歴史の陰に復興への思いがあった? | ブドリの森

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1/18にNHKで放送した「サムライたち スペインへ渡る」の録画をやっと見ました^^
 
すっごく面白かったですよ。 d(*゚∀゚*)
 
すでに1/2に放送されたようなので、見た方もおられるでしょうが。。
 
相変わらず、一汽車も二汽車も遅れております。(笑)  (´∀`〃)b 霧
 
 

 
 
慶長遣欧使節団・伊達政宗・支倉常長…
 
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 教科書で こんなさし絵を見た記憶がありますよねぇ。
 
なんと、この歴史の背景には震災からの復興があったそうですよビックリマーク
 
…あ、これはあくまで仮説だそうですが。 d ( ´ω`* ) 
 
 
 
 イメージ 2
 さて、時は1611年12月2日(慶長16年10月28日)、
 
のちに慶長三陸地震・津波と呼ばれる大津波が発生。
 
仙台藩沿岸部で死者5千人という甚大な被害を被ります。
 
時の仙台藩主、伊達政宗は震災からの復興のために、
 
当時世界最大の強国スペインとの交易を図ろうとします。
 
 
極東の小さな島国の一藩でありながら 世界強国と直接、貿易をして、
 
豊かな経済効果を得ようと考えたわけです。 (ちなみにまだ鎖国前だったのね^^)
 
ところが、当時の日本には太平洋を横断できるような造船技術がない。。
 
しかし、政宗はスペイン人の知恵と領内の船大工の技術を結集し、
 
サン・ファン・バウティスタ号という大型木造帆船をわずか45日で建造ビックリマーク
 
 
 
イメージ 3
 
 
震災から2年後1613(慶長18)年、家臣・支倉常長を中心とした
 
180名もの武士たちは太平洋を横断し、メキシコ経由でスペインへ渡ります。
 
結果的には 日本の国内状況が急変したために失敗に終わりますが、
 
スペイン国王の好意を得るために 政宗がとった巧みな外交戦略と
 
キリスト教に改宗してまでも 任務を全うしようとした支倉常長の涙ぐましい努力。
 
そして、未知の大海原に命がけで漕ぎ出していった180人の男たちの挑戦。
 
震災に負けずに復興へかける 彼らの並々ならぬ意欲と使命感に感動しましたよ^^
 
 
 
 負げんなビックリマーク   われら 東北人ビックリマーク  (。+・`ω・´)シャキーン