知覧の「特攻平和記念館」に着いた私と家人。
早めの時間と思っていたら、次々と小学生、中学生グルーブが到着してあっという間に会館の中は子供たちと、それを制止し注意すね引率先生の声でいっぱいになります。![]()
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私たちのように個人的に訪れる人は、たいていがそこそこの高齢者で木曜日ですから、子供連れはまずおりません。
それまで、眼を潤ませながら出征兵士の遺書を読んでいた、初老の紳士も、ご婦人も
急に溢れた子供たちに、一瞬戸惑ったようでしたが、さすがはお優しい日本のおじいちゃん、おばあちゃんです。
厭な顔ひとつせず、むしろ軽く微笑んでいるかのような穏やかな顔で、見学を続けます。![]()
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我先にとビデオルームに入り込む小学生に、剣呑な視線を向けているのは、たぶん私だけ。![]()
「あなたたちどこの学校?」できるかぎり優しいふりして聞いてみました。
「佐賀です。」
小学校の名前も聞きました・・いや言いましたがここでは伏せておきます。
「ここどんなとこか知ってる?」
「知っとるとよ。ゼロ戦のあるとこばい。」
「特攻隊が飛んだとこよ。」
「日本の魂たい。」
さすが田舎の小学生(失礼) こんな不躾な問いかけにも、みんな素直に答えてくれます。
佐賀の小学生・・家人のころとはだいぶ違うようです。
・・付則しておきますと、家人は小学校三年生までを佐賀のさらに田舎で育ちました。
しかし、答えながらも、少しもじっとしてはいません。お互いに突きあったり、小突き合ったり、そう、どこにでもいる小学六年生たちです。
テレビなどで見たりすると、たまーに「大人かっ。」と突っ込みたくなるような子がいますが、大抵の小学六年男子はこんなもんです。
しかも、一人だはなく集団になるとこんなもん。幼稚なアホの塊です(・・これで全国の小学六年生の親を敵に回したでしょうか・・)
「じゃ、ここに来るまでにはいろいろ勉強してきたんだ。」
「なして?」
「せんよ。そがんこと。よか。」
「しっとーよ。」
これほぼ「してない」ってことですよね。
彼らはもう私の質問に飽きたのか、ビデオ室のソファに座ったり、立つたりしながら部屋を出ていきました。![]()
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重厚なナレーションは、多くの空席の目立つビデオ室に静かに流れています。
誰も聞いていない「語り」は妙にさみしいです。
こういう資料館に入ると、私と家人は大抵別行動です。
というのも、こういう処や美術館にくると、家人は必ずガイドを聞きたがるのです。
ひとつひとつをガイドを聞きながら回りたいと言うのです。
本人は熱心なつもりなのでしょうが、それは入場料に見合うだけのものが欲しいというみみっちいホンネなのではないかと私は思っています。
ようなホンキで熱意ある人は、ここなくる前にそれなりの知識を得ています。ましてや今のネットでなんでも判る時代に、そんな上辺のガイドなんていりますか?
私は反対に、自分のペースで見たい方なので、ガイドはいりません。![]()
自分の好きなものだけ、見たいものだけ見たいのです。それで見逃しがあってもかまいません。悔しければ、またそこに来る原動力になります。
第一、その時聞いただけのガイドの内容・・どれだけ覚えてます?
ほぼ毎日「財布どこ?」「携帯ないよ」「眼鏡は」と探しまくる家人になんの役にたつでしょう。
それなら、本気でそのモノやヒトやレキシを見ろと言うのに、それが判ってもらえません。いいですけどね。・・今更もう遅いです。記憶のネジたぶん何本も外れています。![]()
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ざらりと館内を歩いて出口に行くと、次の小学生の団体が並んでいます。
先生がハンドマイクで、注意を細々言ってますが、聞いているのは三分の一もいないでしょう。
それでも先生は注意もせず、ただ言っておくことだけが大切かのように、しゃべり続けます。![]()
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あんたの方がうるさいわと言いかけた「ワルおババ」を心の奥にぎゅっと押し込んで、子供たちを見ていると、ここに何しに来たのかと問いただしたくなりました。
彼らも親や個人で来たら、こうはならないのでしょう。
現に、長崎では高校生や中学生の小グループが真剣に平和の像に額づいているのは何度も見ました。
でも、仲間たちと来るのは彼らはまだ幼すぎるのではないかと思います。
いや、もっと言えば、なぜここを選んだのか。ここを選ぶならなぜそういう教育をしてから来なかったかということです。
ここは、ただの観光地ではありません。
