精神看護学って面白い!!
4月に精神保健福祉士になりたい気持ちが強まり、体力作りと平行して精神保健学や精神医学を勉強していた私だが、入院をきっかけに看護師になりたい気持ちの方が強まってしまった…。
看護師の魅力は資格をとれば内科・外科・精神科など様々な科に移れるということ。精神病院の入院先の看護師さん(その人も小児科にいらっしゃったことがあるのだ)にこう言われた。「やっぱり心の健康も体の健康も両方知っとくのは大事よ。だから看護師になってよかったって思ってる。」
そこで私は退院するとさっそく、精神看護学の本を読み始めてみた。
精神看護学の基本的技術は、対象との関係を形成する対人関係技術と患者の精神状態を評価・査定する技術。
そして、その技術を用いて精神看護実践をはかるには何が必要か?本にはこのようなことが書かれていた。
「看護師自身の生活経験の豊かさのほか、工夫する力、柔軟性、判断力、想像力、新奇の目を持って気付く力や好奇心などの能力や、自分自身の心の動きを感性豊かにとらえ、自己の看護行為を内省していくことであるつまり精神看護師は実践的かつ内省的でなければならない」
私は以下の文に大いに興味を持った。
看護師の基本的技術も、それに必要な力も、全て私には足りないものだったからだ。
私は高校時代からずっと机上の勉強だけにうちこんで、そうした力をおろそかにしていた。
これを読んで、新たな世界が開けた気がした。
私はもっと、人と関わる中で「実践」がしたい。
自分にないものだからこそ、得てみたい。やってやろうじゃんって気になる。
その精神看護学の本には、対人と実践へのヒントがいっぱいつまっていた。
木曜~金曜なんて徹夜して読んでしまったよ!!
精神看護学、もっともっと知りたい。
看護師の魅力は資格をとれば内科・外科・精神科など様々な科に移れるということ。精神病院の入院先の看護師さん(その人も小児科にいらっしゃったことがあるのだ)にこう言われた。「やっぱり心の健康も体の健康も両方知っとくのは大事よ。だから看護師になってよかったって思ってる。」
そこで私は退院するとさっそく、精神看護学の本を読み始めてみた。
精神看護学の基本的技術は、対象との関係を形成する対人関係技術と患者の精神状態を評価・査定する技術。
そして、その技術を用いて精神看護実践をはかるには何が必要か?本にはこのようなことが書かれていた。
「看護師自身の生活経験の豊かさのほか、工夫する力、柔軟性、判断力、想像力、新奇の目を持って気付く力や好奇心などの能力や、自分自身の心の動きを感性豊かにとらえ、自己の看護行為を内省していくことであるつまり精神看護師は実践的かつ内省的でなければならない」
私は以下の文に大いに興味を持った。
看護師の基本的技術も、それに必要な力も、全て私には足りないものだったからだ。
私は高校時代からずっと机上の勉強だけにうちこんで、そうした力をおろそかにしていた。
これを読んで、新たな世界が開けた気がした。
私はもっと、人と関わる中で「実践」がしたい。
自分にないものだからこそ、得てみたい。やってやろうじゃんって気になる。
その精神看護学の本には、対人と実践へのヒントがいっぱいつまっていた。
木曜~金曜なんて徹夜して読んでしまったよ!!
