日本一の花桃の里へ行ってまいりました!まさに桃源郷 | 名古屋発グルメ旅行日記

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美味しいものを追求してちょっとだけ贅沢♡

 

到着した途端、目を疑いましたねぇ。

世の中、こんな綺麗なところがあるんだ〜〜〜って。

 

花桃は、桜より梅より色が濃くてゴージャス。

桃の花も綺麗だけど、ピンク一色。

花桃は白、ピンク、赤でコントラストも美しい。

 

早朝到着したので、まだ人が少なくて。

川沿いをゆっくりと散策して見ました。

 

 

 

 

進んでも振り向いても綺麗なんですよ。

 

 

 

月川温泉郷の花桃は、園原インターを降りてから10箇所もあるんですよ。

車で北上してもよかったのですが、せっかくなので歩いてみました。

お天気最高でしたしね〜。

 

川のせせらぎが何とも言えぬ癒し。

 

 

先ほど下から見上げていた場所は広い駐車場になっていましたが、ここからの眺めも圧巻。

 

 

温泉の方へ向かいまする。

 

 

空いているように見えますが、時間を追うごとに大渋滞になりますのでご注意。

 

花桃まつりの本部へやってまいりますと、こんな可愛いお土産が。

ワンコを連れた方がすごく多いので、ワンちゃんのお土産までありました!

なんか、センスいいわ〜。

 

 

早朝、駐車場に車を停めて、ふらふらと歩いて散歩していましたが、ほとんど人が通らない道を選んでいたので、ここへきてびっくり!!!

こんなに人がおったんか一!っていう。

 

 

鯉のぼりは人を入れず、花桃の枝の間から撮影すべし(笑)

 

 

恐ろしく人が増えてきたので帰ります。

この時点で9時30分過ぎ。

10時前ですかね〜。

 

 

 

obakaneko、山菜を買って早々に名古屋に帰りました。

帰る頃には園原インターの手前、高速から渋滞が発生し、花桃の里まで長蛇の列。

昼神温泉方面から来る道路も渋滞。

 

渋滞回避にはちょっとしたコツがいるかな、と思います。

早起きは三文の得。

早め早めの行動をして、自分の足で歩く、これに尽きます。

 

阿智村は星空で有名なところですが、近年花桃もかなり有名になりました。

現在は20万人も来客があるのですって。

 

以前、恵那で頂いたパンフに花桃ヒストリーが書いてありました。

 

1922年、福澤桃介(福沢諭吉の娘婿)がドイツのミュンヘンへ行った時、庭に咲いていた3色の花桃の美しさに感動し、自分に似た名前の花であったことから3本の苗を購入して帰り、大桑村の須原発電所構内に植える。

 

1948年、須原発電所に勤めていた藤原長司さんが、美しい花桃を増やしたいと思い、落ちた実を拾い苗木を育て、妻籠の国道256号線沿いに植える。(花桃街道の始まり)

 

1974年、妻籠宿から清内路村に嫁いだ大宮トメさんが、嫁入り道具の一つとして手にしてきた花桃の木を元に、地域の人々が清内路地区に花桃を増やして行く。

 

1991年、園原に地域振興事業として旅館「野熊の庄 月川」を開業。当時社長であった渋谷秀逸さんは、人も少なく殺風景な山里に嫁いでくれた嫁たちの励みにしたいとの思いで花桃の植栽を考え、平成3〜7年にかけて約1000本の苗を清内路から譲り受け、旅館の周りや村道沿いに植栽管理を行う。

 

2002年、月川温泉郷を桃源郷にしたい、と地域住民で「花桃の里作り委員会」が発足。3年かけて2500本を植栽。合わせて3500本の花咲く里になる。

 

2005年、地域住民、地元業者(はなももの会)で組織する「花桃まつり実行委員会」が発足。観光客向けの「花桃まつり」開催。

 

2009年、渋谷秀逸さんが総務省実施の全国各地で地域のために努力する団体や個人を表彰する「地域づくり総務大臣表彰」を受賞。

 

2017年、毎年植え続け、現在は月川温泉郷一帯に約5000本、阿智村から南木曽村へ抜ける国道256号線「花桃街道」に約5000本、阿智村全体では約10000本の花桃が植えられている。

「花桃まつり」は毎年20万人の来客があり、「日本一の桃源郷」と呼ばれる。

 

 

地元に近いので、このあたりは昔からよく知っているところでしたが。

阿智村の星空も花桃も、長い年月を経てこんな有名になるとは夢にも思わず。

(地域の方の素晴らしい思いによるものですが)

 

集客という意味では、参考にできる部分が多々あるのではないか?などとビジネス的なことを考えつつ。

 

今のobakanekoが思うこと。

 

 

関ジャニ∞も渋谷すばるも、長い年月をかけて、こんな風に花を咲かせればいい。