下弦の月(その四) | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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おぅどしたどしたという方は予告 からどうぞ。

 

 

先生、ごめんなさい

 

一度横になった美波は、落ち着いたのか、また笑顔に戻っていた。上半身だけを起こして、私に向かった。でもまだ、完全には、笑ってはいない。

 

大丈夫?

 

ハイ、と美波は答えた。

 

今日は何か、私に訊きたい事があって来たんでしょ?

 

そうだけど、無理しなくてイイよ

 

大丈夫です。本当に

 

救われた気がした。

 

まぁ、訊きたい事って言うか、確認だね。君は随分ともう、いろんな事に答えてくれているからね

 

私は持っていた鞄から書類を取り出しながら、そう言った。学生時代から使っている鞄だが、そう言えば、あの事件の時も、この鞄を持っていたな、と今更ながらに思い出した。

 

君が封印を解いた後の事、覚えている?

 

美波は首を振った。

 

その直後は何も。気が付いたら辺りが大変な事になっていて。周りにあった森がなぎ倒されてて、祠だけがぽつんとそこにあった

 

君はどの場所にいたのかな

 

私は一枚の手書きの地図を指し出した。広石島を訪れた後、そこで見た位置関係を図にしたモノだ。

この辺りです、と美波は細い人差し指で指した。

 

祠の前、だね。それはどちら向きに?

 

祠の方へ向かって倒れてました。ちょうどおばあさんに言われた注連縄を引きちぎったその格好で

 

という事は、注連縄をちぎった事までは覚えているんだね?

 

少し美波は首を傾げる。

 

その瞬間は・・・よく・・・覚えてないんです。引きちぎったのかどうかも、気が付いた時にそんな格好していたから、自分がやったのかな、っていうぐらいで

 

なるほど、と私は言って、もう一度資料に目を落とした。確かに、それ以上の事は供述調書にも書いていない。たぶん、取り調べの時もそこのところをしつこく訊かれただろう。だが、それがここまでの供述で止まっているという事は、それ以上聞けなかった、という事だ。さすがに百戦錬磨の検事や刑事が、根を上げたとは思えない。ある程度納得したのだろう。

 

良く覚えていないという事だけど、何か思いだしたような事はある?どんな些細な事でも好いんだ

 

しばらく美波はじっと考えていた。視線を自分の手に向けたまま、じっと見ていた。

 

・・・コレは・・・ちょっと、よくわからない事なんですけど

 

何かな?なんでもイイよ

 

その時の事だったのか、それとも、後の事だったのか、あれから時間の感覚が曖昧で、よくわからないんですけど

 

イイよ

 

美波は顔を上げて私を見た。何処までも透き通るような瞳が、こちらをじっと見据える。私は一瞬、吸い込まれてしまうような奇妙な感覚に捕らわれた。

 

白い部屋、みたいな・・・部屋かどうか、何か霧が立ちこめていてよく見えないのか、それとも辺り一面が真っ白なのか、よくわからないけど・・・、とにかくそんなところにいたんです

 

白い・・・部屋?

 

美波は頷く。そしてまた、遠くを見つめた眼差しで、何かを探すように言葉を紡ぐ。

 

地面に足を着けているような感覚が無くて、本当に時間の感覚もなくて、でも、自分の感覚というか、視線とか、手に触る感触とか、それはなんだかわかるんです。でも、それがフワフワとしていて、まるで雲の上に浮かんでいるみたいな

 

痛みとか、何かを掴んだとか、そういう感覚は?

 

良く覚えてません。でも、ものすごく、暖かで、それが急に熱くなって、アッと言う間に何かに吸い込まれるような感覚があって・・・

 

そう言って美波は息を飲んだ。みるみる彼女の顔が強ばる。

 

大丈夫?無理しなくてイイよ

 

だが、私の言葉が聞こえないかのように、彼女は一点を見つめたまま動かなくなった。その内、額を汗が伝い始め、小刻みに震え始めた。

私は慌てた。先ほどの看護婦の言葉が、急によみがえってきた。

 

美波ちゃん、大丈夫?少し休もうか

 

彼女は急に背中を丸め、両腕を自分で抱きしめた。前のめりにうずくまり、大きく肩で息をし始めた。

 

医者の先生を呼ぼう、もうイイよ

 

私が立ち上がろうとするところを、美波の手が押しとどめた。信じられないくらい強い力で腕を掴まれ、私は驚いた。

 

ダメ・・・

 

美波は髪を振り乱して何度も首を振った。私は愕然としたまま、ようやく椅子に座り直した。

とりあえず、私は手を伸ばし、彼女の背中をさすった。

 

横になろう

 

美波はうなずき、ベッドに俯せに横たわった。私は戸惑うばかりで、為す術がなかった。じっと彼女を見つめたまま、時間だけが過ぎていった。

 

 

(明日に続く)