鹿児島市内からも結構離れています。そんな場所まで、子供たちを連れてやってくるなら、ここに来る意味を先生たちはもっと、真剣に時間を費やして伝えておくべきではないでしょうか。![]()
小学六年は、それを考える第一歩・・もっと早い子もいますけどね。
子供らは遊びに来て、先生も誰も一緒に回ろうとしない。入場前のおざなりの注意だけ。
広島や長崎では「戦争語りべ」さんの高齢化と立ち上がった、若い人の話がニュースになるのに、そのあまりの温度差に愕然としたのは、私がもう老齢化したからなのでしょうか。![]()
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目を潤ませて合流した家人は「よかった。来てよかった」と何度も言います。
確かに、来ることには意義がありますし、忘れてはならないことであるのは言うまでもありません。
私は、特攻というものには、一家言ありますが・・・・話せば超長くなりますし、自分の中でまだきちんとお伝えする自信がないので今は言及しませんが、いつか機会があればそれもお話したいと思ってはいます・・
子供たちも、先生たちも、私から見れば同じ「ひよっこ」
その歴史から遠ざかるほどに、実感が薄くなるのはやむ得ませんが、先生として子に教える立場になるなら、せめて、
ここはどんなところでどんな意味を持っているか。
好きか嫌いかは別にしても、ここに集められた多くの生と死に対して、尊厳と敬意をもって接すること・・くらいは最低限叩き込んでおいて欲しいものです。
「あなたの後輩来てたわよ。」
「え・誰よ。」
「佐賀の小学生。」
「そうなんだ。みんな元気に見てたよね、熱心だったよ。」
家人は嬉しそうに言います。そう・・そう見ている大人もいるということです。
・・
私がますます「偏屈なおババ」になっただけのことでしょうか・・・![]()
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知覧を出て、私たちはさらに南下して、指宿の駅近くに家人が発見しておいた黒豚のお店に向います。
JR指宿駅はなかなか鄙びた佇まいです。それに隣接してある「青葉」がランチの店です。
お昼とはいえ、予約していましたので私たちはすぐにお部屋に案内され、念願の黒豚のしゃぶしゃぶをいただくことに。
黒豚を味わうのに、しゃぷしゃぶか豚カツか迷っての選択です。
そしてきびなごの天ぷら。
もうひとつ「鶏飯」もと思ったのですが、ざんねんながらそれはなし。
濃い目の出汁にくぐらせて、そばつゆでいただくしゃぶしゃぶはあっさりとのど越しもよく、いくらでも食べられそうです。![]()
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地元の人も多く来るようで、いいお昼をいただきました。
それから北上して娘おすすめの道の駅「指宿」に。
車を停めて見ると正面は海です。ちよっとレトロな入口を抜けると、娘から電話。
「そこにいるなら、削りたてのかつお買ってきて」なんたるタイミング。食べ物には貪欲な娘です。![]()
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・・が、ない。削りたてがない。
よく見ると「今日の削りたては終了しました」と紙がひらひらと。
貪欲ですが運がないのですよ。うちの娘。
それでも小パックの鰹節をお土産用に買って、置いてあった軽羹もふたつ。餡入りと餡なしとね。
ところが、鹿児島で軽羹がどんな位置にあるかと私が話すと、それならば一番店に行かねばと急に言い出す家人。
そう、そういうところがあるのです。知らない事の発端を知ったら急にswitch入るところが・・
なので、鹿児島市内に戻って、軽羹の名店「明石屋」さんに。
品のいい佇まいに、期待は上がります。
軽羹が生ものであることは知っています。でも私たちのクルーズはまだまだ終わらない。ここをどうするか・・
迷いながら、餡入りと餡なしを二個づつ。そして賞味期限をお聞きするとわずか二日。それではお土産には間に合わない・・
残念ですが・・仕方ないことです。
ちなみに、軽羹ですが、餡入りと餡なしでは、餡なしの方がお高いのです。
これは餡なしのほうが、皮の分量が多いからで、このお饅頭は、餡より皮の方がお高いのです。山芋の効いたこの得も言われぬ歯ざわりのお饅頭。不思議です。
行くところに行って、食べるもの食べて、買うもの買って十分満足です。
私たちはおみやげ袋満載で帰船しました。
まい日増えるこのおみやげ・・ほんとになんとかしなくては。
どこかで送るつもりですが、下船した時に、すぐに宅配便があるかどうか・・それが勝負です。
娘に軽羹の写メ送りつけて、残念ね~と微笑む私は鬼母です。
そして早めの泉の湯に行くと、湯船の前に堂々の桜島。これは凄い。もうこれだけで泉の湯の料金・・高いけど許せる(笑)
砂風呂には入れなかったけど(時間なかった)これで、十分満足です。。。
こんなに毎日遊び歩いて、日々かるーく一万歩は制覇しています。
こんなにラクチンな「一万歩制覇」なんて、
クルーズ最高!!
では、この続きは次回で・・・

