失言 | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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ントのコト言っちゃダメだよ、ハニー。またしても麻生さん言で、野党大騒ぎ。北朝鮮も一緒なんだけど、ちょっとえればわかるでしょ?こういうコト言えば自分に不利になるとか、相手を気づけるとか。その思慮のさがなんかイヤね。でも、言っている事は、のところホントの事だと思うのね。

 

思いやりとか、愛情とか、しみとか。そういう観点から言えば、お年寄りに無駄に死んでいくぐらいなら働け、というのは確かに題があると思うよ。でも、落ち着いて考えればサ、まんざら麻生さんが言った事もじゃないと思うわけ。今ご高齢の方の多くは、戦後の復興と高度成長をき抜いてきた人達だと思うのね。とにかく働く事が何よりも至上命題で、かになる事が至高の目標だったと思うのね。

つまり、今みたいに余暇が富にあるわけでもなく、趣味っていってそれに没頭出来るような時間があったわけでもないと思うのね。趣味とかって、一時期うぐらいにのめり込む時間がないと、身体には身に付かないものだしね。そういう体験をしてこなかった世代が、今更時間が出来たからって何が来るっていうんでしょう?

 

今更そういう人達に趣味を持って、時間に見合ったを使えって言ったって、それはただの押しつけで、またなんとなくその気になっていろいろと不幸なトラブルも起きているワケじゃない?だから、結局事をさせるっていうのが一番イイと思うのね。

結局の所、仕事をするにしろ、趣味を見つけるにしろ、その人個人個人の択であって、後の世代と政治家がすべきは、その選択を与えてやるってコトなんじゃないかな?働きたい人はいっぱいると思うよ。働く事で生きている感っていうものを得たい、という人は。ならば、その人の体力、能力に見合った職場を供してあげた方がイイと思う。

 

今は本当にな形が出来ていてね。子供たちと老人がものすごく狭い範囲しか動けなくて屈さを感じている。一方で働き盛りの世代が、いいようにこき使われてれ果てている。それを巧くらす事が出来ていない。いわゆる、大きな意味でのワークシェアリングだよね。

バブル以前は、大人たちは毎日働いてGDPをどんどん上げていても、子供たちにはルバイト、っていう働き口があった。老人たちには育、という持ち場があった。それが完全にれている。アルバイトは規制や、産業の変化で大人たちの分になっている。教育もあまりに移り変わりの早い時代になって、老人にはいついていけない。そういう造が出来てしまっているんだよね。

 

もちろん、それをならそうとすると、対的に産業のパイが縮小しているんだから、みんな貧乏になるよ。でも、生き甲斐っていうものを、仕事っていう事にしつけるのなら、それはもう仕方がない事なんだと思うのね。だって誰もボってイイよ、って言わないもの。

 

そういう意味での、麻生さんの発言は、自分をとしめているだけに過ぎない。失策を調するだけ。だけど一方でそれにヤイヤイ言う人達も、的をしている。鳩山さんったね。私の母は85になって韓国語をんでいるぜ、なんて。それはあんた、持ちの論理だよ。これまた態とかけ離れている。っちもどっちだと思うね。

 

などと、社会に貢献していない私は、しているようで、確実に誰かが職にありつける場を提供している()。イヤ、一人分とかじゃなく、けっこうな人のになっているぜ。私がひとたび気で働き出せば、二、三人分は確実に働くものな。前の仕事場では、簡易NC旋盤二台と、汎用旋盤を一度にかしてたものな。後IT部長任で。たまに接とかしたりして。外回りの達とかもしてたな。

コレは誰かに彰してもらいたいものだ、なんて言ってみても、誰も褒めてくれないので自分で言ってみた。

 

今はなんだろうね、んどくささが先に立ってもうあの頃には戻れない、という気が強い。けっこうその場に放り込まれればそのになるんだろうけど。実は今さっきまで、またパソコンをしてました。ソフトだけの問題ではないだろうと、あちこち弄っていたんだけど、コレが易に直るものでもなく。けたり閉じたり付けたり外したり。ものすごくんどくさい。

そういう機械いじりって、きなはずなんだけど、今はものすごくめんどくさいと感じてしまう。コレはなんだか自分のモチベーションの下降減に、ちょっと辟易する。第一、もしかしてコレが直らなかったら、明日コレを買って交換してみて、ってに出るのがものすごく億劫で、どんよりとした気分になってしまう。あぁ、なんだろうね、この分は?

 

でもね、最近ちょっとうのよ。このブログをずっと読んでくれている人はわかると思うけど、私が思うに、人間というのは何処までもマケモノで、な事しかしなくて、ちょっと目を離すとい事ばっかりして、ルールは破る、気持ちのいい事に目がない、っていう感覚を持っているのね。性善説というのか性悪説というのか、私には義出来ないけど、とにかく、抗えない欲求ってヤツを理矢理押し込んでいるのが人間だと思うのね。そのたがを外してやると、人間はどんどんどくなっていく。そうっているのね。

 

でも、実ちょっとニュースとか見てみてよ。みんなきたい、働きたい、働きたい、って毎日言っている。ントにそうなの?それは貧乏でめになりたくないから仕方なくやっているだけじゃないの?もし、毎日職場に行かなくて、お金が入ってくるようになったら、も働かないでしょ?

たり前の事を言ってる?でもね、なんでそうも働く事が何よりも先するような言い方するのかな?って思う。もちろん、生きていくのに最低限のお金は要で、その為に働くのはわかる。でも、それ上に働く事無いじゃないの?と思う。イヤ、働きたいのならそれはまわない。でも時々はボりたいでしょ?それをめてあげたら?って思うのね。かるかな?

 

でもね、コレってたぶん、今度の選挙で自分の択に大きなきっかけを与えると思うんだ。もっと大袈裟に言うとね、自分が本当にしたい事は何?どんな来が理想なの?っていうのを突き詰めて考える事なんだと思うのね。

私の場合、それはもうずっと以前から変わっていなくてね、働いたら働いた分だけ、の丈にあった評価をして欲しい、っていうだけなのね。そういう世界が想なの。剰に求めるのもイヤだし、求められるのもイヤ。それが何かをする時の、一番の準だと思っているのね。

 

そう考えると、今の選挙の事前運動とか、ちょっとした今回の競り合いとか、いつかでるマニフェストの骨子とか、全部帯に短し襷に長し。未だ、レというものはない。だからこそ、いろいろと料集めには余念がないのね。

 

なんてね、丈高自画自賛してみました。さてさて、鬼姫さんはようやく第三章をきわめきながら書き上げまして。これから敲しようというところでパソコさんが悲鳴を上げたのでおざなりになってます。ジコケンオーはますます大になって私を襲ってきております。本当はこのジコケンオーとのいをストーリーにした方がおもしろいんじゃないかって勢いで。発表近日、いも寄らない時期に始まりますので、毎日毎時間片時も見すことなくその日を待て!って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。