわりとリアルタイムで見てきた私としては、今更過去に戻る気はないし、ということばかり考えていて、ふと気づいた。さてそれでは、私が初めてREBECCAというバンドを知ったのは、何のきっかけだったんだろうか?とね。
その前のジャパメタブームは、間違いなしにNHKの土曜の夕方やっていたライブで、アースシェイカーや浜田麻里を見たのがきっかけ。私が初めてアースシェイカーをライブで演奏したのは、高一が終わる春休みで、その前年の秋の文化祭で、先輩がみんなアースシェイカーをやっているのを見て、真似したというか、演奏せずに居られなかったというか(笑)。
で、その後の記憶はもう、REBECCAのコピーバンドになる。いくつか掛け持ちしていたけれど、いっしょにシーナ&ザ・ロケッツなんかもコピーしていた。シナ・ロケはYMO関係で小学生の頃から知っていたけれど、果たしてファースト・REBECCAは何だ?
思い出したのが、関西のテレビ番組の「なげやり倶楽部」という中島らもさんがやっていた番組。土曜の夕方にやっていた三十分ぐらいの番組で、ただ、ネット遅れがあったのか、リアルタイムだったのかは定かではないけど。中に恐怖のぶぶ漬けというコーナーがあって、そこでキッチュ時代の松尾貴史さんが桂米朝さんの物まねで、必ず最後に「よろしおますな」というフレーズを喋っていたのを良く覚えている。この「よろしおますな」は、未だに道を歩いていたりすると口を突いて出る時がある(笑)。
番組はバラエティ番組、というくくりだったけれど、必ずバンドがゲストで呼ばれていて、ちょっとしたライブもやっていたのね。そこで見た記憶は、シーナ&ロケッツと、BOφWYの印象が強かったんだけど、最近調べてみたら、そこでREBECCAを見ていたのね。他にも、爆風スランプ、バービーボーイズ、戸川純、米米CLUBなんかが出ていた。
多少記憶を辿ると、爆風はその前にFMで渋谷陽一さんが押していたのが最初で、バービーボーイズは、その頃流行りだしていたプロモーション・ビデオが最初だったと想う。何れもファーストアルバム、まだLPの時代だったけれど、買ったなぁ。ちなみに、私の周囲で一番最初にBOφWYのアルバムを買ったのは私が最初で、ちょっと後になって売れ始めてからずいぶんと、LP貸して貸して、と女の子に引っ張りだこだったのね。
余談ですが、その番組を収録していたのがポートアイランドの賑やかな所で、とにかく目に華やかな印象がずっと残っていたのね。ポートピアにも行ったことがあるし、尼崎に住んでいた時は時々遊びに行ってたし。その印象がずっと残っていて、十年ほど前にクルマで神戸に遊びに行った時、あの橋が渡りたくて(笑)ポートピアにまで脚を伸ばしたのね。もう神戸空港は出来ていたけれど、遊園地も何もかも寂れてて相当がっかりした。ちょっと食事をしよう、という感じで歩き回ったのだけど、もうただの街で、華やかさは欠片もなかった。
それはさて於いて話を整理すると、REBECCAはバンドでコピーするようになったきっかけは、おそらくその「なげやり倶楽部」を見て、だったはずなのね。番組自体は別の繋がりで強く印象に残っていたのだけど、そこにREBECCAが関わっていたとはね、と今更思い出してちょっと感慨に耽っている。
あの頃は、わりと新しい音楽が溢れていて、そして私はそれに敏感だった。ネットもなく、雑誌とテレビしかなかったけれど、テレビはようやくロックが流れ始めた頃だったし、オマケに田舎の香川だったし。それでも、その少ない情報源を頼りに耳聡く音を仕入れていたんだから、自分頑張ってたな、ってちょっと想うのよ(笑)。
そんなわけで、バンド目線でREBECCAとは付き合っていて、でテレビで今回の再結成を見たけれど、おそらく初めてだろうけど、ずっとNOKKOさんばかり見ていました。いやぁ、彼女もイイ太り方したよなぁ、ってね(笑)。前にあまちゃんの薬師丸さんや、小泉さんを見て感じたことといっしょの、太ってやっと親近感が湧くというか、NOKKOさんもそうなっていました。
REBECCAをリアルタイムで聴いていた頃は、その後トランジスタ・グラマーなんて歌をうたったぐらい、ああいうスリムな感じは苦手な部類でしたし、顔立ちもまったく好みではなく、そういう視線でREBECCAを見たことは皆無でした。それが今なら、というわけでもないですけど、良いなとは想います。しかし、先日のNHKで、NOKKO(52)と出た時はびっくりしました。まぁ、自分も同じだけ歳取っているんですけど。
あれ?何でREBECCAの話で終わってんだ?違うよ、そういうんじゃなくて、もっと年末らしい話をするつもりだったのに、それはまた明日だよ、年が変わらないうちに年末の話をしなくちゃ。
なんてね、だから来年はREBECCAのギターをコピーするよ、って云ってみました。高校時代に流行った曲を、あの頃はドラムでしたけれど、今度はギターで弾いてみよう、と思い立ちまして、来年はREBECCAとアースシェイカーなんかを、弾けるように練習しようと決めました。それに、ちょっと人前でギターを渡されて何か弾いてよ、なんていう時にパララッと弾けるように、そういうレパートリーを増やしたいな、と。だから、エレキはそちら方面のコピーで固めて、もうちょっとアコギの方を熱心に弾こうかな、と想ってます。弾き語りは無理なので、アコギのギターインストとか、後は、やっぱりストーンズの「LOVE IN VAIN」ぐらいは弾けるようになっておかないと、ってコトで。
それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。