「あたし、会えない大好きな人に会いたいと思い始めると心が大騒ぎしだしてしまうから、思わないように思わないようにって努力するんだよね、だけど、心を大騒ぎさせないようにはしたいけど、大好きな人に会いたいと思わないなんて悲しすぎるじゃんね、で、結局さ、心の大騒ぎはまー、仕方ねーか、ってことに決め込んで、大泣きしながら、会えない人に会いたがるんだよね。ほんとさ、なんで人って死ぬんだろうね。もっと言うと、なんで人って生きちゃうんだろうね。」

 

・・・・・

 

3月10日夕方。

 

マンホールの中に入って作業をしているひとたちがいて、とてもうらやましかった。楽しそうにやってたし、自分も一緒にやってみたかった。

 

果たして自分は今後のこの人生の中で、いちどでもマンホールの中に入って作業したりする機会に恵まれるのだろうか。わからない。この世界には、自分が「やったことのないまま」にして死んでいくものが、いくつくらいあるんだろう。想像するだに眩暈がするけれど、そんな中「やったことがある」ものたちとのとてつもない縁に感動するし、さらにいくつかは、繰り返し繰り返し、それをやり続けてる。あまたのものをやらない分の時間を費やして、これだと決まったものを繰り返してる。

 

そんなこと考えて、ほんの少しだけ、誇らしくなった。

 

 

。。。。

 

執筆、執筆、執筆。情けない話だけれど、そろそろ体力の限界が訪れる気がする。何せ、もう何ヶ月やっているんだろう。ようやくひとつの執筆が危機的な状況を越えた。ここから数日、追い込みだ。時間の純度と感情の振れ幅が、完成のクオリティを変えると思う。閉じこもるのもだけど、人とも会っておくのがいい気がしてる。

 

そして、新作に手をつけ始めなくっちゃだ。

 

来週からは脚本提供した『グレートフル・グレープフルーツ』の稽古も始まる。プロデューサーの阿部氏と演出の塩崎氏との3人グループラインがあるのだけど、わいわいと動いてる。

 

やってもやってもやり足りない。

ちょっとだけ、絵をプレゼントした。何に使ってくれというわけでもないのだけれど。

 

3月11日

 

2年前、3/11にパパと予定してたライブが中止になった。悔しいなー、と、パパがけっこう落ち込んだのは忘れないけど、迅速に判断して対応した父を尊敬した。「あの時やれてればなあ」とは思わない。この反動で、僕らは翌月のおぼんろ 『メル・リルルの花火』をものすごい熱量と信念で創りあげた。絶対に公演中止するしかなかろう状況にありながら、決行してやる!と心に決めて、あの手この手で公演を行った。

僕らかえって奇跡的な時間を過ごしたし、関わった全員の愛は深まった。父とも同じ家に閉じ込められながら、濃密な時間を過ごした。宝物の時間。つくづく、僕の人生には後悔がない。

やる。
実は一昨日の朝、さひがしといろいろな演劇についてのやりとりをしていて、やっぱり『ロッキー・ホラー・ショー』は偉大だよねと言い合っている流れで僕は吐きそうなほど泣いた。ロックオペラ、ロックミュージカルを創ろうね、って、パパと長年の夢だった。「拓馬が歌が上手くなったらね!」て思ってた。さすがに、パパ以外のギターでやれる心持ちになる未来は今のところ思い描けてなくって。大丈夫、大丈夫、拓馬は、ちゃんと、なんとか、すごくいいことを思いついて成功させるのです。

 

。。。。。

3月11日の記憶は人それぞれと思う。あの地震があった時、僕は自宅にいた。

 

感情は、行動のために使いたい。

過去を回顧し、他人の悲劇を知り、想像し、泣く。

 

そこで終わったら意味がない。動く。具体的に、動く。

 

思うだけじゃだめとおもう。考えられるから人間だ。
祈りは大切。でも、未来の笑顔を神頼みするなんて怠慢だ。

そもそも、地震や天災の首謀者として疑わしいランキングの相当な上位にランクインするのは神様だ。

性懲りもなく、戦争も起こってるし、病気も流行ってる。

 

悪いことが起きませんようにと祈りながら、

何かが起こった時に悲劇を少なくするための準備と、

悲劇が起こって泣いた時にも僕らが生き続けていられるような心の準備。

 

