やまなし
宮沢賢治 作
宮沢賢治 作
注(お話は省略しています。)
小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。
一 五月
二ひきのかにの子供らが、青白い水の底で話していました。
「クラムボンは 笑ったよ。」
「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」

上の方や横の方は、青く暗く鋼のように見えます。
そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗いあわが流れていきます。
つうと銀の色の腹をひるがえして、一ぴきの魚が頭の上を過ぎていきました。
にわかにぱっと明るくなり、日光の黄金は、夢のように水の中に降ってきました。
波から来る光のあみが、底の白い岩の上で、美しくゆらゆらのびたり縮んだりしました。
そのときです。
にわかに天井に白いあわが立って、青光りのまるでぎらぎらする
鉄砲だまのようなものが、いきなり飛びこんできました。
兄さんのかには、はっきりとその青いものの先が、コンパスのように黒くとがっているのも見ました。
と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へ上ったようでしたが、
それっきりもう青いものも魚の形も見えず、光の黄金のあみはゆらゆらゆれ、
あわはつぶつぶ流れました。
二ひきはまるで声も出ず、居すくまってしまいました。

「お父さん、今、おかしなものが来たよ。」
「どんなもんだ。」
「青くてね、光るんだよ。はじが、こんなに黒くとがってるの。
それが来たら、お魚が上へ上っていったよ。」
「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみというんだ。
だいじょうぶだ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。」
「お父さん、お魚はどこへ行ったの。」
「魚かい。魚はこわい所へ行った。」
「こわいよ、お父さん。」
「いい、いい、だいじょうぶだ。心配するな。
そら、 かばの花が流れてきた。ごらん、きれいだろう。」
あわといっしょに、白いかばの花びらが、天井をたくさんすべってきました。

5月 満開の やまなしの花
二 十二月
かにの子どもらはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすっかり変わりました。
その冷たい水の底まで、ラムネのびんの月光がいっぱいにすき通り、
天井では、波が青白い火を燃やしたり消したりしているよう。

かにの子どもらは、あんまり月が明るく水がきれいなので、ねむらないで外に出て、
しばらくだまってあわをはいて天井の方を見ていました。
「やっぱり、ぼくのあわは大きいね。」
「兄さん、わざと大きくはいてるんだい。
ぼくだって、 わざとならもっと大きくはけるよ。」
「はいてごらん。おや、たったそれきりだろう。
いいかい、兄さんがはくから見ておいで。そら、ね、大きいだろう。」
「大きかないや、おんなじだい。」
また、お父さんのかにが出てきました。
「もうねろねろ。おそいぞ。あしたイサドへ連れていかんぞ。」
「お父さん、ぼくたちのあわ、どっち大きいの。」
「それは兄さんのほうだろう。」
「そうじゃないよ。ぼくのほう、大きいんだよ。」
弟のかには泣きそうになりました。

そのとき、トブン。
黒い丸い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで、また上へ上っていきました。
きらきらっと金のぶちが光りました。
「かわせみだ。」
子どもらのかには、首をすくめて言いました。
お父さんのかには、遠眼鏡のような両方の目をあらん限りのばして、よくよく見てから言いました。
「そうじゃない。あれはやまなしだ。流れていくぞ。
ついていってみよう。ああ、いいにおいだな。」
なるほど、そこらの月明かりの水の中は、やまなしのいいにおいでいっぱいでした。
三びきは、ぼかぼか流れていくやまなしの後を追いました。
間もなく、水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青いほのおを上げ、
やまなしは横になって木の枝に引っかかって止まり、
その上には、月光のにじが もかもか集まりました。

「どうだ、やっぱりやまなしだよ。よく熟している。 いいにおいだろう。」
「おいしそうだね、お父さん。」
「待て待て。もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ しずんでくる。
それから、ひとりでにおいしいお酒ができるから。さあ、もう帰ってねよう。おいで。」
親子のかには三びき、自分らの穴に帰っていきます。
波は、いよいよ青白いほのおをゆらゆらと上げました。
それはまた、金剛石の粉をはいているようでした。
私の幻灯は、これでおしまいであります。
実は この作品を紹介したいと願ってから 3年も経ってしまいました。
その理由の一つに シンプルでありながら難解なところ。
二つめは やまなしの樹を探し、季節を追って写真に収めるのに時間がかかった。
この作品には諸説ありますが、これはあくまでも自分が受けた印象を書きます。

11月 残り少なくなった やまなしの実
五月
外界とはかけ離れた 清らかな谷川に住む サワガニの兄弟が
ごくありふれた平和な日常の中で 突然、目にした弱肉強食の世界。
のんびりとあわ比べをしていた自分たちのすぐ身近かには
誰も避けることが出来ない「死」があることを初めて知り、
彼らは強烈なインパクトを受けます。
十二月
少し大きくなったサワガニの兄弟のもとに 飛び込んできた熟れたやまなしの実。
やまなしの実は 果肉が硬く味も酸っぱいので、 あまり食用には向かない。
そんな人のためには役に立たない やまなしの実でも カニの兄弟の喧嘩を止め、
甘いにおいをまき散らして これから寒い季節を迎える谷川に「喜び」を与えます。
賢治の最愛の理解者だった妹トシの死とその苦悩。
そこから導き出された 自己犠牲の生き方。
これは賢治自身が生涯貫き通した信念でした。
そして 「取るに足りない者でも
誰かのためにお役に立てることもあるんだよ」
と ポンと肩を叩いて 温かく励ましてもらったような気持ちがしました。
