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たまたま 宮澤賢治の短編随筆 『化物丁場』を読み、
賢治が「化け物」と名付けた「積んでも積んでも崩れてくる 線路工事現場」って…
「あっ?! あそこのことか!」とすぐにピンときた。
こんな身近かに舞台になったところがあったとは!

田沢湖線の春木場~赤渕間(雫石町) にあるこのあたりが
その「化物丁場」だと思うのだが、
一昨年の8月の集中豪雨の時にも 山が崩れて まだ工事が続いている。

「化け物丁場」より
…私のうしろの席で、突然太い強い声がしました。
「雫石 、橋場間、まるで滅茶苦茶だ。レールが四間も突き出されている。
枕木も何もでこぼこだ。十日や十五日でぁ、ちょっとむつかしいな。」
ははあ、あの化物丁場だな、私は思いながら、急いでそっちを振り向きました。
その人は線路工夫の半纏を着て、つばの広い麦わら帽を、上の棚に 載せながら、
誰に言うとなく 大きな声でそう言っていたのです。

「あゝ、あの化物丁場ですか、壊れたのは。」
と、問いかけると、相手もなぜ私が「化物丁場」を知っているのか興味を持ったようであった。
今まで、雨で三度も壊れたが、その原因はどれの不可解なものであった。
今まで、雨で三度も壊れたが、その原因はどれの不可解なものであった。
私は、崩れる度に修復しなければならなかった丁場について熱心に話す工夫の話に耳を傾ける。
重機もなく、ほとんど人力に頼らざるを得なかった時代、
雫石川の川原からトロッコを使って石を運び、
百人もの工夫たちが八日もかけて積み上げたものが
真夜中になると 雨も風もないのに幾度となく崩れてしまう。
精魂尽き果てた工夫の中には 「お祓いを呼べ」と言う者もいたとか。
春木場橋と雫石川 右手が春木場
かつて真夜中にたたき起こされ、いやいや現場に向かった工夫たちの宿舎があった

宮澤賢治が随筆という形式で作品を書くのは珍しいが、
この原因がないにもかかわらず崩れる工事現場を描くことで
人知では計り知れない自然の偉大さと驚異、
そして 人間には限界があり、謙虚になるべきだということを暗示していると思う。

あれから技術は格段に進歩し、このような新幹線が かの「丁場」を走るようになった。
しかし、それでも 人間が集中豪雨での被害を食い止めることができなかったことは
確かに自然が「化け物」であることを証明しているように思える。
「化物丁場」の原文はこちら