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私は子どもの頃から 「頑張り屋さん」と言われてきました。
でも、小学5、6年の時に ずっといじめられていましたが、
卒業するころに やっと理由が分かりました。
親友だと心を許していた子が あることないことチクってた。
その頃、母が入院していたので 姉に打ち明けていると
話の途中で帰ってきた父に
「嫌なことを家に持ち込むんじゃない!」と叱られ、
それからは 辛いことは人に話さずに、
自分の内に溜め込むようになりました。
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去年まで勤めていた職場でも イジメがありました。
「主任」の気分で次々とターゲットにされ、辞めるまで続きます。
知っている限りでは 20人以上の人が堪えられなくて辞めました。
中には精神的苦痛で 一時的に耳が聴こえなくなった人も。
私もいろいろ理不尽な扱いを受けましたが、
「頑張り屋さん」なので16年半、堪えました。
ここにもチクる同僚がいたので、常に口を慎み、警戒、緊張の連続。
主任を目にしただけで、体が震え、声が出なくなってミスをしてしまう。
今、思うとあれが前兆だったのかも。
そのうちに家庭内のイザコザが発生。
でも、「家の恥」を誰にも知られたくないから 一人で被って堪えました。
ある日 突然、背中から脇腹にかけて
大きな剣で刺し貫かれたような激痛が。
声をあげない心に堪えきれず、 体がクーデターを起こしてしまった。
今は かなり良くなりましたが、医師には一生治らないと言われました。
人の体って、自分が思っているほど強くないんですね。
今でも 時々、反乱を起こす体を鎮めながらの生活です。
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こうした 自分の経験から、被災した方々のことを思います。
弱音も吐けず、理不尽な扱いに対する鬱憤も晴らせず、
「家の恥」も誰にも言えなくて堪えている人がどれほどいるかと。
でも、悲惨な経験をしたこともなく、
置かれた状況も心の内も理解できない人たちに
「頑張ろう」とか「前向きに」とか「何とか魂」「東北人は辛抱強い」…
「 きれいごと」や理想で くくられてしまうと
かえって負担になると思います。