心の準備については、物語と言うものが役に立つと思う。

国連支援財団FSUNより柿沼氏をアトリエにお招きし、ジュロコロ基金について打ち合わせた。おかげさまで、昨年末に行った第一回目の募金から大きな金額が集まった。

 

カンボジアのこどもたちに井戸と学校を贈るための具体的な算段が見え、様々な目標を立てた。たくさんの人を巻き込むことになる。なるべくその人たちと直接会って、会話をしたい。カンボジア語について図書館で調べたけど、今のところ、とっかかりをつかめていない。1回目の、現地調査を兼ねた渡航についても話し合った。コロナがいろいろなことを難しくしているけど、どうにか、少しでも早く実現しようとしてる。

ジュロコロ基金は昨年末に立ち上げた。今回は、ライブハウスでの公演の収益と、チャリティグッズの販売額などをそのまますべて寄付する。母も積極的に手伝ってくれたのだけれど、母は今回僕が手渡そうとしたギャラを1円も受け取らないやってくれた。ちなみに僕に関しても、自分の収益も運営費も、募金の中から使ったりしてない。別のところで稼いだお金ですべてを賄ってる。責任持って、こどもたちに贈るからね、安心して。

 

基金についての文書はこちら

 

世界の子供達のこと、すごく調べるようになった。僕が調べてわかることなんてたかが知れてるのが悔しい。でも、調べる。で、想像する。今、どうしてんだろう、って。

ウクライナのことをどうしようかとも話した。ずっと考えているけれど、僕は、今はまだ何もしないでおこうと思っている。そこに誰かからの助けを必要としている人たちがいることは間違いなくて、胸が痛む。けれど、今は、本当に、わからないことが多すぎる。もどかしい。苦しい。

 

でも、真実がわからない以上、どちらかに荷担してしまうことへの恐怖を感じる。実際に、こう言うことは、リアルタイムだけでなくて、問題が過ぎ去ってから、長期的な支援が必要になるんだと思う。だけど、その頃には、割とみんな忘れちゃう。災害、戦争が起きた国の人たちにとって不幸や災難は一時的なブームじゃない。

僕ら、忘れないようにすべきで。同時に、今も、ずっと、気持ちを離さない、それも、大切な気がする。


『おしり筋肉痛』の稽古場。本読みをした。台本がものすごく勢いを増していて、普通にどう考えても面白くなってるじゃないか、と言うか、泰造さんのエナジーが込められていて、なんか、人の命をすりつぶして文字型にして丹念に並べたものを読んでる感覚になった。

 

それにしても「おしり」って言葉、こともの頃は大はしゃぎしてしまう言葉。一時期に入ると、なんか、言うのが恥ずかしい言葉。大人になったからって公演タイトルに組み込んじゃうなんて、すごいなあ。そう、大人の麦茶の物語はオトナっぽい。子供っぽい大人が創ってる。無邪気だし、不思議。

 

稽古場がたのしすぎて、話し続けてしまう。すこし反省。物語や人物について想像して、どうやって芝居を形にするんだろうって考えると楽しくて楽しくてたまらなくなって止まらなくなってしまう。あんまり話さないようにしようといつも気をつけるのに、結果、迷惑かけている気がする。ああ、もっと話したい。

今日、みほちゃんと言う俳優さんとは初めて会った。おぼんろのことを知っている中華屋さんと仲良しらしい。この現場の人たちのコミュニケーション能力の高さ?人間の良さ?がズバ抜けていて驚くんだけど、みほちゃんも、一瞬で仲間だよと思わせてくれるすごい強くて柔らかい人。強くて柔らかい人と出会うと、嬉しくなる。

 

みんなにカップラーメンをあげようと思って、表紙に落書きをしたんだけど、うっかり時間を忘れて、稽古に遅刻した。落ち込む。

 

ありひろくんと言うのがいるんだけど、写真を撮ろうと言ってくれて撮った。人生で初めての、ありひろくんとのツーショット。稽古が終わってからLINEがきた。うっかり保存し忘れたからまた撮って!って。きた。かっこいいし頭いいしなんだけど、隙があって、いい。かっこいい。

 

最年少のリコって子がいるんだけど、まだ高校に通っていて、演劇部でもあるって。「あれ、よかったです」って時に、親指を突き出す「グー!」って言うハンドサインをしてくれたんだけど、これは、古いものなんじゃないんだろうか。時代が一周したんだろうか。

 