精神看護学、もっともっと知りたい。
おばみは何してたんだ? 5 ・6・7 月
私は7月1日にある決心をする。
それは「女性としての自分・人間としての自分をもっと認めてやると」いうことだ。
話は中学時代と、今年の5月以降に遡る。
私は中学校三年間クラス中の男子からいじめられていた。その中には、性的なものも含まれていた。
そのことがきっかけで私は今まで自分に極端に自信がもてず、また自分の女性性を排除しようとしていた。髮はショートにして、服装は男の子のもので。
しかし、私は、4月の終わりにに男性から告白されてしまったのだ。しかし過去のトラウマに苛まれる中、その男性からメールを受けているうちにパニック状態に陥ってしまったのだった。そこで私は陽性症状(奇妙な妄想など)を発症してしまい、「電波を通じてその人がやってきて私を襲いにくる」などの妄想が起こって携帯のメアドも番号も全て変えてしまった。
次には「私は病気じゃない」という妄想が起こり薬を飲まずにいたらよけい悪化して、「自転車をこぐのは私の宇宙的な神聖なる使命なんだ!!」という妄想まで出てきて、結局5月31日から7月9日まで入院となってしまった。
しかし、入院した病院で出会った人々こそが私を変えていったのだった。
入院生活では、様々な年齢の人と話をした。
自分より辛い境遇を、必死で生き抜いている人々や、病気に負けずこれからの目標をもっている人がいた。
自殺未遂をして入院した人が、のちに他の患者さんに「いのちは大事なんだよ」と言えるひとになった。
そんな人々がいる中で、私にも成長の種が撒かれたのかもしれなかった。
そして7月1日の外泊中に新潟の田んぼや美しい緑や大きな信濃川や豊かな紫陽花を見ているうちに、そうした決意が言葉になって生まれたのだった。
7月1日は偶然20歳の誕生日だが、この決意は決して「20歳の抱負」ではない。
私は
「20歳の抱負」
は設けないことにする。
年齢という節目節目に関係なく、人間はもっと連綿と成長していくものだと私は思っているから。
前を向いて、今やれることをやっていくだけ。
それは19歳でも20歳でも30歳でも40歳でも何歳でも、同じなんじゃないかなぁ。あくまで私の考えだけど。
そんな私。これからも進歩を重ねて成長してやる!!
それは「女性としての自分・人間としての自分をもっと認めてやると」いうことだ。
話は中学時代と、今年の5月以降に遡る。
私は中学校三年間クラス中の男子からいじめられていた。その中には、性的なものも含まれていた。
そのことがきっかけで私は今まで自分に極端に自信がもてず、また自分の女性性を排除しようとしていた。髮はショートにして、服装は男の子のもので。
しかし、私は、4月の終わりにに男性から告白されてしまったのだ。しかし過去のトラウマに苛まれる中、その男性からメールを受けているうちにパニック状態に陥ってしまったのだった。そこで私は陽性症状(奇妙な妄想など)を発症してしまい、「電波を通じてその人がやってきて私を襲いにくる」などの妄想が起こって携帯のメアドも番号も全て変えてしまった。
次には「私は病気じゃない」という妄想が起こり薬を飲まずにいたらよけい悪化して、「自転車をこぐのは私の宇宙的な神聖なる使命なんだ!!」という妄想まで出てきて、結局5月31日から7月9日まで入院となってしまった。
しかし、入院した病院で出会った人々こそが私を変えていったのだった。
入院生活では、様々な年齢の人と話をした。
自分より辛い境遇を、必死で生き抜いている人々や、病気に負けずこれからの目標をもっている人がいた。
自殺未遂をして入院した人が、のちに他の患者さんに「いのちは大事なんだよ」と言えるひとになった。
そんな人々がいる中で、私にも成長の種が撒かれたのかもしれなかった。
そして7月1日の外泊中に新潟の田んぼや美しい緑や大きな信濃川や豊かな紫陽花を見ているうちに、そうした決意が言葉になって生まれたのだった。
7月1日は偶然20歳の誕生日だが、この決意は決して「20歳の抱負」ではない。
私は
「20歳の抱負」
は設けないことにする。
年齢という節目節目に関係なく、人間はもっと連綿と成長していくものだと私は思っているから。
前を向いて、今やれることをやっていくだけ。
それは19歳でも20歳でも30歳でも40歳でも何歳でも、同じなんじゃないかなぁ。あくまで私の考えだけど。
そんな私。これからも進歩を重ねて成長してやる!!
