こんにちは。
なんとも清々しい秋晴れの一日でしたが
いかがお過ごしになりましたか?
私は相変わらずの植物の手入れに励んでおりました。
約2週間前になりますが、
害虫の被害や夏の疲れで徒長したバラ苗をどうすればいいのか考え
伸びた枝を思いっきり前傾させてみたのです。
うまくすれば、根元や低い位置から新芽が出てくるはずです。
けれど秋の空気はすでに冷たいのか、バラの新芽はなかなか思うように成長してくれません。
今日は小さな小さな新芽のもとをやっと確認できました。
これが大きく育ってくれることを願っています。
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宝石宝物にちなんだ物語をいろいろご紹介するシリーズ、
先週からは日本の絵巻物である「信貴山縁起絵巻」をご紹介しています。
信貴山は富を司る毘沙門天をお祀りしています。
その毘沙門天信仰の物語を、修行僧である命連の活躍によって描いています。
今日はその第2巻、「延喜加持の巻」をご紹介します。
信濃国で仏門に入り、奈良の東大寺で受戒し修行に励む命連。
この巻でもまた、命連は大活躍です!
信貴山縁起絵巻② 《延喜加持の巻》
(命連の飛ばした托鉢の鉢が蔵を持ち上げ、修行しているお堂まで連れてきてしまった一件のあった頃)都に住まわれる帝(延喜の帝=醍醐天皇)はたいそうな病に苦しんでおられました。
あらゆる薬や加持祈祷を行っても全く治癒すること無く、人々は心配していました。
その時ある者が
「大和の信貴山というところで修行している僧で、法力を使って托鉢の鉢を飛ばしたり、蔵を飛ばしたり、俵を飛ばしたりと、不思議な力を持つものが居るそうです。
この僧を呼び寄せて祈祷をさせれば帝のご病気も快癒するのでは無いでしょうか」といいました。
そこで帝の従者は、それならば、と蔵人に命じて信貴山にある命連のお堂に向かわせました。
まもなく帝の使者は信貴山へ行き、命連に「都にて帝の病気平癒の祈祷を捧げるように」との宣旨を述べました。
命連は
「自分は修行があるため山を下りることはできません。
山はおりませんが、この地で帝の病気平癒の祈祷を捧げます。」と答えました。
蔵人は
「それでは一体、帝のご病気が無事平癒したならば、どうやったらそれがあなたのご祈祷の成果であることが解るのですか?」と聞くと
命連は答えます。
「それでは、帝が快癒されるときに《剣の護法》という童子を使わしましょう。《剣の護法》は剣で編んだ衣を着ていますよ。」
しばらくしたある日、帝が寝所でまどろんでいると、キラリと光るものが見えました。
それはみるみる近づいてきて、よく見ると背中にも腕にも剣がいくつも突き刺さったような衣を着ている童でした。
その姿をご覧になってから3日後、帝はすっか病が治ってしまいました。
喜んだ帝は、命連に向けて蔵人を使わしました。
蔵人は命連に「帝は感謝のためにあなたに僧都・僧正の位と、荘園を授けるそうです」と言いました。
すると命連はそういった位(地位)は修行僧の身には不要であることと、荘園を持つならば管理者を置かねばならず、すると仏の教えに背くことになる、と言って帝の申し出を断ったのでした。
《おしまい》
あくまで身真面目な命連さんでしたね。
素晴らしい法力を得ても尚、修行に励むストイックなところが
帝からのご褒美をも辞退した結果となったのですね。
さすがです。
実はその後、延喜帝(醍醐天皇)は、信貴山に
朝護孫子寺という名を与えられました。
朝廷を護ってくれるように、子や孫の代まで長く祈祷をお願いしたいという意味を込められた名前です。
信貴山も、ただ山の名前ではなく、信貴山寺として山自体が大きな修行場と考えられているのです。
ストイックな命連さんの物語をご紹介しておきながらですが、
物語の中であっても宝物や宝石などの
美しい物たちに想像を巡らして癒やされたい、と
私は思ってしまいます。
次回、信貴山縁起絵巻の第3巻のご紹介です。
だんだん宝石の物語とは離れていってしまいましたね~~
でもこれが最終巻です。
お楽しみに~~