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ブログを書いていたら、おすすめ記事みたいなのがあって、『登坂淳一娘を抱いてスクワット』と言う記事だった。淳一さん、元気だろうか。終わってから配信を見たらしく、わざわざ「いい公演だったよね」と言う内容の連絡をくれた。落ち着いたら淳一さんの家に遊びに行く約束をしてる。ジュンバのセリフ、まだ喋れるかな。多分、明日いきなし集合してもまだみんなギリギリ上演できる気がしてる。

 

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ええと、あとなんだっけ。って、いろいろ、言い忘れたこともある気がするけど、今夜はまだまだ描かねばならないものたちがある。仕事に戻ります。

おやすみなさい。

今日も一日本当にお疲れ様でした。いろいろあったよね、ありましたよね。
そんなこんなも全部丸ごとひっくるめて、よかったことにしちゃうのです

あー、ほんと、今もあなたが生きていてよかった

本当によかった

 

 

あなたが幸せでありますように

 

少なくとも僕は、願ってます

 

おやすみなさい

 


ま、いいかんじにいきてこう

すてきなそうぞうりょくに、こころをゆるして。



執筆のために、コンビニでカップのコーヒーを買った。自分でボタン押して淹れるタイプだったのだけど、間違ってカフェオレを押してしまった。定員の、白髪のおじちゃんに事情を説明した。淹れてしまったカフェオレは廃棄にするから、こっちを使って!と新しいカップをくれたけど、もったいないから、カフェオレ飲む!あと、追加で改めてコーヒー買うから、お金払わせて!と頼んだ。そしたら、いらない!そして、2杯とも飲んで!と、カップはくれたし、間違って生まれてきてしまったカフェオレも引き取らせてくれた。ラッキー!て話じゃない。おじちゃんの優しさ大好き!!てハッピーの話。「手持ちで平気?あつくない?」とも言ってくれた。みんな、ファミリーマートは良いお店です。




何かを肯定するために何かを否定しないではいられない人は、とどのつまり自信がないのかもしれないなって思う。

 


相対評価であろうと絶対評価であろうと、いいものはいい。そして、自分としてよくは思えなかったものもがあっても、きっと、それを愛している人はこの世界にいる。同時に存在していてもいいじゃないか。


なんというか、気に入らないものは消し去ったりしないと自分の好きなものが脅かされる気がするという風に考えるのは、弱い。

 

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世界の動かし方には「離す」と「繋ぐ」の2パターンの手段がある。

 

戦争とか、何かを否定することとか、切り捨てることを善としてやっていく方法が「離す」。歴史上、「男性的」「父親的」と言われてきたやり口だ。

 

「繋ぐ」は逆。あらゆるもののすべてを肯定し、仲間になっていく方法。

 

これまでは「離す」ができることが強さとされてきた。でも、その結果がこの世界だ。自分だけ、自分の身内だけを守ることが強さであり、そのために戦うことが良いと人類は割とけっこうちゃんと思い込んできた。資本主義のことをみんながお気に入りなのも多分、そう、勝ちたい、っていう考え方。

 

パダラマ・ジュグラマでも問題定義してるけど、僕らは、何かを奪ってしか生きていくことはできないんだろうか。他者の屍の上にしか立つことができないんだろうか。

 

100人のことを想像して考え続けるより、3人について考え続ける方が人生は楽ちんだ。もっというと、自分の機嫌をとることだけに全力投球する方が、なんか、楽しそうに思う。最近の「大金持ちになりましょう本」には、他人のことは無視できたら偉いですってことばかり書いてあって、人生のノイズのほとんどなんて他人のことなんだから、すごく魅力的なように感じてしまう人が多いのもわかる。

 

でも、たまに、疑って欲しい。家族を愛することで、家族を守ることで、恋人を、親友を守り喜ばせることで、あなたの人生は充足したはず。

 

守られたがってる、あなたを必要としている人間が、もっとたくさんいる可能性がある。

 

「離す」の考えの根幹にあるのは、限りあるものを奪いあわないといけないという考え方だ。りんごがひとつあって、それを10人で食べるんじゃお腹がすいちゃう。だから、勝ち取れ!みたいな。

 

でもこれからは、「10人が食べられるようにたくさんのりんごを育てるにはどうしたらいいんだ。わかんないけどどうにかできるはずだから、そうなるまではどうにか力を合わせて頑張って、未来を楽しみにしよう」という、未来に対する根拠のない期待と信頼をする力があればいいんじゃないか。

