ハッスルキングは敗北宣言か | 珈琲にハチミツ

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破壊王の名を欲しいままにしていた橋本真也はもういない。

力を失い、リングへの熱さえも無くしつつあった橋本は完全に進むべき方向性を見失っていた。
5月21日後楽園ホール大会
混沌とするゼロワンをまさに象徴するようなカードが組まれた。長州力、藤原喜明とのトリオ結成である。すでに2月末の旗揚げ記念日以降WJとの抗争は収束していたが、こうポンポンと犬猿の仲だったハズの両者が組まれると正直興醒めしてしまう。

また藤原だが、実は2001年真撃大会よりゼロワンに参戦し続けており、橋本がリング内外で「爺」と呼ぶほど大きな存在になりつつあった。橋本と組長は6月17日の宮城スポーツセンター大会でNWAインターコンチネンタルタッグベルトも獲得している。まだまだ大谷や田中の時代は遠い。

一方で小川直也の快進撃は続く!
6月20日PRIDE GRAND-PRIX2004 2回戦
マッチメイクの妙があったにせよジャイアント・シルバをパウンド葬。危なげなく決勝大会へ駒を進めた。そして小川のPRIDEでの勝利は絶大な宣伝効果を生み、ハッスルの認知度は日に日に広がっていく。
6月28日はハッスル初の後楽園ホール大会、ハッスル・ハウスvol.1では確かな手応えがあった。
芸能人やスポーツ界で有名になっていたハッスルポーズがいよいよ会場全員が総立ち状態で参加するようになったのだ。(いつの間にか川田利明もハッスル軍の一員として温かく向かい入れられていた!)これまでのハッスルで使用している会場と比べて後楽園ホールが小箱であることを差し引いてもこの「熱」を生み出したことは間違いない成果である。
とにかくノリに乗ってる小川。PRIDEを縦軸にハッスルを横軸に八面六臂の活躍であるが…この頃になるとゼロワンに小川の姿は見られなくなっていた。このあたりが橋本にとっては複雑なところか。ハッスルはあくまでDSEが運営しており、多額の業務提携費がゼロワンに入っていることは想像に固くないが、やはり自団体の興行が盛り上がらなければ…

だが例の靖国神社参拝の翌日、ゼロワン事務所にFAXが届く。参拝に対する抗議であった。

7月9日後楽園ホール大会
先のハッスル・ハウスに比べると悲しいくらい観客が入っていない。そんな中タッグ王座を防衛した橋本は試合後、靖国参拝に対する抗議文に対して一歩も引かない姿勢をみせる。
「…悪いことしてる覚えは何もこれっぽっちもありませんので、正々堂々と僕はあのやってこうと思いますけど、とやかく言われる筋合いはないです。それだけはハッキリと言いたいと思います。勘違いした人間から何言われようと、自分の信じたことですから、何もへつらったり媚びたりする理由はないですので、僕はそうやって生きてこうと思います。」

その後中村専務も質問に応じているが、なんと橋本の靖国参拝に対してフロント側は何も知らされていなかったことが明かされる。この発言の真偽は怪しいところだが…何やら不穏な空気が漂い始めている。

そしてこの混乱に拍車をかけたのが7月25日のハッスル4である。
ハッスルキング降臨。


猿回し…

そんな言葉がいま思い浮かんだ。猿は橋本で、猿飼はDSEか?起死回生を狙った業務提携の成れの果てがこれではもはや如何しようもない。。


続く