島根県松江市の七類港から、フェリーで約2時間北上すると隠岐諸島が近づく。そのうちの1つ、人口2300人あまりの中ノ島・海士町がいま、かつてないほど盛り上がっている。
「問い合わせが、いままでに経験したことがないほどの数になっています。やっぱりスターの効果はすごい!」(島の観光関係者)
そのスターの名は松本潤(38才)。1月15日、『第31回JNN企画大賞「未来をつくる島ホテル」』(TBS系)で、松本が昨年10月、この離島を訪れた様子が放送されると、彼のファンだけでなく、島に魅了された視聴者から宿泊施設などに問い合わせが殺到しているという。実は松本にとって2度目の訪問だった。
「2010年に行われた嵐の5人が日本各地の魅力を再発見するプロジェクト『ニッポンの嵐』で、松本さんが興味を持ったのが離島でした。そもそも日本は世界から見たら離島。その離島暮らしであることを、日本の離島を訪れることで実感したいという彼らしい視点に基づく選択で、そのときに訪れたのがこの島でした」(テレビ局関係者)
中ノ島・海士町は、鎌倉時代に「承久の乱」で島流しにあった後鳥羽上皇の流刑地として知られる。隠岐諸島全体は本土とは違う独自の生態系があり、2013年にユネスコの「世界ジオパーク」に認定された。一方で、移住者を積極的に受け入れ、いまでは人口の6人に1人が移住者である。
その島に昨夏、島で唯一のホテル『Ento』がオープンした。部屋は全面ガラス張りで、松本が「絵のような絶景」と言うとおり、目の前には青く澄んだ海やジオパークの大自然が広がる。豊かな食材にも恵まれ、岩がきや隠岐牛といった地元の逸品が楽しめる。松本はそのホテルを楽しみに来ただけではない。2010年当時は町の観光協会の職員で、いまは『Ento』の代表である青山敦士さん(38才)に再会するためでもあった。
「松本さんは2010年のロケで、島を案内してくれた同い年の青山さんと意気投合しました。それからというもの、島や青山さんのことを気に掛けていたのでしょう。松本さんは青山さんと会ったとき、“会えてよかった”と満面の笑みでした」(前出・テレビ局関係者)
2010年といえば、嵐が初めて「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、やはり初めて『NHK紅白歌合戦』の司会に抜擢された年だ。国民的アイドルとして着実に階段を上がっていた松本だが、青山さんに対して敬意を示していた。
「彼は芸能界のトップを走っていて、一方のぼくはこの島に移住してきたばかりの20代の若者。それでも、“違うフィールドで一生懸命やっている存在だよね”と、上下も大小もなく接してくれました。その言葉は、当時、不安ばかりだったぼくの大きな励みになりました」(青山さん)
松本にとって島の居心地はよかったという。
「この島のテーマは“ないものはない”。必要のないものはなくていいという開き直りの意味と、“大事なものはすべて揃っている”という前向きな精神です。松本さんは島で過ごし、“ないものはないという価値を楽しめるようになった”と話していました。ぼくたちの考えを理解し、共有してくれたことがうれしかったです」(青山さん)
番組で松本は、ホテルの部屋から望む景色を「ずっとぼーっと見てられる」、「海の水面や雲の流れを見ていられることが、いかに贅沢か」とつぶやいていた。芸能界のトップをひた走り、「手に入れられないものはない」立場にある松本。日々の忙しさの中で味わえない“楽しみ”をこの島で感じ取っていたのかもしれない。
※女性セブン2022年2月3日号