 

実際、人類はそういう、「繋ぐ」ために自分の才能を費やしまくった何人かの天才たちによって進化してきた。その都度、「離す」を肯定する者たちに変態扱いされながら、「他人ことなんか考えるなよ、お前のため、俺たちのためだけに生きろよ」「私のことを一番に考えないなんて愛がないのね!」とかとか言われながら。

 

切り捨てた者たちの痛みや悲しい未来を想像してしまうのは、確かに思考のノイズになる。けど、想像してしまえる以上、その人たち泣いててもいいや、って考えられない。そういう弱さを持っている強い人でい続けたい、自分は。


ウクライナとロシアが戦争どうするか会議した、ていう写真が、あまりに普通に会議で驚きすぎた。どんな感じなんだろう。冷静に話し合って欲しいと思う反面、戦争のことなんだから冷静に話し合わないで欲しい気もする、ひとの命かかってるんだから。このひとたちが何かしらの勝負するってことで手を打てないんだろうか。悩ましい。


写真、ほぼこれだよね。パダジュグの本読み。




これ、手持ちが1000円も無くなってたことに気づいて仕事場の近くでATM行って、帰ってきたのだけど、どうにもお金を取った記憶がない、あっとおもってポケットさぐったけどお金がない。で、そうか!!と、判明した。


たかしくんから連絡きた。昨年出演した蝶の筆のときの、たかしくん。大丈夫か!?って。半年ぶりの連絡だったしうれしかった。二万円で手に入れたたかしくんからの連絡だ!ともおもった。


たくさんのひとがリプライくれた。ありがとう。ATMはきっと、大焦りで取り忘れてますよー!って警報音をならしてただろうってみんな言ってて、ごめんー、て思った。あと、取り忘れてたら自動的にお金は回収するようになってるはずだ、と教えてくれたひとたちいた。


翌日通帳調べたら、ちゃんと二万円は、おろされないで戻っていました!よかった!!!!ご心配をおかけしたみたさん、ごめんなさい!ありがとう!!


忙しさで思わず頭がボーってしてる。転んだり、物忘れしたり、なんか、いろいろ、機能が落ちてる。いま取り組んでる締切ものが、あとちちょっとで終わる。生き延びたい。

 







 


僕ら、何をもってプロなんだ?と考えるべき。僕なんか、絵、音楽、芝居、企画、文章、ルックス、そのあたりで仕事をしているけど、ある意味、「誰にでもできること」だし、「けっこうみんなやりたいこと」だ。それで食べれたら嬉しいな!と、思ったことあるひと多いはず。


SNSに投稿されるファンアートをみていて、なぜ名もなき一般人がこんなに絵が上手いの!?と驚く。美大生の友達も何人かいるけど、奴らにいたっては一般の人からみたら「プロじゃん!」てくらい絵が上手い。でも、プロになるひとは、ほとんどいない。


カラオケに行くと、みんなこんなに歌えるの!?と驚く。高校の軽音楽のライブを観に行っても、ふつうに、聴けるくらいの音楽にはなってるし、それこそ、父が教えていた音楽学校の生徒であるセミプロさんたちは、ヤバい、うまい。でも、プロになる人は、何百人の中でひと握り。


声優もそうだし、俳優もそう。


スタッフワークも、いろんな種類あるけど、実はけっこう割と誰でもやれるようなこと多い。実際、一年も学べば覚えられるような仕事が多いし、なんなら僕ら、友達や家族に頼んじゃったりもする。そんな中で、なぜ、プロが存在するのか。


考えないといけない。


お金は、あるところにはあって、流れているところには流れてる。だからなんか、思わずお金を稼げてしまったりもする。でもそれは、誰かの愛とか、縁とかでなんとかなってしまったりしてるだけだったりする。僕も、手伝いにきてくれた友達にはお金を渡すことも多い。


カラオケ歌をうたってと言われた歌のうまいひとがお金をもらうことは基本的にないのとおんなじで、ちょっとやそっとで金銭は発生しない。


最近、「アーティスト、プロにタダで仕事を頼むな」という流れがある。もちろん、大切なこと。やりがい搾取、ダメ。でも、じゃあ、どこからが、プロ?


専門学生は?

卒業1年目は?

どこでも習ってないけど、天才的な感性を持った人は?


