『無力とは…
辛い目に遭っている人たちに対して
寄り添う気持ちすら 持てないことですよ』
80年後のKENJI ~宮沢賢治童話集~
気仙沼、 宮古、 陸前高田、
大槌、 釜石、 山田、 仙台…。
私が訪れた被災地。 でも、これは全体のほんの一部でしかない。
…あの日、
圧倒的な破壊力を前にして感じた
みぞおちが冷たくなるような
体中の力が抜けていくような
絶望感と無力感。。

体の奥から すすりあげる 声にならない慟哭と
焼け付くような まぶたの熱さを
私は忘れては いないだろうか。。
被災地から離れて暮らしていると、
時々、報じられるTVや新聞から 被災地の状況を知るだけだ。
それも 毎日の生活で慌しかったり、
自分の好きなことに没頭していると 容易に心から押しやられる。
本音を言えば、何も知らずに 暮らしていれば 楽だし、楽しい。
花を育てたり、写真を撮ったり、子ども達や家族のこと、犬も猫もカワイイ。
自分の楽しみのために何を買おうか、何を食べようか。
辛いことから目を背けて 自分のことだけを考えていれば 幸せだよね。
心が痛むことも 無力感と闘うこともないから。
でも。。
自分の心を 虚しい幸福感で なだめすかしていいのかな。
たとえ何も出来なくても 「辛い目に遭っている人たちと思いを共にしたい」
その気持ちがあるだけでも 私たちは無力ではなくなるのではないか。
上の写真は 大槌町で津波で破壊されたうえに、火災で全てを失った
同僚の実家の跡地のすぐ脇に残っていた樹です。 〈2012年5月撮影〉