邪神覚醒 (←←←クリックしてね)
「彼らはちょうど俺がこの村を出る前の晩から、儀式を始めていた。なんでも、龍を呼び起こす、と。用意は揃った、ってその娘は言ってたな。世界の邪悪なモノを喰らう龍を復活させる為に儀式をしたんだ、ってね」
「儀式、ですか」
「俺が言っているのは、あくまでも、聞いた話だ。とにかく、この四国には昔から、牛鬼伝説っていうヤツがあるらしい。それに基づく儀式をしたっていってたぜ」
彼女が安田顕次氏に遺言を残したように、その宗教団体の痕跡は、いくつか見つかっている。例えば、教祖の藤木自身がここに移住する前に、インターネットにひとつの文章を残している。そこにも牛鬼、という文字が出てきていた。
元民俗学者であった藤木は、日本に伝わる民話や伝説を集めていた。そこに西日本に広く伝わっている牛鬼、と呼ばれる怪物の話を見つける。それは他の妖怪と違い、とにかく主として人間を襲い、邪悪なモノとして伝えられている。その伝承が広く各地に伝わっていることと、徹底して悪人として描かれていることに注目する。
特に四国には龍の名が付く地名が数多く、愛媛の西部にはまさに牛鬼、と呼ばれるモノが祭りの主役になっている。そして、牛鬼の遺物と呼ばれるモノが、香川、徳島に残されている。
更に、彼は飛鳥村で出土したある剣に、それが実在したモノである、という証拠が刻まれていた、といっている。そして、彼が受けた啓示というのが、それらをひとつに繋ぐ為の神の声だった、と彼は書き残していた。
それを裏付けるように、徳島、香川、飛鳥村にて、それらが盗まれていることから、やはりその犯行はこの教団の手によるモノだと思われた。更に、儀式によって使われた、と見るのが自然な流れだろう。
「信じ込んでいたのか、教え込まれていたのか、その娘はとうとうと伝説っていうモノを語って聞かせてくれた。まぁ半信半疑で聞いていたからほとんど覚えてはいないけど。でも、その儀式は、椿の根本で行われる、っていうのは覚えている。普通は海のそばとかもっと暖かい土地に咲く椿が、この山には無数に咲いているところがあって、そこが例の場所だった。それは俺も見たことがあるから良く覚えているんだ。ばあさんも言ってたしな、その根元には精霊が宿っていて、龍が潜む地面の下の洞窟に繋がっている、って」
またしても広石島のように、伝説という言葉がここでもキーワードになっていた。だが、今の私達にそのすべてを絵空事だとか、ただの何かの見間違え、とは言えなくなっていた。私達は現実のこの世のモノとは思えないモノを、この目で見て、その咆哮を耳にし、彼らが巻き上げる建物の破片や人の亡骸を必死で避けて走ったのだ。何もかもが現実のモノとして、私達は受け入れざるを得なくなっていた。
「あぁひとつ、イヤなことを言っていたな」
「イヤなこと?」
「うん。イヤなことだ。まぁ、日本が壊れちまった後で、イヤなことって言ってもたかがしれているかもしれないけどな」
ふう、と一息、彼は溜息を吐いた。私も同じように、息を吐く。
「こっちに移ってから、奴らの中で子供が産まれたらしい。その子を、その・・・」
ひどく言いにくそうに、彼は言葉を濁した。
「生け贄ですか」
私の言葉に、彼は顔を上げた。何か反論したそうだったが、それが不可能なことを悟って、次第に何もかもが諦めの表情の中に消えていった。
「今となっては、生け贄どころか、あいつらみんな死んじまったからな。どっちみち、同じことだったけど」
ちょっと失礼、といって彼は家の奥に消えた。私は手元の資料に目を落とす。
光が見えた後、直ぐにはこの地に何が起こったのかはわからなかった。先ほど言った自衛隊が捜索にやってきた時に初めて、その全貌が明らかになる。
実況検分によると、そこには直径二十メートルの穴が、ぽっかりと空いていた。それはちょうど北に向かってやや斜めにえぐられていた。写真を見る限り、まるで山の斜面から何かが飛び出したように見える。周囲の木々はなぎ倒されていたが、一本だけ巨木の根だけがそこに止まっていた。資料によれば椿の古木、という。
