拘りは人それぞれだよ、ハニー。うどんの種類は数あれど、ワタクシは焼きうどん(鍋焼きも含む)と味噌煮込みうどんはうどんとして認めてないからね。いや、地方にそういううどんがあって、それが特色になっているのを否定はしない。でも、讃岐うどんのカテゴリーにそれはないって事だよ。だから一緒くたにして欲しくないんだよね。ちなみに力うどんも、私的には微妙だ(笑)。
さて。
昨日の続きで、読書感想文。
- ここがロドスだ、ここで跳べ!/山川健一
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というより今日は、烏滸がましくも最近のケンさん評、みたいになるかも知れない。一度、確認しておきたいのは、太宰さんの時も再三言ったんだけど、私の場合、いろんな作品はまずは自分の手許にグッと引き寄せて、あたかもそれを自分が作った、ぐらいのところまで引き込んで、それを元に評する、という形が常なので、客観的に観て、とかいう所謂文芸評とは違うので気を付けてね。だから、妄想虚言、たくさん出てくるのであしからず。
まぁ、些細なことでも一応言っておくと、実は前半の印象で、私は主人公を伊津野亮さん の顔をイメージして読んでいたのね。そして優里の顔は村岡希美さん (笑)。なぜだ?と言われても説明しようがないのだけど、別の世界に行って少し肥った、という表現でかなぁ?最後の方にイラストが出ていて、自分のイメージとまったく違っていたので、自分を情けなく思ったよ。それは多分読解力がない私の責任だ。
それはさておき、ケンさんが今、神をさがす旅に出ていて、それの延長線上にこの作品がある、というような印象を持って読み始めたのね。でも、それは違う方向へ流れていく。こういう言い方が良ければ、裏切られたような感じ。というのも、どうも、そういう話は出てくるけど、そんなのどうでもイイよ、という突き放した感じで、話が進んでいくのね。それよりはもっと、今の世相の方が心配だし、もっともっと身近な俺たちが抱えている問題の方が切実だぜ、って。
ここで私の拙い神探しの話をすると、ケンさんの作品やら、自分の身から出たサビやらのお陰で四国八十八カ所をクルマで廻って以来、宗教関連の本を読み、そういうテレビとかも観て、玄関先でキリスト教の勧誘の人と言い合いになったりとか、古事記を元とした神様の話とか読んだりして、一応自分なりにキーワードを見つけた。
それは前にも言ったけど、宗教はスタイル、神様はシステム。
宗教は道徳規範だから、救いもなにも幻想だけど嘘ではないし間違ってはいない。だから、どれを選ぶのも自由だし、選ばない自由も当然ある。一方の神様、八百万の神様が寄って集ってこの世界を形作っているから、それは変えようがないし、人間に不都合だからといって変えてくれるものでもない。役割分担が決まっていて、時々は罰を与える。そういって良ければ、なんとも業の深い人たちだ(笑)。
でも、システムだから、それは人間も含まれている。それは私なりの考え方によると、人間の遺伝子の中にちゃんと書き込まれているはずで、なんなら人間の原初からの記憶や、ノーベル的発明発見の設計図も全部備わっている。究極神の姿を見る、というのがその発見なら、そのスイッチもきっと仕込まれているに違いない。ただ、多くの人が、そのスイッチを見つけられないだけで、中に特殊な訓練を積んだり、何かのキッカケでスイッチを見つけた人が、所謂スピリチュアルなモノが見えたり、触れたりすることが出来て、それはマサに神様のシステムに触れることだと思うのね。
多くの人が、そのシステムに手が届かないのは、多分それがまだ種としての人間の進化がそこで止まっているのだと思う。可能性はきっと、人間には残されていると思うのね。
つまり、何が言いたいかっていうと、神様はきっと人間の中にいるんだよ。空海さんやキリストはんが観た世界は、きっと同じ世界で、それは自分の中にあるモノだったはずなんだよ、と私は思う。
それと同じ事を、たぶんケンさんは知っている。無意識にケンさんに私が教わったのかも知れない。それを偉そうに、さも自分で見つけたように今ここで言っているのかも知れない。でも、確実にケンさんは知っている。京都で、アイリィさん がケンさんに逢って、ケンさんはなんでも知っている、って感じでした、とコメントしてくれたんだけど、そうなんだよね。ケンさんはなんでも知っていて、見透かされているような気がするんだよ。
そこら辺がこう簡単に、読書感想とかしてて良いのか、というちょっと畏怖という感じになってしまうのだけど。まぁ、私は、ケンさんのようにMac使いではなく、バリバリのDOS/Vブルースマンなので、そういうところもあったりとかなかったりとか、そういう話はまた別の機会で。
でも、ロドスは、言って良ければ、とてもフラットな平凡目線から観た、現代なのね。それはもう、お話にならないぐらいにささやかな幸せや、ささやかな事件なんだけど、そうして現実、日常というモノは進んでいき、人はそこで子を産み育て、死んでいくのよ。それは神様も仏様も、一種のアイテムであり、精神世界の旅に出るより明日のオカズなのよ。
