「オマエ、アメリカ。」
この一言が、以降の中邑の歩みを決定づけることになるとは誰も予想していなかっただろう。たった一戦しか試合をしていない新人が一気にアメリカとは異例中の異例。もちろん当の本人も驚きを隠せない。
「アメリカで何をしたらいいんですか?」
…
「う〜ん、オマエが決めろ❗️」
中邑がヤングライオン時代から数えて数年間、ある程度名前が売れるようになってもなかなかファンの支持を得られなかった理由はここにある。そもそも中邑のことを知らないのだ。デビューしたかと思えばすぐに海外へ行ってしまい、帰国直後には猪木祭りで総合。翌年の5月ドームでも総合、極め付けは最年少IWGPチャンピオンと、あまりの速度について行けないファンが続出、中邑に対して思い入れを蓄積する時間がなさすぎた。
と思わず先々の話ばかりしてしまった。兎も角始まった中邑の海外武者修行、行先のロサンゼルス猪木道場では別の衝撃が中邑を待っていた。
「ニュージャパンのスタイルを教えてくれ。」
なんとロスの猪木道場は総合格闘技のジムであった。ローカルの格闘技者を集めてストロングスタイルに対応できるレスラーを養成するのがロス道場の目的。早くもストロングスタイルの呪縛に絡めとられる中邑、道場で練習を終えてまた別の練習場へ行き総合の技術を磨く日々が続く。
「そんな状況だから毎日毎日が不安でしたね。ちゃんとプロレスを指導してくれる人がいないし、不安だから格闘技の練習をしまくっていたんですよ。」中邑談
総合総合総合…
そして年末、中邑に帰国命令が下りデビュー2戦目がようやく決まる。舞台は猪木祭り、相手はダニエル・グレイシー、試合は総合ルール。中邑の長い模索の日々が再び始まろうとしていた…
と、またまた先々の話をしてしまった。
今度は仲間としてゼロワンに馳せ参じたこの男。橋本は小笠原と新OH砲を結成し外国人勢に立ち向かう。そしてゼロワンは、旗揚げ当初の良くも悪くも派手な立ち回りとは真逆の方向に思いっきり舵をとる。日本全国をひとつひとつ、着実に周っていく地方サーキットが本格的にはじまる。
続く