木々の間には散在する50名程の遺体が確認された。そのうち八名は、この村の麓にある町の消防団。十二名が警察官だということだ。当時、件の強盗事件の犯人逮捕の為に、ここに警察官と案内の一団が向かっていたそうだ。この場所が事件の中心である、ということがなかなか特定出来なかったのは、事件後の混乱のせいもあるが、この消えた二十名の行方を、探す者がいなかったからである。ほとんどの者がこの周辺の村から集められた者で、それは復活したモノによってその村自体を破壊されたのだ。幾人かは関西からの警察関係者もいたが、それも同様だったのだ。
他は、すべて教団関係者と思われる。皆うす茶色の、統一した衣装に身を包んでいた。警察関係者の死の表情が、皆苦悶に歪んでいたのと対照的に、教団関係者の表情は柔和に笑っていた、と伝わっている。
そして、その死者のすべてに不思議なことに生前の外傷、または死に繋がる外傷が見あたらなかった、ということだ。つまり、彼らは投げ出される前に、すでに死んでいた、ということになる。それについては、検死官の報告は原因不明、と記述されていた。
「結局、その娘は話し終えた後に、まるで仕事を終えたように、死んでしまったよ」
彼はそう言いながら戻ってきた。手には茶色の小さな盆を持っていた。その上にのせられた湯飲みのひとつを、私に手渡した。礼を言って、私はそれに口を付けた。ホッとするような香りのイイ緑茶だった。
「そこで何が起こったんですかね」
私は呑気にそう言ってみた。
訝しそうな視線で彼は私を見る。そして、フッと、その表情がゆるんだ。
「あんただって解ってんだろ?あそこで龍、イヤ、あの娘の言葉の通りだと、邪神が復活したのさ。そういう怪物が産まれたんだよ」
「儀式の果てに、ですか」
「だって、現実に、暴れ回ったじゃないか。あんただって見たんだろ」
確かに、あの日あの時、私は東京のど真ん中で、彼らを見た。それを現実とは思いたくはなかったが、受け入れるしかないのも事実だった。
「俺が話したことが本当かどうかなんて、誰にもわかりはしないのだろうよ。でも、俺が話したことは、俺の現実だ。それ以上でも、それ以下でもねぇよ」
彼は湯飲みの茶を啜った。
あ、と彼が声を上げた。
「そういえば、あの娘、こんなコト言ってたな」
「なんです?」
「ヤツを復活させる為に、一昼夜踊り続けたんだってよ。椿の根本に用意された物を並べて、それを前に一昼夜踊り続けたって。どうやって踊ればいいのかわからなかったけど、その前に行くと、自然と身体が動いて、そのまま一晩眠らずに踊っても全然疲れもしなかったって言ってた」
一種のトランス状態だったのだろう。だが、いずれ死ぬ為に踊り続けていたのかと思うと、哀れなような気がする。どうせなら美波のように生きていさえいれば・・・、と思ったところで、私は頭を振った。美波にしても、生き残ったことで、世間の憎悪の的となり、法廷の場に引きづり出されてしまったのだ。どういう答が下されるのか、それは今だ解らない。
今生きている方が幸せなのか、死んでいった者が不幸なのか、それすらも曖昧になってしまっている。それが、彼が嘆息したように、現実なのだ。
「息を引き取った時、あの娘は本当に安らかな・・・、静かな、綺麗な顔をしていたんだ。その時、俺は・・・」
彼の目は何処か現実でないものを見据えているかのようだった。
「この娘が一心不乱に踊っているところ、見てみたかったな、って思ったんだよな」
私はふと、周囲があまりに静かなことに気が付いた。まるで月夜の夜のように、音がこの世から消えてしまったような錯覚に陥った。
その原因は、風の音だった。木の葉を擦る為に、植物を揺らす為に、旧い家屋の戸を叩く為に、吹き渡る風が全くないのだ。それが日中にあって人の生きている、生物が命を存在させているはずの世界を、音のない暗闇の世界に換えてしまっている。
確かに何かが、この土地に起こって、何かが激変してしまったことを、私はその時実感として胸に刻んだ。
(下弦の月に続く)