しばらく前のことですが、こんなコメントを目にしました。
「支援する側の皆さんのブログを読んでいると、楽しそうで自信に溢れています。
一方、支援される側は、今も打ちひしがれていたり、心折れていたりします。
支援する側のみなさんとは、どこか分かり合えない部分があるのです。」
これを読んで まるで冷水を浴びたような思いがしました。
今までの自分の言動を振り返って、もしかして被災した方々を傷つけていたんじゃないかと…

私のブログでお付合いしていただいている方には、
ご自身が被災されたり、または被災地の状況を良く知る方が多くおられます。
あとは何らかの支援に携わっていたり、関心のある方でしょうか。
私は、ご存知のように気仙沼生まれ。故郷が荒廃する悲しみを味わい、
津波で半壊した宮古の主人の実家の泥出しの経験もしたので、
気持ち的には被災者のつもりでいますが、残念ながら 被災者ではありません。
だから、被災した方々の気持ちを理解したいと思っていても、
相当、違和感があったんだろうなって。
確かにね、自分でも思い当たることがあるんですよ。
大したことじゃないけど、自分にも「支援」出来ることが見つかって、
同じ思いを持つ「仲間たち」が出来て、支援の輪が広がっていって…
とっても 楽しかった。
でも、中にはこんな声も…
「(ブログを)うろうろしていると、仲良しな姿を羨ましく思ったり、
何となく後回しにされているような気がして、勝手に落ち込んだり…」
こんなふうに感じる方もいるんだなぁって。
それからは「誰のための支援なのか
自分たちの自己満足のあまり、浮かれ過ぎていなかっただろうか」etc…
いろいろ考え、 正直に自己吟味し、 反省しました。。
コメントを引用させていただいた方々、お気を悪くなさらないで下さいね。
自分にとっては、大切なことに気づかせていただいて感謝していますから。

支援する側同士、励まし合ったり、褒めあったり… それも大切なことだけど、
震災で悲痛な経験をし、人や行政、政府への不信感ですさんだ心には
「絆」「希望」「未来」「愛」…
こんな キレイな言葉は いかにも虚しく 少しも響かないんだろうなって。
「復興」へと頑張っている元気なようすも 伝えていきたいですが、
どこか欠けてしまったような自分の心と 日々、
向き合っていかなければならない方への 気づかいも大切ですよね。