場合によっては、またもや断られるということも十分考えられました。手術を決断してくださった先生方には感謝してもしきれません。
手術の日まであと約2週間。この間に手術に耐えられる体力をつける必要があります。
まず、医師に言われたのは転ばないこと。このとき腹囲は100センチを超えていました。万一転んであたりどころが悪いと、お腹の腫瘍が破裂して出術どころではなくなるからです。
入院直前に電車に乗って通勤していたことを話すと、医師は驚いていました。普通私のような状態では、自宅で寝たきりか入院していることが一般的なのだそうです。なので院内を歩くときベッドから降りるときは慎重に慎重を重ねて動くよう心がけていました。
手術を乗り越えるには心臓の強さがポイント。慎重ながらも積極的に歩くことを勧められました。歩くことで心臓に負荷をかけ強化する。そのため病院の廊下を往復します。直線約100メートルの廊下をひたすら往復。取りつかれたように歩きました。
並行して、栄養失調の体の栄養管理です。点滴でビーフリード、血漿輸液、アルブミン、そして輸血。毎日毎日体に注入していきます。すると体は水ぶくれになり65キロの体重がみるみる間に70キロを超えました。するとお腹の張りもきつくなり、ロキソニンに加えて頓服で麻薬性のオキノームも服用していました。途中、ロキソニンは胃腸に良くないので服用を止め、貼る鎮痛剤フェントスに切り替えました。これも麻薬性の強力な鎮痛剤で皮膚から鎮痛剤を入れる不思議な貼薬です。
点滴が多いので、浮腫みも酷くなってきました。足が丸く腫れ上がったようになりました。そこで、利尿剤も注入しました。1日2回。これが痛い。比較的濃い薬剤であることと私の血管が細いこともあり、酷い血管痛が襲ってきます。大きな注射器で30秒ほどかけて注入します。看護師さんに頼んでゆっくり注入してもらいました。
こうして1日1日、手術に向けて準備をしながら過ごしていました。そんな時、熱海では恒例の花火大会が行われていました。熱海病院からも見ることができます。入院患者さんたちと一緒に、綺麗な花火をガラス越しに見ながら、手術の成功を祈るのでした。
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