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昨日、親戚の火葬に行って来た。
読経も焼香もなく、香典をお渡しする受付すらなかった。
葬式も執り行わず、「家族と自分の兄弟姉妹だけで偲ぶ会を」
という故人のご意向を尊重したそうだ。
出来るだけ他の人には負担を掛けたくないという気遣いを感じた。
帰りの車の中で 「自分の時もこれでいいよ」と旦那に言ったら、
「好みの焼き加減も書いとけ」と言われた。
相変わらずの不謹慎野郎だ。 空気読めよ! (*`・з・´)b

ともあれ、人は死は避けられない。
後始末だけは自分で出来ないから、必ず誰かの手を煩わせることになる。
その上、残された子どもらに 何百万も掛かる葬式や法事という
迷惑な重荷を負わせたくないなぁと。
中には生前はお寺とは縁もなく信仰もなかったのに、亡くなってから
まるで出前の店を選ぶように 評判の良いお寺をチョイス。
漢字一文字につき何十万という 格の高い戒名を買って
盛大な葬式をした家を知ってるが、見栄のためだなと思った。
いったんお寺と格の高い繋がりが出来てしまうと
それからは寄付だなんだと それなりの金額を納めなければならない。
自分の代のうちは良くても、子孫にすれば負の遺産だ。
その点、昨日の故人は残された家族の行く末も気遣って
保険の手続きの仕方も紙面に残してあり、
ホントに見習うべき 潔い立派な方だと思った。