先月15日、福島第一原発の爆発により現地から61キロ離れた

福島市では通常の約500倍(20マイクロシーベルト)が、東京でも

通常の20倍(0.809マイクロシーベルト)の放射線量が検出され

ました。今もなお上がり下がりする放射線量の数値を前に、

不安を抱きながら過ごす方も多いのではないでしょうか。


ところが、今から50年以上も前の日本は、今よりもっと高い放射性

物質に見舞われ、東京や大阪でも1000倍のプルトニウムが大気中

から放出されていたそうです。東京では、なんと1万倍の放射能が

検出されたという情報も。


これは1950年代後半から60年代前半にかけて行われた、アメリカ、

ソ連、中国などの核爆発実験により、北半球全体に放射能性物質

が拡散していたことが原因。


特に、1954年(昭和29年)3月1日に行われた、米国による

マーシャル諸島ビキニ環礁の水爆実験は、当時の日本国民に暗い

影を落としました。米国が示していた危険海域の外(爆心から

約160キロ付近)にいた、日本の漁船「第5福竜丸」が被ばく。当時は

戦後の情報規制により核爆弾の本当の恐ろしさが人々に伝わって

いなかったそうで、さらに事態を悪化させる原因になってしまったよう

です。ほかにも近くを航行していた多くの船が処分され、魚介類が

汚染されて食べられなくなるなど、莫大な被害を受けたそうです。

当時を良く知る男性(65)に話を伺ったところ、「当時の国民も、

野菜は良く洗って食べるように指導され、また、雨に当たらないよう

に言われていた」のだそう。ときには雨に相当濡れたこともあった

そうですが、この人物に限ってはこれまで特に放射能が原因と

される体調の変化はなかったそうです。


当時よりも放射線量が少ないとはいえ、今のこの状況を軽視する

わけにはいきません。しかし、多くの専門家がアドバイスしている

通り、飛散してくる放射量が少ない地域の人々は過剰に反応する

必要はないようです。


それにしても日本人は、度々核の恐ろしさを身をもって経験してきた

にも関わらず、福島第一原発で指摘されている安全対策への甘さを

見るにつけ、過去の過ちから何ひとつ学んでこなかったのだろう

かと心底残念になります。これ以上、核の被害者を増やさないよう、

徹底した対策をして欲しいものです。    ロケットニュース24

参照元:search.kankyo-hoshano.go.jp