お金を稼ぐのは、仕事をもらうのは、大変、よほどの覚悟で一流を目指さないといけないよ、と、あぁ、僕の大切な人たちよ、どうか、そう伝えたい。


「お金をくれたら時間も体力も費やして一流の仕事をしてみせます」と言い続けて消えて行った人たちをたくさん観てきた。時間も体力も費やして一流の仕事をしてくれた人にしか、人はお金を払わないのです。


でも、一流のひとには、土下座して仕事を頼むのです。いくらならやってくれますか!?と。


がんばれみんな。がんばろう。いろんなみんなと、一緒に走り続けたい拓馬です。

 




3月9日だからサンキューの日なんてベタだよねって思うかもだけど感謝なんてしてもしてもしたりないくらいだぜと思い込んで心の底から何もかもに何度も何度もありがとうあるもののありがたさをわすれないでいられるじぶんでありますようにありがとう


。。。


『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』にみんなが出逢い直すまであと5ヶ月なんだけど、すでにたくさんの作戦を立てていて、たくさん驚かせられるだろうってワクワクしてる。物語も、演出も、公演全体も、すごいことになるよ。僕ら毎日、準備と妄想してる。今年もいい夢みようね、約束だよ。


。。。。。


さあ、きょうもがんばろう。


あまりに長い、しちめんどくさい文章になっちゃったから消そうかとも思ったけど、消された文字たちかわいそうだよなと思って、そのまま世界に放つね。


気付いたらすっかり春めいてるや。


どうかあなたが、どうにかこうにか、幸せでありますように。心の底から願ってます。


なにとぞなにとぞどうか


幸せでありますように。

3月4日夜



オンラインサロンMonogatalinaの中で『ゆるっとおしゃべり会』という配信をやった。月に一回、登録してくれているみんなに向けてやってる。今回はパダジュグの話題が大半を占めたけど、公演の感想だとか質問とかをコメントでもらいながら答えていくのは楽しかった。こういうコミュニケーション、大事。オンラインという文明がなかったら、自分は応援してくれる人やファンとほとんど交流できない数年を過ごしてたはず。そう思うと感謝だ。


あんまり「らっしゃいらっしゃい」的な宣伝は意図に反するからやりたくないのだけど、中にいてくれる仲間が多いのはひたすら楽しい。中には絵や物語、動画のコンテンツがたくさんあって、僕にとっては展示場的な意味合いもある。

友達を呼んでラジオをやったりもする。自分の言葉も会話も落書きも、SNSにどんどん流れて消えていくのが嫌で、保管しておきたい僕にとってモノガタリナは良い働きをしてる。


サロンメンバーは中で生活していて、創作をしたり、それぞれが文章を書いたり、仲間同士で遊んだりしてる。もちろん、ただコンテンツを楽しむ人もいる。いい感じ。ご興味ある方は、どうぞ。


。。。。。。


3月5日

朝から母に「スマホを冷凍庫に入れたらどうなるか」について熱弁される。冬場の車に一晩スマホを置きっぱなしにしてきたことがあるらしく、その経験を元にした推察だ。


午前中は執筆のためカフェにいく。南国めいたところ。


なんだか最近妙にハワイに行きたい。父の念だろうか。今年の8月にはまたリュズタンをやるし、ここのところ、頭の中がリュズタンに満たされてる。海を見たい。


どうもボーッとするので何か食べた方がいい気がしつつ、何を食べたらいいのかわからないのでカリカリ梅を買った。


のだけどどうにも思っていたのと違う。「すっぱい!イェーイ!元気!!」てなりたかったのに、なんか心がもぞもぞ居心地良くない。


よくみたら、「まろやかな酸味」と書いてあった。


僕は基本的に極端に徹底されたものが好きな性分で、大きい音はとことん大きい、かわいいものはとことんかわいい、甘いものはとことん甘い、みたいなのがいい。「ほどよい」みたいなものの良さがわかる大人びた完成を手に入れたいと思うのだけど。


次に通りかかったコンビニで「すっきりとした酸味」というカリカリ梅を買った。


前から、どうして緑のカリカリ梅と赤いカリカリ梅があるのか気になってたのだ。緑のは体によくて、赤いのは悪い、みたいなことだと思ってたのに、違った。酸っぱさの違いだったのだ。


