#入院した経験 | おばログ。

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ただ今 椎間板ヘルニア温存中~アラフィフおばちゃんのつぶやき・わんこ・コスメ・旅の記録

先々月に2人の息子たちの出産以来

4度目の入院を経験した私ですが、

人生初の入院は19歳の時でした。


交通事故で救急車で運ばれて

1週間の入院をしたことがあります。


当時、夫の前に付き合ってた同じ年の

彼が運転する車の助手席に同乗してて

あろうことか2人とも居眠り💤

反対車線の方にフラフラ〜っと…

その末にデカい標識にガーン

と、ぶつかってしまったわけです💦


ぶつかる前 歩道に車が乗り上げた

振動で一瞬、アッ‼️と目覚めたのですが

次の瞬間というか、気付いた時には

助手席の足を置く所に

体が丸ごとすっぽりと入り込んでました。

(シートベルトの着用義務が無い頃で

若い頃は細身だったせいでしょうw)


ぶつかった時の記憶は無く

隣の彼を見ると意識も無いようで

鼾をかいて寝ている…

声をかけても当然の如く動かない

これはヤバいやつやん…💦


頭真っ白になってたところに

ピーポーピーポーとサイレンの音が聞こえて

救急車がやってきた。


当時は まだ携帯電話も普及してなくて

誰が119番してくれたんだろう?

と、思いながらも

(前に走ってた車がドーン💥という音で

引き返して戻ってきて救急車呼んでくれたと

後から聞きました💦)

意識無いままの彼が担架に乗せられて

私も乗って下さいと言われ

ヨロヨロと歩いた。


ら、救急車に自力で乗れなかった。

一瞬の悪夢のような出来事に

恐怖感が出てきたせいか

足がガクガクして歩けなかったのです。

隊員の方が乗せてくれて

やっと救急車に乗り込み

コンコンと眠り続ける彼の姿を見て

お願い、神様‼️彼を助けて下さい‼️

と祈ったことを覚えています。


そして、運ばれたのは郊外にある

脳外科の病院でした。

絶対安静なので全ての検査が終わるまでは

トイレにも行かないでと言われ

彼の事が気になりながらも

体のあちこちが痛んで見てみると

青あざだらけでした。


運ばれて直ぐに人生初のMRI検査

そして翌日からレントゲンとか諸々の検査して

骨折などは無かったけれど

全身打撲と右足の脛の肉が削げ落ちてて

多分骨が見えてました💦

(未だにその傷跡は

うっすらと残っています)

顔はガラスの破片で擦り傷だらけだったけど

1週間も経つと消えました。


彼の方はと言うと、

脳挫傷と左足のさらが割れていて

かなり重症でした。

でも、意識も戻って生きててくれて

良かった〜と心から思いました。

(結局その彼とはお別れしたんですけどね)



入院した脳外科は、多分その当時は

脳外科では結構1番設備が整っていて

有名な病院でした。

まだ男性の看護師が少なかった時代ですが

私より少し年上の20代半ばぐらいの

男性看護師が2人ほど勤務してました。

(もっと他にもいたかもしれませんが)


その病院も身体を動かせない高齢者や

事故などで脳を損傷した患者が多いので

男性看護師だと患者さんの介護とか

力仕事は便利で助かるのかなぁとか

そんな事を考えたりしてました。


その看護師クンたちは、私の病室に来て

「ちょっと ここで一服していこ〜」って

ちょくちょく煙草を吸いに来てました。

今は病院内は以ての外、病院の敷地内でも

喫煙できない時代なので

病室内でも喫煙できて看護師までも…

だなんて、昭和ならではですよね真顔


そして、「車で彼氏と事故ったとって⁉️」

とか笑いながら色々と私に聞くわけですよびっくり


今考えると信じられない時代ですよね…

茶髪のちょいイケてるおにいさん達でしたが、

あの人たちも 今はいい御年だろうなぁ

定年間近だろうけど、あれからも

ずっと看護師やってるのでしょうか…


昭和→平成→令和へ時代と共に

色々なことが変わって便利になりましたが、

ちょっとルーズだけど、その適当さが良かった

昭和時代は病院もそんな感じなのでしたチュー




入院した経験

 

 

 

 

 

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