負けちゃったよ、ハニー。白鵬まさかの一敗だね。でも、先日自民党に投票した方々は、ズルリンっと溜飲を下げたのではないでしょうか?だって気が付けば、あれほど前評判の高かった白鵬が優勝戦線から一歩後退で、あの朝青龍が全勝しているんですもの。誰が見ても、朝青龍はこれでもかってぐらい批判を一心に浴びる自民党、まさにヒール。一方白鵬は期待を一身に浴びる民主党、まさしくベビーフェース。まぁ、あくまでもイメージね。
でも、まだ他にも全勝している力士もいて、琴欧州とか琴光喜とか。これは果たして、どっちが社民党で、どっちが公明党か?などと秋の夜長に考え込んで寝られなくなるのも一興かと。
さて、その民社党の福島女史。え~?なんでそんなに他人の為にこき使われるのが、嬉しくて堪らないの?民主党だと、利権も献金も望み薄だよ、という話。
昨日アップした後調べてみたら、私と同世代、なんて飛んでもない。けっこうお年を召していらっしゃる。なのに綺麗だね、若々しいね。最近のお嬢さんは本当に若々しい。それに比べて、男どもは、みんないろんな所がズルッと逝ってらっしゃる。私にしてもそうね。
まぁ、昔は年相応の書き文字、というものがあって、それがちょっとした年輪の深さというか、尊敬度合いも示していたわけだけど、世は実力主義の世の中。一国のトップに連なる人が、丸っこい字でもイイじゃない、という時代。でも、私は楷書で達筆、なんていわれているのより、ずっと丸文字の方が好きだよ。
私は現在、このブログを書くのも、拙いストーリーを紡ぎ出すのも、全てパソコンに向かってキーをビリリンと打っております。でも、ホント言うと、自分の書き文字は嫌いじゃないのね。別に上手じゃないし、前にも言ったけど、筆圧が凄くてサ、A4一枚書き上げると軽く湾曲するってぐらいでね。
でも、未だに、思いついたこととか、メモとか、ストーリーの原案とか、サササリュンと走り書きをします。だから私の身近には必ず、シャーペンと消しゴム、メモ用紙は欠かせません。思いついたら直ぐ書く。これは相変わらずずっと続けております。
パソコンに向かうのは仕上げ作業みたいなもので、例えば、他人にお見せする時に、それなりに意味の通じる文字じゃないと、という意識があって、さすがに原稿用紙に書いた文章は、ちょっと他人にはお見せ出来ないよ、という意識は持っているのね。それと、やっぱり漢字を知らないのね。IMEの変換機能って、これはもう私には外せないのね。
時々、ササシュっと、メモ書きしている時に漢字がわからなくて、いつもはカタカナにして紛らわすんだけど、時々それが許せなくて、わざわざケータイのメモ帳で変換してみて、それを書き写す、なんていう何してんだかわからない時もあったりとか、無かったりとか。
結局、文字、というのもビジュアル的に捕らえているような気がする。書き文字には、書き文字の素敵で流麗な線があって、パソコンで打って出てくる活字にもこれはこれで威厳のあるような無いような、カッチリとした趣があると思うのね。だから、私はあんまり絵文字とか使わないし、ギャル文字?顔文字?あんまり好きじゃないのね。まぁ、それは機種依存文字、とかあって互換性がないから、という別のこだわりがあるんだけど。
姫は私の趣味を良く知っていて、だが自分のこだわりも崩そうとしない全く協調性のないヤツ。私はヤツがササピリン、とノートの隅っこに書いたようなイラストが大好きなのだが、それはそれ、一応イラストの学校まで行った女。それを知りつつ、私の発注にその線を再現しつつ、だがやっぱりイラストというか絵画というのはこうあるべきだぞこのニャロウ、と言わんばかりの画を描いてくるのだな。結果ひじょうに奇妙な画になるのは、このブログでもご紹介済み。
話がずれたが、結局、自分の書き文字っていうのは、私のイラストみたいな感覚があるのね。だから、それは実は漢字の使い方、にも意識が向くのね。
私が文字と言いました、と、文字っていうのは、というのの違い、わかる?言葉を発する言う、何かを補修するいう。これは同じ響きだけど、漢字を使うべき所と使ってはいけないところに別れるのね。こういう所って、けっこういろんなブログを拝見するに、間違っているよな、なんて思うのね。というか気を遣っていないというか、勝手に変換されたからそのまま、ってぐあいで。
別に他人様のそれは好いのよ。気にはならない。でも、私は拘るのね。あくまでも私の個人的趣味ですけど。あと、行く、と逝く、では意味するところは違うけど、敢えて使うとか、使わないとか。
漢字って意匠文字だから、その言葉自体で、意味を表すのね。だから読まなくても、その字自体が醸し出す響きとか、イメージとかあると思うのね。私はそれを凄く意識するのね。で、ちょっと話は逸れるかもしれないけど、テレビでけっこうテロップが多用されるようになって、でもそれはあくまでも画面の補足であって、それ以上の意味を持っていなかった時代が長くて。それをエヴァンゲリオン、というか庵野秀明が見事にイメージを伝える手段に使ったのね。フォントとか、段組とか、意識的にある種のイメージを伝えるのに使った。それは私が長きに渡り求めていたモノで、謎云々よりも、そっちの方に私は目を奪われたのね。
話が逸れたけど、文字がある種のイメージを持って、それはひいてはその人を現す、というのはこの日本に生まれて、幸福なことだと私は思うわけ。ひらがなにしても、カタカナにしても、漢字にしても、これだけ表現の種類が豊富にあって、それを意味を伝えるだけでなく、いろんな事に使えるって、とても幸せなことだと思うのね。
補足しておきますと、私はビックリするぐらい字が汚いです。特に、ちゃんと書かないといけない公文書の文字とかあるでしょ?アレなんかもう酷いよ。それがあるから、ワープロがでてきた時には、もう飛びついたのね。活字変換、というモノが発明されなかったら、私は多分、こんな風にブログを書いたり、ストーリーを紡ぎ出そうとは思わなかったと思う。
ということで、明日はそういう文明の利器を、ふんだんに愚弄するお話を。
なんてね、明日から連休だかなんだか知らないけど穀潰しには全く関係ないのね、って言ってみました。どうなんですか?皆さん新型インフルエンザとかものともせずに、行楽の計画とか立てていらっしゃるんでしょうか?不況だなんだと言われながら、けっこう日本人は余裕を持って暮らしてらっしゃる。イイじゃないですか、政権も替わったことですし、楽しみましょうよ。でもね、もっとイイ行楽があるよ。せっかく長い休みなんですから、この機会に私のブログを最初から全部読んでみるとか。別の時にこんなダラダラ長いブログなんて読めませんよ。しかも、突っ込みどころ満載の音楽まで聴けるんですから(笑)。ということで行楽のお供にエレクラ・ブログを、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。