学んだ。



『おしり筋肉痛』の本読み稽古。遅刻をしなかった。寒さを恐れる性分なのでやはりコートは二枚重ねで確かに少しあったかかったのだけど、半袖のひとを街で目撃し驚く。


今回は再再演ということで、リノベーテッド。描き直しがなされてる。第一稿の本読みだった。実際に演者の声などを聞いた上で、泰造さん、まだ手を加えるらしい。作家にしかわからないことだろうけど、執筆はとにかく苦しい。でも、泰造さんの才能を愛してる者として、とことんまでこだわってほしい。


。。。。

しょうごくんが休憩中にカップラーメンを食べてた。寿命が縮むよ、と言ったら、「最近のカップラーメンは、塩分以外は有害なもの入っていないらしいから、汁さえ飲み干さなければ大丈夫」と泰造さんが言った。そしたらしょうごくんが、「俺は飲み干すね!俺、このスープの中にさらにチキンラーメンとか入れるもんね!」と自慢した。あー、ドヤ顔ってこれのことか、と僕は思った。あと、あ、変態だ、とも思った。


そのあと、いろんな食品や飲み物に入ってる、カタカナのヤバそうな添加物について語り合った。隣に座ってた女優のひかるちゃんが、「デキストリンは悪そう。deathって感じがする」って言った。「アセスルファムKは?」と尋ねたら「それは、いい。いい感じがする」って。なんでだろう。




演劇は台本が命。


完璧じゃない台の上にどんな演技や演出を載せても、何も何も起きないどころか雪崩が起きて事故が起きたりする。関わった全員と、観客に被害がいくこともある。


「台無し」て言葉、怖いよなあ、と、台本を描いてるときに恐怖が頭をもたげることがよくある。全員の命を文字の羅列だけで護り、なんなら死んだらものさえ生かしてしまうお仕事。


この前、締切の話をブログに書いたけど、誤解なきように補足。


おぼんろのメンバーは、とにかく「待つから、たくまが納得する者を描け」と言ってくれる。

長年の末に、そう言うことになった。完璧主義のせいか、僕は8割クオリティで書けても絶対に台本を渡さない。全編が完全に頭の中でつながり合うまで1文字も書かないし渡さないことも多い。心が弱くパニック癖のあるたくまは追い立てても悪いことしか起きないと言うのが長年共に過ごしたみんなの結論なのか、苦笑いでみんな「待つぜ。どうせお前は名作持ってくるんだから」て、肩をポンてしてくれたりする。この、「みんなが信じてくれてる」と言うことが、いつも末原拓馬に魔法をかけてくれる。「早く書かないとみんなに迷惑かかる。怒られる」なんてプレッシャーの中で、人々の胸を本当に打つ言葉は生み出せない。


うちの劇団員は、正直、セリフが入るのが早い方では決してない。直前に渡してしまった台詞を入れるためにスタジオで徹夜をさせたことも何度かある。近づく本番へのプレッシャーと、やってもやっても台詞が入らないもどかしさで、仲間が目に涙を浮かべてるところも見たことがある。申し訳無さを抱いてほしいわけじゃないのは知ってる。僕は、そんな仲間のために、絶対に妥協しないで自分が完璧と信じられるものを描くんだ、と心に決める。


仲間自慢したくなってたくさん書いてしまった。


(↑ヴルルの島のとき、執筆が遅すぎて、みんな稽古場でずっと待ってた。顔が見たくて、何ページの追加だけもって稽古場に顔を出したんだけど、パニクってて、うっかりパジャマのまま稽古場行ってしまった)


そうそう、昨晩の深夜、劇団会議をした。2月のパダジュグ振り返りと8月のリュズタンのこと。それを語るには、すごくすごく大切な、未来への展望を語り合わねばならない。


前へ前へと突き進もうと言う今。夢と目標をシェアし、作戦を立てる。自分たちは何者か、おぼんろという純度を限界まで煮詰めながら、無限に膨張しようとしている。僕ら、「10年後」なんて悠長なことも言ってられない。生き急ぐくらいでちょうどいいと思ってる。


変化なんか恐れない。何度でも1からスタートして、より凄い、新しい伝説を積み上げる。


。。。。


さあ、今日も頑張るぞ。


どうかあなたが、それなりに凹んだり悩んだり、あー、だめだぁ、て気持ちになったりしながらも、


おやすみの前の瞬間には


いい日だった!明日も楽しみだ!


て言えますように。

願ってます。