おばみは何してたんだ? 〜4・5 月〜
さて、4月から7月にかけて、約3ヵ月、私はブログをお休みしていました。
その間何考えて、何やってたか、書きますね。私のプロフか過去ログの「理転」という記事をご覧になれば話がわかりやすくなります。
精神保健学をやるうちに、精神保健福祉士(精神障害者のためのソーシャルワーカー)になりたいという気持ちが強まる。
そこで私は今の大学を辞めて、精神保健福祉士を養成する専門の福祉大学に行こうかと悩み始めた。
この時はかなり悩んだ。
私は高校3年間、趣味を捨てて必死に勉強して東京大学に合格した。東京大学は3年生から専攻をきめる大学で、私はそこの医学部健康科学・看護学科への専攻を目指していた。では専攻にいくまでの2年間は何をやるかというと、文系理系問わず、様々な幅広い学問をやることになる。いわゆる「東大の教養」と言われるやつである。
しかし、私はこの「教養」が無駄な時間に思えてきたのだった。将来つく職業と直接関係ない科目だって勉強する。そんなことやるくらいなら早いうちに専門の科目だけやっていたい。そう思い始めたのだった。
そこでちょうど陰性症状(気力・集中力・判断力の低下など)も回復しきらず、授業も2コマ程度しか出られない状態だったため、私は病気の休養を続けるため、そして将来のことを考え直すために、私は1年間の休学を決めたのだった。
ちょうど友達のこうきにご飯に誘ってもらった頃だったので、こうきに相談した。サークルの先輩・みしょさんにみしょさんの元数学の先生・牛腸先生の所に連れていってもらった時も先生に相談したし、家族に相談したり、主治医に相談した。とても感謝しています。
そして様々なアドバイスをもらって5月時点で私が決めたこと
大学は辞めない。
主治医いわく、私は視野の狭い、一本気な性格。これと決めたらこれだけを頑張りまくって、他が見えてない。もともとこれが発症の原因だったのに、私の東大を辞めるという考えはまさにこの性格に基づいたもの。私は、この性格を直さなければならなかった。
こうきからは私が「役にたつ」と思っているのはあくまで「資格取得」に役立つものであり、「現場」に行けば、役に立たないと思っていたものが役にたつことだってあるかもしれないというアドバイスをもらった。
それと同様に牛腸先生からも「看護師や精神保健福祉士になるなら人と接する仕事につくわけだから、幅広い教養を身につけてコミュニケーションの引き出しをたくさん作ることが大事だと思う。」というアドバイスをもらった。
これらのアドバイスは、まさにその通りだと思った。
さらに私が決めたことその2
体力をつける!!
主治医いわく力をつけなきゃ気力も考える力もわかないというのだ。
まず体力をつける!!
これが私の目標になった。
それからは、一日中水泳やサイクリングを楽しむようになる。
その間何考えて、何やってたか、書きますね。私のプロフか過去ログの「理転」という記事をご覧になれば話がわかりやすくなります。
精神保健学をやるうちに、精神保健福祉士(精神障害者のためのソーシャルワーカー)になりたいという気持ちが強まる。
そこで私は今の大学を辞めて、精神保健福祉士を養成する専門の福祉大学に行こうかと悩み始めた。
この時はかなり悩んだ。
私は高校3年間、趣味を捨てて必死に勉強して東京大学に合格した。東京大学は3年生から専攻をきめる大学で、私はそこの医学部健康科学・看護学科への専攻を目指していた。では専攻にいくまでの2年間は何をやるかというと、文系理系問わず、様々な幅広い学問をやることになる。いわゆる「東大の教養」と言われるやつである。
しかし、私はこの「教養」が無駄な時間に思えてきたのだった。将来つく職業と直接関係ない科目だって勉強する。そんなことやるくらいなら早いうちに専門の科目だけやっていたい。そう思い始めたのだった。
そこでちょうど陰性症状(気力・集中力・判断力の低下など)も回復しきらず、授業も2コマ程度しか出られない状態だったため、私は病気の休養を続けるため、そして将来のことを考え直すために、私は1年間の休学を決めたのだった。
ちょうど友達のこうきにご飯に誘ってもらった頃だったので、こうきに相談した。サークルの先輩・みしょさんにみしょさんの元数学の先生・牛腸先生の所に連れていってもらった時も先生に相談したし、家族に相談したり、主治医に相談した。とても感謝しています。
そして様々なアドバイスをもらって5月時点で私が決めたこと
大学は辞めない。
主治医いわく、私は視野の狭い、一本気な性格。これと決めたらこれだけを頑張りまくって、他が見えてない。もともとこれが発症の原因だったのに、私の東大を辞めるという考えはまさにこの性格に基づいたもの。私は、この性格を直さなければならなかった。
こうきからは私が「役にたつ」と思っているのはあくまで「資格取得」に役立つものであり、「現場」に行けば、役に立たないと思っていたものが役にたつことだってあるかもしれないというアドバイスをもらった。
それと同様に牛腸先生からも「看護師や精神保健福祉士になるなら人と接する仕事につくわけだから、幅広い教養を身につけてコミュニケーションの引き出しをたくさん作ることが大事だと思う。」というアドバイスをもらった。
これらのアドバイスは、まさにその通りだと思った。
さらに私が決めたことその2
体力をつける!!
主治医いわく力をつけなきゃ気力も考える力もわかないというのだ。
まず体力をつける!!
これが私の目標になった。
それからは、一日中水泳やサイクリングを楽しむようになる。