そこがこの作品のおもしろいところで、でも、それが鳥男が導いた別の世界、という構造になっていて、だから些細な事件がとても輝いて見えるのよ。そしてそれは、共感と共に、グイグイと私達を作品の中に誘い込むわけ。昨日も言ったけど、私と同世代ぐらいかなぁ、なんて思っている間に、もう自分に妻や子供がいる気分になるわけ。
実はそのささやかで平凡な世界は、ロドスで跳んだ、いわば決意して決起した後に生まれた世界で、以前いたコンクリートの中の非凡な世界は挫折した後に導かれた世界だったのね。
最終的に主人公が惹かれた世界は、ささやかな平凡な世界だったのね。
そしてそれに気がついた主人公は、やがて非凡な世界で、ささやかな幸せに繋がるやり方を模索する。つまりそれは、愛というモノの形を大切に守っていく世界で、そのプリミティブな感情をいつまでも守っていくことが、本当の生き方なのだと気がつくのよ。
昨日も言ったけど、結局のところ、ケンさんの主題はこのイノセンスの在処、に関して徹頭徹尾一貫していて、それは自分の中にあり、愛はそのプリミティブな発露なんだ、という事なのね。守り続けるのがプライドで、守るのは自分だ。助け合いは必要だけど、いつも自分が主体的に、それだけを守り続けることが先ず大事なのだ。
この作品で、その愛は、優里にも向けられるんだけど、それよりはもっと亜衣、という中学生の娘に向けられている。コレはもう、愛や恋の言葉を知らなくても、誰もが根元的に隠し持っている感情に他ならない。それはとてもささやかだけど、日常にはあふれている。
私は子供持った経験がないのだけど、それでも、例えばどんなに彼女とケンカしても、翌日彼女の姿が待ち合わせのクルマのフロントガラスの端っこに見えただけで、少しばかり心が高揚するのに似ている。これからもしかしたら罵り合いになるかも知れないけど、その瞬間だけは好き、の感情に包まれているのだ。
多分それが、どうしたって拭えないとてもプリミティブな愛なんだろうね。
結果、非凡な家庭を手にする直前に、有機野菜の新たなビジネス・モデルを捜し当て、再起を図ろうとする。それは如何にも、コンクリートの住人が考えそうなことだけど、現実でもある。その時に、ふと、この記事のタイトルになっている言葉が浮かんだのね。
コンクリートの世界をくぐり抜け、ただイノセントな心を守り続けて、辿り着いたところは焦げ茶色の土の世界だった。
最近私は、前にもちょっと言ったけど、選挙の時に感じた東京と、東京になりたくて堪らない地方、という図式のことをずっと考えていて、日本が再生するには、もう東京の考え方で考えることを辞めて、自分たちが住んでいる地に足をメリ込ませる努力をした方が、ずっと未来がある、という気がしているのね。地方が、ある種人の生きるプリミティブな場を演出できれば、それはこの上もなく幸せな土地になるだろう、という淡い期待を抱いているのよ。
そういう意味も込めて、最近香川再発見キャンペーンで、まぁ、夏の旅行であちこち行ったり、先日のように龍と闘ってみたり怪獣に逢いに行ったりしたのね。おもしろいことに、その気になってみれば、香川や四国で、私が知らないおもしろそうなところがたくさんある。要は、それをどれだけおもしろがることが出来るか、という人の側にかかっているんだろうと思う。
人が動くこと、動かすこと、その多くの試みは失敗している。課題は多いのだろうね。
昨今香川で行われている芸術祭も、という話はまた長くなるので、明日にするが、とにかく、希望は土の残っているところにしかないような、そんな気はするのね。
話があらぬ所に行ってしまったが、結論を改めていいますと、ちくしょう、ケンさんにそこまで踏み込まれたら、地方で叫んでいるフリをしている私がまた太刀打ちできなくなるじゃないか、参ったなぁ。あとはもう、ケンさんに旋盤工で油にまみれて朝から晩まで休日も無しで働いて、更にそれでも給料が20万そこそこ、という主人公がイノセンスの在処を捜す物語を書かれたら、お手上げだよ(笑)。それが犯罪者とかになる話だと、決定的だね、もう追いつく余地ナシだよぉ。
そういう戯れ言はさておき、本当におもしろい小説でしたね。感動して、実をいうと最後の一行でちょっとウルっと来た。鳥男は、僕にも見えるし、優里にも見える。それは人間のDNAに備わっている共通のモノだからで、そしてそれはいろんな人とも繋がっている。それ自体を愛と言わずに、何を愛というのだろうか。愛を感じた時に、鳥男はそこにいる。
私はそれで充分だ。
なんてね、ちなみに続いてコレを読み終えたよ、って言ってみました。
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一応繋がりは、ロドスの主人公と家族構成が一緒、という事で(笑)。前作読んでいるから、やっぱり読まないと。で、今は西原さんに戻って、コレ読んでます。
- サイバラ式 (角川文庫)/西原 理恵子
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しばらく、お嬢さんの情念、みたいなモノを追求していくつもり、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。